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いない 2012年03月23日 日記 トラックバック:0コメント:0


 堰のし過ぎで喉が切れたようで、真っ赤に染まった痰が出てきた。堰は止まらないし頭は痛いし節々は痛いし、体調は最悪なのだけれど、この忙しい時期にわたしは先日有給をとったばかりなので休んでもいられない。風邪を引くのは久しぶりなので、少し楽しいことも、ほんとう。ドラッグストアで、マスクとのど飴とパブロンを買って、もこもこの靴下を履いて眠って、朝起きたらいつの間にか剥がれていた冷えピタを捨てる。一人暮らしで体調を崩すと面倒を見てくれる人がいないので、三年前に熱を出したときは、とてもつらかった。そのときの教訓から、わたしの部屋には、レトルトのおかゆとウィダーインゼリーが常備されている。今のところ自炊をする元気もない、という状態にはなっていないので、まだそれらのお世話にはなっていないけれど、備えがあるというだけで気分はずいぶんと楽だ。もっと苦しくなっても、まだ、だいじょうぶ。

 有給をとったのは祖母が死んだからなのだけれど、叔父が死んだときと同じよう、わたしはまるで悲しくない。親戚一同が集まった広い和室で、泣いているひとたちを見ていると自分まで悲しんでいるかのような錯覚に陥るけれど、やっぱりそれはうそだ。泣いているひとを見ると悲しくなるのは泣いているひとが悲しいからで、それ以上でもそれ以下でもない。「顔を見てきてごらん」と泣きながら母や従姉が言う。「きれいな顔をしているから」。わたしは棺の中の死体を覗き込み、しかしそのことによって悲しくなったり、できない。一生懸命話しかけながら、花を入れ、棺に釘を打つ彼らを、うつくしいと思う。しかし同時に、それはただの肉だ、と思う。話しかけても無為だ。かつてそこにあった意思はとうに消滅した。死体に話しかけるという行為を芝居ではなくする彼らの、思考がわたしには理解できない。ちがう宗教で生きているのだろう。決してわかりあえない。わかりあえないけれど、きれいだ、とは思う。きれいで、無為で、まるで理解できない。ひとが死んだらそれはただ死んだ、それだけのことだ。悲しみは生者の問題で、死者のものではない。そもそも死者など存在しない。ただ生者の概念において、いまはもうないものを、その言葉で代替しているに過ぎない。
 親戚は泣いたり悔やんだりしながら、それでも久しぶりに会った人間たちに挨拶をしたり懐かしがったりする。久しぶり、お母さんにそっくりね、大きくなったね、お母さんにそっくりね。繰り返される言葉どもにわたしは膿む。その言葉がどれだけ憎いか、その言葉がかつてのわたしにとってどれだけの呪いであったか、現在も続く対象のない嫌悪を説明することはしない。できない。どれだけ言葉を尽くしても、わたしのこの憎しみを、彼らに理解させることはできないだろう。善良な家の善良な人々。死体に語りかけ、涙を零し、穏やかに微笑む。悲しみを押し殺して、挨拶を繰り返す。久しぶり、大きくなったね、お母さんにそっくりね。
 吐き気がする。

 求められる役割を繰り返す。求められる役割を繰り返す。

 死とは完全なる不在だ。どこにもいないし、もう二度と会えない。
 善良な彼らの信じているそれが、わたしには呪いにしか見えない。


 それが先月上旬のはなし。
 いま喉が痛いのは、たぶん、花粉のせい。堰もでないし、出ないからだから、赤い色の痰だって、出ない。風邪はひいていない。降ってくる花粉がひたひたとまとわりつくから、目を掻いたり、くしゃみをしたり、鼻水を垂らしたり。わたしの知らないわたしの内部が勝手に過敏に反応して、迷惑、ほんとうに自意識過剰。花粉だけじゃなくて、昨日はどうしてか雪だって降ったし、それに、春だから、憂鬱もずいぶんと降る。
 一月の末からひいていた風邪はほんとうに長引いた。一ヶ月ちかく引きずっていた気がする。ひさしぶりに内科にかかって、薬を処方されて、それを飲んでいたら、熱はひいた。でも、そのあともしばらく、堰が残っていた。喉が痛いし、背中も痛い。前半はちょっと楽しかったけれど、後半はあんまり、楽しくなかった。風邪をおもしろがれない程度には、消耗したということ。それっていやだなあ。たいていのことは、おもしろがりたいし、そういうことばっかり考えていたい。わたしの感情くらい、わたしが制御したい。感情を制御したり、感情に制御されたり、主従関係がわからなくなりながら、ただ渾然、わたしは曖昧なままでいたい。曖昧なまま、あらゆるものを、おもしろがっていたい。愉快だな、という気持ちがなくなるのは、いやだ。たとえすごく苦しくて、もう今すぐにでも死んでしまいたくて、そういうときでも、ひどい状態の自分を愉快におもうわたしのことは、失くしたくない。心臓に石を乗せられたみたい、なにもかもいやになって、呼吸だってしんどい、そういうときでも、小説にしちゃおうって笑ってへらへらして、いたい。わたしから乖離しているわたしのことを、わたしと呼んでいいのかはわからない。どこからどこまでがわたしなのか、よくわからない。でも、結局、わたしから乖離しているわたしをわたしはわたしだとしか呼べないから、わたしのこと、彼女のこと、失くしたくない。きらいなひとがいる。きらいなことがある。憎くて憎くて仕様がない。あなたが死ぬとわたしは嬉しい。日々、切々と、呪う。そうやって呪詛を積み重ねるわたしを、短絡的、そう言ってビラビラ、笑って、たいていのことはおもしろがっていたい。

 そんな寝言はどうでもよいのだけれど、プラの春ツアー「青の運命線」、横浜と京都に行きました。
 今回のツアー、好み。

そら 2012年02月19日 日記 トラックバック:0コメント:0

新しい歌が聞きたいなあ。なんでもいいから、新しい歌が聞きたい。そしてそれをうつくしく思いたい。陶酔する時間がほしい。安定した知っている陶酔ではなくて、まるで知らないところへ連れて行ってほしい。どんどん貪欲になる。下品になって、厚顔になる。わたしはどんどん不感症になってゆくから、足りない、足りない、いまのままでは足りないぜんぜん足りていない、もっともっともっと先が見たくなる。もっと先。もっともっと先。過去なんてない。未来だって存在していない。みんな夢みたいなことばかりを言う。わたしは足元ばかりを見ている。足元。地面にへばりついているわたしの足。足、へばりついている、けれどでもほんとうは、へばりついていないかもしれない。違うのかもしれない。ここにしかいないけれど、ここは定義できないのかもしれない。難しいことを言われてもわからない。「人間の言葉はわからないよ」。
昔は音楽、かかっている音楽、を途中でぶつりと切ることができなかった。CDウォークマン、その□ボタン、音楽の途中で押すことができなかった。音楽が鳴っている最中に止めなければならないのなら、フェイドアウト、ゆっくりと音量を絞って、そうじゃないと音楽を殺すことができなかった。繊細なわたし。繊細だったわたし。いまはもうぶつりと切ることができる。いつでもどこでも音楽を殺すことができる。そんなことじゃ鳴り止まないと知ったからかもしれない、でも、やっぱり、単に不感症になっただけなんだろう。
欲しがるのは見たこともないもので、うっとりして酔いしれて、すべてを忘れたい。覚えているなんてみっともないことはできない。瞬間、しゅんかんに生きているけものでいい。踊っているのはそのときだけだし、踊っているその腕がその軌跡を描くのはそのときだけだし、踊っているその腕がその軌跡を描いたことを意識すらしないのはそのときだけだし、だから、わたしは、しゅんかんに生きているけものでいい。あたらしい、おんがくが、ききたいな・・・・・、そんなこと考えて、なにもわからない。不感症だから、不感症だから、もっとちゃんとして、もっと強くして、もっとわたしにわかるように酷くしてよ。知らない音楽を知りたい。知らない音楽を知りたい。

友だちと原美術館に行ったのだけれど今回の展示はすごく好きそう!と思ったらそうでもなくて、芸術家ってほんとうに性器がすきだなあ。たくさんの乳首とか、膣。男性器とか。透明できらきらしている、有機を象る無機。きらいじゃないけど。ぞくぞくもしないやあ。
一月にはひとが死ぬみたいで、こないだは祖母が死んで、いろいろ慌ただしかった。仕事も忙しい時期で、何年かぶりに風邪だってひいて、なんだかよくわからなかった。仕事は一段落ついて、しばらく休みになる。ピアノを弾きたい。ピアノを弾いていたい。

階段は灰色で、むかし見た色と変わっていない。大きな鏡に映る椅子は、相変わらず古びている。コンビニの前に座る女子高生や、ゲームセンターでタバコを吸う少年。交番であくびをする警察官。たまにしかこないバス。
腐っていくのだろうか。こうやって腐っていくのだろうか。うつくしくただそうであるようにそうであるのだろうか。変わらないことは正しいことだろうか。死んでいるのだろうか。それはもう腐っているのだろうか。
安定しているものたち。不変を内包する心象風景。
死んでいるのだろうか。

知らないことを知りたい。

求めよ、されど与えません 2011年12月30日 日記 トラックバック:0コメント:0

しらかば、という字面はかわいいと思う。
十二月がもうすぐ終わる。
十二月が終わるということは一年が終わるということで、でも、一年が終わるからといってなにがあるというわけでもないでしょ。なにもしたくない。会社の入り口には門松が立った。竹が毎日枯れた笹を落とすのでそれが散って、きたない。

なにもしたくない。

いろんなものを見て、いろんなものを見て、いろんなものを見て、それには金銭が必要で、そのために働いて、働いて、働くけど、怠惰になって、そうただ、怠惰で、どんどん他者が必要になっていって、怠惰で、空洞を直視することはこわい。生まれたくなんてなかったのです。でも誰に訴えかければいいの。おかあさん、おとうさん、セックスしやがって、ちくしょう。わたしをわたしたらしめている要素とはなんだろう、と思う、わたしが発生しないようにうまいことしてくれたらよかったのにな。死にたいなんて思わない。思ったことはない。消えたいとはずっと思っている。毎日思っている。でも、ひと、消えることはできない。わたしはわたしの痕跡を消しきれない。わたしは拡散しすぎてしまった。そして慣性にしたがって今日も呼吸ををしている。
一年が終わる。

書くことがない。

わたしを堕胎してゆく 2011年12月19日 日記 トラックバック:0コメント:0

 デスクでぼうとしながら「わたし今日なにを買って帰ろうとおもっていたんだったかしら」と思案にくれていてその間ずっと後輩が不安げな顔でわたしを眺めていたことはわかっていたけれどでも今日なにを買って帰ろうとしていたのかおもい出すほうがわたしにとっては遥かにたいせつなことだったのでそのまま一生懸命かんがえていてそしてはっと閃いて「ゴム手袋だ!」て言ったら不安げな顔をしていた後輩がびっくりした顔になって「なにがゴム手袋なんですか?」て尋ねてくるから「うん今日ね帰りになにか買って帰らなくちゃっておもっていたはずなんだけれどそれがいったいなんだったかおもいだせなくて困っていたのでもいまおもいだしたよゴム手袋なんだよ」って説明をしたら彼女「ああ、なんだ、そうですか…」と言って脱力をしたからなあにどうしたのって尋ねたら「先輩さいきん忙しいですし仕事で滅入っているのかとおもいましたすごい苦悩に満ちた顔をしていましたよ」と言ってきてたしかにわたしさいきん臨時とはいえ面倒な役職を背負って妙に忙しくなっているのでその心配にありがとうって言ってそしてゴム手袋でごめんねってあやまったの。ごめんね。
 ゴム手袋を買ってきたよ。
 冬は手が荒れます。
 焼き鳥とお寿司とおおきな瓶のラムも買ってきたの。今日はもうなにを作る気力もなくて、ばんごはん、焼き鳥とお寿司だったよ。お酒は、半端に残っていた赤ワインにオレンジジュースいれてレンジでチンしただけのホットワインと、このあいだ成城石井で買ったスパークリングワインくじに入ってたコンタディカスタルディだったの。いまいい感じに酔っ払っていて、もうすぐ眠るところ。眠る前に、ミルクにラムを入れてあっためて飲もうと思っているの。冬場のわたしのメインアルコールは、ホットワインとホットラムミルク。ホットバタードラムも大好きだけど、そういえばあんまりつくらないなあ。
 白菜とおとうふを茹でてポン酢をかけてたべようとおもっていたけれど、もうおなかいっぱいだし、酔っ払っているし、ちょっと料理とか、できない。
 去年いっしょにクリスマスをした友だちと、今年もいっしょにクリスマスをする。うれしい。
 鎌倉でデートをした女の子とは今月中にもう一回会うし、さいきん知り合った近くに住んでいる女の子たちとも来年の約束がある。きのうは高校の友だちと久しぶりに会ったし、他にもいろんな約束がある。ああ、しあわせだなあ。息が詰まる。約束、うれしい。約束、くるしい。がんじがらめの未来線、ほら、先を見通したい、あしたのわたしを制御したい。他人にならないで。他人にならないでよ。他人にならないで。安心したい。
 ねむりたいの。
 約束があると約束を果たすまでわたしは生きていなくちゃならない。約束はうれしい。すきなひととの約束はいつだってうれしい。それはわたしを生かす。生かしてしまう。約束を果たすまで生きていなくちゃならない。約束はうれしい、約束はしあわせ、約束はうれしい。約束に至るまでの生が×××
、×××
 知りたくないことなんかひとつもない。知りたいことなんかひとつもない。暴きたくないし、暴かれたくないし、暴きたい。暴かれたくはない。空が真っ赤になって、天井が降ってきて、海はわたしの体内にある。横断歩道はうまく渡れないし、上手に歩くことは犬が連れて行ってくれなくちゃできない。犬の鼻のようにきかない。白い足跡。長く連なるのは見たくもない行列だあ。行進してゆくのは無数の脚だ。
 だいじょうぶだよ。だいじょうぶにしよう。もう二〇一一年は終わるよ。平成二十三年は終わるよ。足音もなにもかも消していくようにわたしの肺に酸素が降り積もるよ。蛇口をひねれば水が出るんだ。あしたは三時半に起きて四時には部屋を出なくちゃならないけれど、わたしはたぶん二度寝をして三時五十分に慌てて起きるのだろうな。読んでいない本や、きいていない音楽や、ひとりでない時間、大切にしきれない愛情、むつかしいことなんていわないでよ。電気ひつじのようになりたい。アンドロイドの夢を見るか?なんて問いを与えられたい。

夕景 2011年12月03日 日記 トラックバック:0コメント:2

晩ご飯はシナモンロールとキティで、さっきまで眠っていたのにもう眠い。
甘いものとお酒を一緒に摂取すると、眠い。
中途半端な重さでちょっと苦い赤ワインにウィルキンソンのジンジャーエールを入れて飲んでいる。
さいきん家に帰っていなかったから、お酒なにがあったかなってわからなくて、悩んで、買っていこうかなと思って、でもきょうは雨だったから買いものに行くのが面倒で行かなかった。帰宅したら、ちょっと前に成城石井で買ったワインとジンジャーエールがあったので、よかった。シナモンロールは、帰り道にあるパン屋さんで買った。他にもウインナーのバジルロールとか、三種類のチーズのパンとか、買ったけれど、それはお昼に食べてしまった。
朝の十時くらいに帰ってきて、昏々と眠っていた。パンをいくつかたべて、ホットワインを作って飲んで、昏々と眠っていた。
夕方に自治体が鳴らす童謡で目が覚めた。
本を読んで、お酒を飲んだ。さっきまで眠っていたのに、もう眠い。
さいきん小説を書いていない。
もうしばらくは土日が休みなので、ふだん不義理を働いている友人たちに会いたいのだけれど、眠たい。
明日は鎌倉へ行く。紅葉を見に行く。
楽しみなのは嘘じゃない。でも、面倒くさい。
眠っていたい。

四六時中嘘をつく。なんでもいい。嘘がいい。騙していたいし、騙されたい。
靴紐がほどけることに意味を見出したり、汚れた服に顔をしかめたり、日の出に目を細めたり、電車の速度に驚いたりする。
よくわからない。
日々は過ぎる。

ゆっくりと腐っていくという言葉は、かわいくて、ちょっと好き。
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