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Plastic Tree「インク」


インク(完全生産限定盤)インク(完全生産限定盤)
(2012/12/12)
Plastic Tree

商品詳細を見る


Plastic Treeの最新アルバム、「インク」を買いました。
名盤だよ。
最高傑作だ。
Plastic Treeを好きなひとはもちろん、むかし好きだったひともにきいてほしいし、一回きいてみて嫌いだったひとにもきいてほしいし、興味がないひとにも、知らないひとにも、あらゆるひとに、きいてほしい。

わたしはPlastic Treeというバンドをもう長いこと好きでいるけれど、オリジナルアルバムで「このアルバムはすごい、特別に好き」って思うアルバムは、cell.が最後で、それ以降のアルバムは、好きな曲はたくさんあるけれど、アルバムとして好きとは言えなかった。ウツセミはアルバムとして好きと言える一歩手前くらい、それに近い感触まで近づいた、のだけれどでもやっぱり、dummy box~GEKKO OVERHEADの流れがあんまり好きじゃないから、特別とは言い切れない。一曲一曲は好きなんだけどね。だからアルバムの発売って最近はあんまり楽しみにしていなかったし、発売日なんて覚えていなくてタワレコ行ったら売ってたから買ったとか、熱意に欠ける有様だった。HPも雑誌も、わたしはあんまりチェックをしないので、発売に気がつかないことも多いのだ。Plastic TreeはFCがろくでもないので、去年ついに更新をせずに脱会して、お知らせメールも届かなくなったし。そんな調子でここ最近は、Plastic Treeというバンドは好きだし、ライブには行くけれど、最新音源に対する熱意って、そんなになかった。
でも、インクは楽しみだった。
HPも雑誌もチェックして、予約して、発売日に買った。
どうしてかな、と考えると、理由はいくつか見つかった。
まず、インクに収録されるシングルがすべて好きだったこと。シロクロニクル以降は、あんまり好きじゃないシングルが一曲は入っていた。それだけでちょっと期待値は下がっていたのだろう。でも今回は、すべて好きだった。そして、シングルのカップリングで数曲収録されていた1stアルバムhide and seekの再録も非常によかったのだけれど、インクは生産限定版にそのhide and seekすべてを再録したアルバムが特典としてつく。これも楽しみだった理由のひとつ。それから、発表されたアートワークがものすごくよかった。アートワークも、シロクロニクル以降は好きじゃないというか、センス悪いな、ダサいな、とずっと思っていたのだけれど、今回はとてもかっこいい。好き。あと、発表された収録曲のタイトルがよかった。これはトロイメライの収録曲を見たときの感じと似ていて、タイトルを見ただけで「あったぶんわたしこの曲好き」という天啓というか、閃きというか、妙な確信があった。それに、アルバム発売に先行して発表された「ピアノブラック」がとてもよかった。あとは単純に、ここ最近、ライブがすごくよかったんだよね。バンドとしての状態が、いまのPlastic Treeは、ものすごくいい。
そういった複数の理由から、わたしはインクをとても楽しみにしていた。そして実際に聞いてみて、それは裏切られなかった。
Plastic Treeの現在を、過去を内包する現在を、象徴する素晴らしいアルバムだと思う。
感想を書きます。

1.ロールシャッハ(左)
いちばん最後に収録されている「ロールシャッハ(右)」と対になる曲。
ギターと歌だけの短い曲。
最初は有村の声だけ。彼の声はとても独特で、浮遊感のあるふしぎな歌い方をするのだけれど、そのままふわっといなくなってくれなくって、なんだか「ざらざら」する。浮ついているのに、なんかひっかかる。苦手なひとも多いと思うのだけれど、この声にはまると抜け出せない。そんな彼の声がとてもよく味わえる曲。

2.インク
表題曲。アルバムタイトルを決めてから作ったみたい。
もう、ザ・Plastic Treeと言っていいサウンドと歌詞。どんなバンド?と訊かれたら、これを聞かせればいいじゃん、という、名刺代わりになるような曲。でも、「これまでの集大成」とか「昔ながらのプラの音」っていう意味じゃない。確かにもうずっと連綿と続いているプラの中核になる音で構成されているのだけれど、でも、同時に、すごく新しい。さっき書いたとおり、「過去を内包する現在の音」がする。
骨太で安定したベース、幾重にも重ねられたギター、聞いたことのない声。ミドルテンポの美しい轟音。それから。
新しさは、ギターのアレンジと、ドラムにあると思うのね。一回目のAメロで鳴ってるアルペジオギター、以前ならこういうアプローチはしなかったんじゃないかなあと思う。もっと歪んだ、あるいは低い音をつけたんじゃないかなと思う。ここで鳴っているギターはとてもクリーンな高音で、それがすごくいいんだ。それから、ドラム。イントロやサビでシンコペーションの跳ねるようなリズムでスネアを叩いているのだけれど、それがかっこいいの。ミドルテンポの曲って眠くなりがち、退屈になりがちだけれど、このリズムがそんな雰囲気を作らせない。それに、すごく曖昧な言い方になってしまうのだけれど、歌によりそった叩き方をするんだよね、ケンケン。
それから歌詞。Plastic Treeというバンドは、ずっと喪失を歌ってきた。人間の内側にある悪意を、他者へむけることができなくて、俯いたまま自分のつま先を刺し続けるみたいな、悲しいことがあっても、それと闘うとか解決するとか、そういった積極的な行動なんてできなくて、ただぼんやりと眺めてるみたいな、そんな唄ばかりを歌ってきた。インクの歌詞は、そのひとつの完成形と言えるんじゃないかな。有村と長谷川の共作なのだけれど、ものすごく「らしい」歌詞。これから先もPlastic Treeは曲を書き続けるだろうし、詞を作り続けるだろうし、喪失を歌い続けるのだろうけれど、これはそのひとつの終着点なんだと思う。

3.くちづけ
シングル。メジャーデビュー十五周年シングルの二作目。
曲の質感はインクと似ている。インクを聞いた温度から、そのままするりと入れる。
ふわふわした有村の声と落下する滴のように響くピアノのせいで緩やかな曲って気がしてくるんだけど、わりとタイトなリズムの曲だ。ドラムもベースもギターもずっと刻んでる。そしてその淡々と刻まれる音がサビで一気に拡がって、歌詞の通り「花開く」ような音になる。
個人的には、Bメロのギターがかっこよくて好きです。

4.ピアノブラック
アルバム発売に先行して発表された曲。PVもあるよ。
ナカヤマの曲なんだけど、編成が変。ケンケンがドラムで有村が歌なのはそのままなんだけど、リーダーはベースじゃなくてギター弾いてて、ナカヤマはシンセ弾いてる。ベースはシンセでとってる。
で、編成が変だし、これまでのプラになかった音なのだけれど、完全にPlastic Treeの音楽なんだな!入りをパッと聞くとナカヤマのユニットのdate youみたいな音に聞こえるんだけど、ドラムとギターが鳴り出して有村が歌いだしたらもうプラ以外のなにものでもなくなった。すごいなあ。
歌はふわふわの極地みたい、なに言っているのかぜんぜんわからないのだけれど、それが呪文っぽくていい。歌詞カード見ると、歌詞いいんだけどね。なんとなく、森博嗣の女王の百年密室を思い出しました。
「君の目みたいな夜」って、好きだな。

5.あバンギャルど
これもナカヤマ曲。
あのおじさん、最近ライブでバンギャルバンギャル言って喜んでいるのだけれど、ついに曲にまでしたかと笑ってしまった。(タイトルは有村さんがつけたみたいですね。)
ナカヤマの曲って、どれも負の感情の発露がどうしてもあって、それは茫漠とした悲しみだとか、あるいは有村があんまり書かない怒りだとか、そういうものを感じてしんどいのだけれど、これはないね。ナカヤマがどんなこと考えてこれ書いたのかはわからないけれど、わたしは、もうただ、これをプラでやったら楽しそう!という気持ちだけで作ったんじゃねえかなあと思う。
ギターソロとか、もう笑っちゃったもの。好き放題に弾きすぎ!歌詞は血みどろですが、聞いていて楽しいです。
ナカヤマの詞には、ぎょっとするような、まるでわからない角度から、死角から突き刺されたみたいな、鋭くて印象的なフレーズがたまにあるのだけれど、(「本日は晴天なり」の「孤独と言うか?そういう君の不条理と何が違うんだ?」とか)今回それはなかった。でも、この曲の最後の方の「喘ぐ血も蓮と化した。あの日から蓮と化した。」の部分はメロと相まって、すごく響きがいいと思う。全体的にはダサいんだけど、この詞。
いわゆるビジュアル系、みたいな曲。父は「ザ・フーみたいだなあ」と言っていた。うーん、そうかなあ?

6.ライフ・イズ・ビューティフル
このアルバムで一番重い曲かもしれないな、と思う。
上手に感想を書けない。
これは昔の有村さんだったら絶対に書けなかった詞だと思う。さらりと書かれてさらりと歌われる言葉が痛い。痛いのだけれど、痛いと歌う自分を肯定している歌だと思った。

「点滅 明滅 寂滅 消滅 光に気づいた皆様に
 あらゆる仮面を用意しておかなきゃ 陳腐な怪人百面相だ
 泣いてる顔はどうだったろう? 笑ってる顔はどうだったろう?
 ねえ?」


海月的にはこんなこと歌われたらさみしいんだよ。でも、確かにわたしたちは、苦しんでいる彼をただ眺めているんだ。その乖離と、でもその乖離の間に存在する音楽と、そこから派生する愛情が、奇妙で、かなしい。
サウンド的には、新しいことをいくつかしている。フォーク的なアプローチから入ってサビで爆発する。ラップっぽいところもある。有村作曲のがなる系の曲の系譜だと思うのだけれど、歌い方がライブに近いので、サビが生々しい。
Bメロのベースがかっこいいよ。

「僕は君が好きなふりをして 君が好きなものを好きとして
 だからまた誰かしらにそんな感情が芽生えるなら 全部そうする」


7.君はカナリヤ
初期プラに近いサウンド。個人的には「ベランダ」とかと近い印象を受けるんだけど。なんでかなあ。ミドルテンポのクリーンな印象の曲。よく聞くと変なギターこっそり鳴ってるけど。
「ライフ・イズ・ビューティフル」でめためたに打ちのめされた後なので、すごくほっとする。
歌詞がケンケンなんだけど、なんというか、ぜんぜん引っかかるところがないというか、素麺みたいな歌詞だと思う。わたしは好きじゃないなあ。
アルバムの流れには絶対に必要な曲なんだけど、単品としてはそんなに好きじゃないな。
「ブルーバック」大好きなので、ケンケンには作詞よりも作曲でがんばってほしいと思う今日この頃です。
追記:ライブで聴いたらけっこう馴染んできました。メルヘンっぽい詩も曲にはまってた。

8.静脈
シングル。メジャーデビュー十五周年シングルの一作目。
聞いていて気持ちのいいギターロックです。
シングルは音録り直したりしないでそのまま入っていると思っていたから、ギターソロに度肝を抜かれた。湧き上がる水、みたいな音。シングルのソロよりもわたしはこっちの方が好きです。かっこいい!

9.てふてふ
ショックス(だったかな?)のインタビューでインタビュアーが「これはクレジットを見なくても長谷川さんだってわかりましたよ!」って言っていたけれど、確かにそうだ。どこからどう聞いても長谷川曲です。
低空飛行、という言葉がぴったりはまるようなサウンド。有村の声は加工されて音の一部のよう、ベースとドラムに溶け込んで沈み込む絵画のよう、そしてその少しだけ上を蝶のゆらりと飛ぶ軌跡のよう、高音をたゆたうギターが静かに鳴っている。暗い色調で描かれた油絵みたいな曲だ。
イントロのドラムがかっこいい。あと、終わり方がすごくきれい。
詞もリーダーで、これがすごくいいの。

「黒い種を蒔く どんな花が咲く 知らないふりして嘘をつく僕の声
 どうか蝕んで 心を奪って いつか覚めるまで透明な根を張って」


追記:これまでの長谷川曲だったら、「白い足跡」と近い印象を受けます、なんとなく。

10.シオン
シングル。メジャーデビュー十五周年シングルの三作目。
「アローンアゲイン、ワンダフルワールド」の系譜だと、個人的には思っている。
メロディラインがきれいで、アレンジもクリアで、聞きやすい曲。
この系統の曲って、好きだけどそんなに引っかからないな、と思うことが多かったのだけれど、シオンはすごくいい。
有村さんにとって、ひとつの区切りになる曲だったんじゃないかな、と勝手な想像をしている。これも昔の彼には絶対に書けなかった詞で、「ただただ君が好き」なんて歌うことは、これまでなら考えられなかったと思う。
ライフ・イズ・ビューティフルと対になる曲に聞こえる。

11.96小節、長き不在。/ 218小節、かくも長き不在。
インスト曲。
96小節は限定版、218小節は通常版に入っています。218小節がどうしても聞きたかったので、通常版も買いました。
アルバム「インク」は歌詞カードも非常に凝っていて、見ていて楽しいのだけれど、96、218、共にデザインが秀逸。
twitterでフォローしている人が「ヴォーカルのいるバンドがインスト曲をやる意味に気がついた」と言っていて、その言葉を見てわたしも自分なりに気がついたことがあって、ふしぎな感じがした。かなしいことのような、そうじゃないような。「バンドの強さ」とか、そういうことを考えた。有村さんの病気のことも。うまく言葉にできない。
Plastic Treeというバンドはこれまでもいくつかインストの曲を作っていて、それはまだササブチが在籍していたころの「回想、声はなく」から始まるのだけれど、順を追って聞いていくとどんどん成熟してゆくのがよくわかっておもしろい。「回想、声はなく」は展開が目まぐるしくて、ひたすらに重なっていく轟音が楽しいのだけれど、生き急いでいるような音で、きりきり限界の速度で回転する歯車が壊れる寸前というか、そういう音だから聞いていて少しきつい。一方、ドラムがケンケンに変わってから作られた「―――暗転。」は、一曲をじっくり聞かせるアレンジになっている。この曲はライブでも演奏されていて、最初の頃は危なっかしくて聞いていられないことも多かったのだけれど、回数を重ねるにつれてどんどん進化していって、今はもうライブでやってくれると飛び上がって喜んじゃうくらい。そうやって一曲をじっくりと育ててきた上での、新しい曲。
ミドルテンポの淡々とした曲で、派手な盛り上がりはない。でも、わたしはこれまでのインスト曲の中でいちばん好きだ。
96はさらりと聞け過ぎてしまうので、218の方が好きです。

12.ロールシャッハ(右)
ロールシャッハ(左)と対になる曲。
柔らかいギターにのせて、
「ひとつ ふたつ
 鏡のうえにヒビが入り割れて崩れた」
と有村が歌う後ろで、カチリ、カチリとヒビの入る音が聞こえる。
シングル「シオン」のPVで、有村と有村が向き合っているシーンがあるのだけれど、それを彷彿とさせる歌詞。目の前に立つ自分。もうひとりの自分。背を向けて行ってしまう。
それでも彼は、「まだまだ文字を書く」のだろうな。そしてわたしたちは、貪欲にそれを貪るんだ。

「「あいたい」だとか「あえない」だとか「ひつよう」だとか「いらない」だとか
 全部 消えてしまったのにな おなじような唄」
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ノーノーノー!

 後藤まりこの新しいアルバムをようやっと買ったよ!まだ途中までしか聞いてないけど、あたしすごく好き。ライブで聞いた曲がぜんぶ入っていて、嬉しいな。そしてまりこが音楽をやっていることが、音楽のCDを出していることが、なんだかすごくふしぎな感じだし、それに、嬉しい。
 前に仕事で長崎に行ったとき、長崎の気に入っているビストロで鳩をたべたのだけれど、そのときあたしポメラで日記を書いていて、その記事ではあたしにむしゃむしゃ貪られた鳩についても言及していて、そこからミドリの鳩という楽曲まで話は派生していて、でも、なにしろ酔っ払いながら書いていたせいで文章が支離滅裂で、いや、もちろん、あのね、あたしの文章はいつだって支離滅裂に決まっているのだけれど、それにしたってあまりにも悲惨なありさまだったからその日記はお蔵入りしちゃったのね。そんなどうでもいいことを思い出した。
 ミドリっていうバンドはバンドだったけれど、音楽をやっているバンドというよりはひとりの女の子が自殺する過程を取ったビデオ・フィルムの名称だったんじゃないかなと今でも思っていて、だからそうやって飛び降り自殺してしまった女の子がいまこうやって音楽のCDを出していることがすごくふしぎな感じ。奇跡的と言っていいと思う。でも、当たり前と言っちゃえる気分もあるし、なんなのかな。変なの。
 ミドリのラストライブのDVDを見ていると、心臓がざわざわして意味がわからないのだけれどすごく悲しくなって、怒りたいような笑い出したいような、奇妙な心持ちになって、すごく好きなんだけど、見るのはいつだってちょっとこわい。「スピードビート」以降は早送りとか巻き戻しとかそういった操作の一切ができないような、そんなこわさがあって、やっぱりなんだか、ざわざわする。始めようか・始めようか・終わりを始めようか・とまりこが言って始まる「どんぞこ」で本編は終わって、そしてアンコールでは昔と同じセーラー服を着たまりこが頭から血を流しながら、終わったとこから始めよう・と言う。自殺する女の子のビデオ・フィルム。ミドリの音楽は基本的にリズムだけで構成されていて、メロディはなかった。まりこはボーカルだったけれど歌ってはいなくて、だいたいは叫んだり、がなったり、呟いたり、喋ったりしていた。いちばん最後のアルバムで、初めてまりこが歌って、ミドリにメロディが発生した。そのあとすぐにミドリは解散した。
 まりこの新しいアルバムは、ポップで、キッチュで、かっこいい。あたしは「うーちゃん」と「ゆうびんやさん」がだいすき。音楽だなあ、って思う。そう思えるものがこの世に存在していることが、すごいなあ、って思う。

スレイプニールの背骨

■1、僕のはなし
 なになにそんなに僕の話が聞きたいの?じゃあ話してあげる!
 えっとね。
 髪を切ってから思い出したのだけれど、僕はむかし、男の子になりたかった。小学生くらいのころだ。もし生まれ変わるのならば、ぜひ男の子になりたい、と思っていた。母が、ピアノの発表会用にひらひらしたかわいいお洋服を選んでくれたときも、僕はさんざん泣いていやがった。うすい黄色の、控えめなフリルの、かわいらしいワンピースなんて、僕は絶対に着たくなかったのだ。当時、僕の服のほとんどすべては兄や従姉のお下がりで、新しい服を買ってもらえるだなんて極めて稀少なイベントだったのだけれど、それでも僕はそれを拒否した。絶対に、着たくなんてなかった。
 結局その日は、デニムでできたカジュアルなツーピースを買ってもらった。飾り気がなくて、特別な日の服、といった風にはまるで見えなかった。事実、発表会以降、僕はなんでもない日にそれを着ていたように思う。発表会当日、うっすらと化粧をしてひらひらとしたドレスを着た女の子たちの中で、僕は明らかに浮いていた。それでも僕は、そんなこと、ちっとも気にならなかった。
 大人になった僕は、ひらひらのワンピースを好んで着るようになった。でも、いまの僕でも、あのときと同じ状況に陥ったとしたら、同じ選択をすると思う。だっていまでも僕は、化粧や帽子や、お気に入りのハイヒールや、そういったあらゆる細部に補助されてやっとひらひらのワンピースを着られるようになるのだから。そういったあらゆる細部を自由にできないまま、武器を持てないまま、ただただかわいらしいお洋服を着せられるなんて、惨めだ。似合わないワンピースと自分を鏡の中に見つけて、きっと死にたくなるだろう。あのとき泣いて抵抗した僕のことを、僕はえらいねと褒めてあげたい。手法はみっともなかったけれど、僕はきちんと戦って、僕の矜持を守り抜いたのだから。
 とりあえず、今日の僕のお話はこれでおしまい。今度は、ヘアピンの話をしてあげるから、待っていてね。バイバイ。

■2、遊んだはなし
 出張から帰って五日間は休みだったので、その間ずっと遊び歩いていた。わたしにとって遊び歩くことは飲み倒すことと同義なので、自業自得なのだけれど、ずいぶんと肝臓がつらい。中学校時代の友だちと会ったときは、気がつかないうちにワインを二本開けてしまったし、実家に顔を出したときも、料理をしながらずっと飲んでいた気がするし、貝波さんと会ったときも桜井さんと会ったときもKさんと会ったときも、わたしはずっとお酒を飲んでいた。
 貝波さんとは渋谷で会った。ずっと行ってみたかったフレンチに行こうとして、迷子になり、小雨の渋谷をさまよい、やっとたどり着いたと思ったら予約でいっぱいで、とぼとぼとお洒落なフレンチを後にした。帽子の欲しかったわたしが、帽子屋さんへ行くことを主張したので、わたしたちは連れ立って帽子屋さんへ行った。帽子屋さんの二階には、すごく大きなつばを持ったクラシカルな麦わら帽子があって、それが欲しかったのだけれど、庶民には手の届かない値段だったので、あきらめた。帽子屋さんへ行ったあとは、デニーズへ行って、お昼ごはんをたべた。貝波さんは豚と夏野菜をグリルしたもの、わたしは鰺のたたきをごはんに乗せて冷たいお出汁をかけたものをたべた。ビールを飲んで、ワインを飲んだ。まどかマギカのDVDを返してもらって、Plastic TreeのCDを貸して、後藤真希のDVDを借りた。あとから気がついたのだけれど、わたしが貸したPlastic TreeのCDには、中身が入っていなかった。彼女はきっと、思う存分ジャケットを愛でていてくれるものと思う。デニーズを出て、雑貨屋さんに寄ったら、お互いに電車の時間になったので、帰った。
 桜井さんとは新宿で会った。桜井さんは三〇分くらい遅れると言うので、三丁目にある「馬鹿とけむり」で、飲みながら待っていた。秋田の「ど辛」というお酒があって、名前がいいなと思って頼んだら、残り少ないからぜんぶどうぞ、と一杯+α飲ませてもらった。嬉しかった。定期的に「読みたいなあ」という気分になる「きらきらひかる」を読んでいたら、睦月が瑞穂にぜんぶ話してしまって笑子が泣いて怒ってついに両親もやってきて、というすごく盛り上がるところで桜井さんがやってきたので、なんて間の悪いひとなんだろう、と思った。でも、お菓子をくれたので、なんでも許せる、とも思った。お菓子だけじゃなくてお酒もくれたので、神さまかもしれない。でも、お酒ははるかむかしの新潟のおみやげらしかったので、そんなむかしのおみやげを今さら、なんてあきれてしまうし、神さまならきっとわたしをあきれさせたりしないし、だからほんとうは、神さまじゃなかった。ちなみにわたしも、一年前のおみやげを渡した前科があるので、やっぱり神さまじゃなかった。神さまじゃないわたしたちはお酒をもう二杯か三杯くらい飲んで、トマトと茄子のおひたしや豚の角煮、お刺身なんかをつまんだ。二時間たったら丁寧に追い出されたので、日比谷バーに行って、お酒をもう少し飲んだ。わたしはウイスキーとカクテルを飲んだ。ぐだぐだしてから、帰ろうか、と言って帰った。桜井さんは相変わらず、わたしの五分の一くらい喋った。
 Kさんとも新宿で会った。わたしがリリカルなのはの映画を見たいと主張したので、彼女はつきあってくれた。わたしは前日に宣言した時刻より二時間遅れて到着した。二時間も遅刻するわたしは、やっぱり神さまじゃなかった。そして、ぜんぜん怒らないで駅まで迎えにきてくれたKさんは、神さまかもしれなかった。神とそれ以外で連れだってミラノ1へ行って、チケットを買った。短い列があったので、それに並びながら、ハーゲンダッツをたべた。Kさんはストロベリー、わたしはクッキーアンドバニラをたべた。ハーゲンダッツをたべて、ゴミを捨ててから、真ん中の席に陣取って映画を見た。二時間半ある映画のうち一時間くらいは泣いていたので、顔はたいへんなことになっていた。それからレバ刺しを出してくれるらしいお店に行ったけれど、レバ刺しはなくって、打ちひしがれながらほかのものをたべた。Kさんはレバーが好きじゃない、ということを、わたしはすっかり忘れていて、あっこんなところにつれてきてごめん!と思ったけれど、Kさんは「たべられるようになったかも…」と言って焼きレバーをたべていたので、よかった。レバーのお店を出て、魚のおいしいお店へ行って、お酒を飲んだり魚やごはんをたべたりした。ごはんは、たべきれなくて、残した。大食いとしては屈辱的なことだし、なにより、お店のひと、ごめんなさい。すっかり眠たくなったので、バイバイと言い合って、帰った。なんだかずっと、たべてばかりいた。

■3、沖縄のはなし
 仕事でいま沖縄にいるんだけど、この時期の沖縄は暑いね。灼熱。これからさらに、もっと暑くなるのだろうけれど、もうじゅうぶん、灼熱。仕事の具合はあんまりよくなくて、先方の返答は芳しくないのだけれど、でも仕事が終わってからのんびりと海べりを歩いていると、そういったこともなんだかどうでもよくなる。どうでもよくなっちゃいけないんだけどさ。でも、とにかく、僕はいまそうやってゆったりしている。バーの、海の見えるテラス席の、隅っこに腰掛けてモヒートなんか飲んで、煙草を吸ったりしてね。BGMはさっきから、R&Bとボサノヴァが交互にかかってる。僕以外のお客さんたちはみんな連れだってやってきている。スキューバ帰りのひとが多いのかな。僕はあんまりうるさいお店はきらいだけれど、知らないひとたちの静かな会話がゆるゆると混ざって沈殿してゆくみたいな、そういう雰囲気のお店は好きだ。ここは、テラス席だからかもしれないけれど、いろんなひとたちの会話がいったん床に沈み込んでから、視界いっぱいに広がる静かな海に向かって雫れてゆくみたいな感じがして、いいな。僕は仕事でよく沖縄を訪ねるのだけれど、歩き方を覚えると、僕みたいにマリンスポーツとは無縁の人間でも、楽しいんだよね、南国。僕はペーパードライバーなので、もっぱらレンタサイクルで出かけるのだけれど、オフが一日あれば、十分いろんなところへ行ける。世界遺産を見るのもいいし、基地の周りで雑貨屋さんや古着屋さんをひやかすのも楽しい。お昼はホテルにこもってシエスタを決め込んで、日が沈む頃になってから、もそもそと起き出して海沿いを散歩するのもいい。一昨年は残波岬まで行って、夕陽をぼんやりと見たんだ。じわじわと沈む太陽が、海の中へゆっくりと、その色を吸収させていくさま、揺らめくさま、静かに朽ちるさま、そういった姿を見ていた。日の入りは好きだ。一日が死んでゆく光景が、あんなにも美しいなんて、しあわせで泣きたい気持ちになる。そしてそうやって日が沈んでも、また次の日には、必ず日は昇る。僕はそれがとても、とても神々しいことのように思えるんだ。死んでもまた生き返る。死んでもまた生き返る。
 ねえ僕には、いらないものが多すぎるんだよ。そのことについて君は、いったいどう思うんだい?

■4、煙草のはなし
 沖縄のはなしで、煙草という単語が出たから、煙草のはなしをしようか。
 このブログを書き始めたころにも書いたことだと思うのだけれど、わたしは嫌煙家だ。これは煙草に限ったはなしではないのだけれど、とにかく、嗜好品に依存している他者、というものは気持ちがわるい。それに、喫煙者は、仕事の途中でも「一服」などといって頻繁にいなくなるし、煙草が切れるとイライラし始める。小学生よりも遙かに自制のきかない生きものだ。それに、なにより、くさい。煙草のにおいは、気分がわるくなる。煙草の煙そのものも不快だし、煙草を吸っているにんげんの体臭も不快だ。あと、口臭。地獄のようなにおいがする。このような匂いに対して無頓着でいられるなんて、生物ではないのではないかと疑う。煙草なんて嗜好品なのに、それにすっかり依存してしまっているだなんて、犬のようだし、ばかみたいだ。体に対する悪影響、というよりは、他者に与える不快さがここまで明確に表現されるようになっているのに、未だに時や場所を弁えず我が物顔で煙草を吸っているにんげんは、旧人類だと思う。
 という主張を持っているわたしは、書いているからわかると思うけれど、喫煙者だ。吸い始めた動機は、職場の同僚の多くが吸っていたから。みんな吸っているから吸ってみたい、ということではなく、飲み会などの避けられない席で無神経な彼らの吸う煙を吸うのが不快で仕様がなくて、あんなくそやろうどもの副流煙を吸うくらいならば、自分で吸った方がましだ、という結論に達したため。煙草屋さんで、わたしでも吸えそうなものを買って、避けがたい喫煙の場に放り込まれた場合は、それをわたしのフィルターにした。
 吸い始めてずいぶん経つが、いまでも別に、煙草がなくてもぜんぜん困らない。でも、吸う場所は、職場の飲み会以外にも、少し増えた。それは、ライブ会場だったり、空気のきれいなところでお酒を飲んでいるときだったり。あと、喫煙者や元喫煙者の、煙草の煙に対して不快感を抱かない友だちとお酒を飲んでいるときもそうだね。なんというか、煙草には、適した場所があるのだ。お酒とおんなしで、嗜好品なのだから、あるべき場所で、適度に楽しむのがふさわしい。
 ここではなしを発展させて、それからまとめようとしたのだけれど、酔っぱらっているので、やめた。それはまた今度にする。
 その代わりに、わたしがずっと吸っている煙草のはなしをする。
 わたしが好んで買っている煙草は、レディローズという煙草だ。パッケージがきらきらしたビビットなピンクなので、すごく目立つ。あまり吸っているひとがいないので、知らないひととの飲みの席でも、話の種になるので、重宝している。わたしは先述のとおり、煙草が基本的に好きではないので、煙草らしくないこの煙草が好きなのだと思う。これ以外のものもたくさん試したのだけれど、基本的に、だめだ。だからわたしは、レディローズを持ち歩くようにしているのだけれど、消費するペースが半年に一、二箱程度なので、だいたいいつも、湿気っている。それに、煙草を買うという習慣がないので、たびたび買い忘れて、出先で困る。だからわたしは、仕事なりプライベートなりで知らない土地へ行くと、たびたびレディローズを探すのだけれど、だいたいいつも、見あたらない。たまに、レディローズは、非実在煙草なんじゃないかと、疑う。
 今日もレディローズは見あたらなかった。でもわたしは、特に困らない。海辺のテラスのカウンターで、一本吸って、なくなってしまったけれど、もう満足しているから、いらない。一本のレディローズは、きれいな空気に不純物を浮かべて、そのまま沈んで、そして海へ散っていく。モヒートを飲み終わったわたしは、ワインを二杯飲んで、いまはウイスキーを飲んでいる。ジェムソン。黄金色の、とろり。目を閉じて、それを舌先に乗せる。びりりと痺れる。あまく香る。海辺にいる。
 夏の夜だ。

■5、lynch.の「INFERIORITY COMPLEX」のはなし
lynch.の新しいアルバムの「INFERIORITY COMPLEX」を買った。わたしlynch.はライブばっかりが大好きで、曲ももちろん好きなのだけれど、でも、音源単独ですごくいいなあと思ったことはほとんどなくて、だけどでもこれはものすごくいい。好き。ちょうかっこいい。文句なしの最高傑作だと思う。PVはちょっとダサいけど、リフもメロディもかっこいいし、歌詞も前よりずっといい。タワレコのポップには、「音楽性の広がりを見せた前作と違い、激しさに特化した作品」とか書いてあったけれど、激しい、というのは少し違うように思う。激しいはまあ激しいのだけれど、このアルバムは、以前と比べてずっと、メロディアスで、ポップで、ドライで、タイトだ。あと、ドラマチック。以前のlynch.はもう少しウェットなバンドで、どろどろというか、ねとねとというか、そういうところがあったのだけれど、今回のアルバムはすごく乾いている。冬の、すごくさむい夜の、乾燥した空気を、カァンと突き抜けて響くさまが想像できる。それは感情的じゃなくなったというわけではなくて、むしろこれまででいちばん感情的なアルバムだと思うのだけれど、うーん、なんというか、感情をそのまま表現したのではなく、感情を音に置き換えて、きちんと曲にするプロセスを踏んでいるように感じられる。なまものの感情をそのまま差し出されるのではなく、きちんと昇華されて「音楽」になっている、という印象。だから一曲一曲が散漫でなくタイトにまとまっていて、クオリティが高い。あと、これはむかしからだけれど、すごくうるさいのにとってもメロディアスだ。それに、シャウトも聞きやすくて、ポップ。(わたしの使う’ポップ’はいつも褒め言葉。)ヘヴィで、なおかつ、ポップだなんて、素晴らしいじゃない。あと、それから、このアルバムは、ちょっぴりドラマチックだ。わたしは本人たちのインタビューなどは読まない質なので、(こだわりがあるわけではなく、単に面倒くさいので)ほんとうにそうなのかどうかはわからないけれど、震災を受けて書いたのかな、と思われる曲がいくつかある。それと、タイトルになっている、救いがたいほどの劣等感。それらが絡み合って、血反吐を吐いてでも這ってでもなにを失っても進む、進まざるを得ない、それ以外の選択肢がない、という絶望的な希望へと向かってゆく。lynch.の曲はネガティブなワードをたくさん含むけれど、本質的なメッセージが強烈にポジティブで、どこまでも貪欲で、わたし大好きなのだけれど、そういった部分が全面的に出ているアルバムだと思う。ちょっとなんかもう、大絶賛である。仕事のせいで今回のツアーはまだ一本も行けていないのだけれど、「今年の夏は遠征禁止」という自分への誓いなど軽々と破って、京都と奈良へ行きます。大好きだよ、と伝えたい。あなたたちの音楽が大好きだよ、あなたたちの音楽にまみれてぐちゃぐちゃに気の狂うほど踊ることが大好きだよ、そう伝えたい。

■6、日記と小説のはなし
 つい先日、とても個人的な小説を書いた。小説なんていつだって個人的に決まっているけれど、その中でも特に、ということ。それは限りなく日記に近くて、でも日記ではない。日記ではなく小説である、とわたしが言う理由は、その文章に多くの虚構が組み込まれているから、ではない。だって虚構なら、日記にだってたくさん、組み込まれているもの。だからそういうことではなくて、あれが日記ではなく小説であるという唯一の根拠は、それを書いていたときのわたしの意識が、それを日記ではなく小説であると認識していた、それだけ。わたしが日記だと思えばそれは日記であるし、わたしが小説だと思えばそれは小説なのだ。つまり、両者に差異なんてない。それらはいずれもわたしが書いた文章であり、純粋なノンフィクションではない物語で、そうであるのならば、わたしはもっと、自由になってもいいのだ。こういった方式で書いたから日記なのだ、とか、こういった手法で書いたから小説なのだ、とか、そういった些末なことは、もう、考えなくてもいい。日記も、小説も、変わりないのだ。だって両者は等しく、わたくしである。両者が等しくわたくしであるのならば、その境目など、わたしの一存で決めて構わないし、わたしの一存で決めて構わない程度のものなら、ほんとうは、存在しやしないのだ。誰かがわたしの小説を読んで「これは日記だ」と言ったり、誰かがわたしの日記を読んで「これは小説だ」と言ったり、したとしても、それらの一切はわたしの文章とは関わりがないし、そして同時にそのいずれもが真である。いずれも、同じものなのだ。変わりなんてないのだ。
 そんな風に思うようになった。
 わたしの日記とわたしの小説はどのように違うのだろう、ということは、もうずいぶんと長いこと考えていたことで、それについての実験を、わたしはいくらかしていた。たとえば二〇一〇年十二月六日の「スタンダップシスター」や二〇一一年十月十二日の「ぶっちぎれ」の■9、二〇一一年十一月二日の「世界の輪郭を作るアクリル板に触れる、それは絶対でないことを知る、折れそうなほど、頼りなく、透き通っている。」の前半などは、小説の手法で日記を書いたものだ。でも、結局、それらはやはり日記にしか見えないし、小説だと言われれば小説かなと思う、というようなものでしかない。だから、境界線を引くのは、定義を求めるのは、名前をつけて安心するのは、もう、やめることにしたんだ。
 わたしはもっと自由でいい。
 自分の日記や、書きかけの小説を、さいきん一気に読み返した。すごくおもしろい。ようやっと、わたしのナルシシズムが復活してきた。どうか自意識よ、もっとわたしを過剰に愛して、そしてどうか、文章を。わたしの生に文章を。わたしの生に意味を。音に言葉に無意味な意味を。
 まだだ。まだ早い。まだ幕を下ろすには早すぎるんだ。
 わたしはまだ生きていける。

■―
それでもどうせまたすぐに「もういいかなあ」はやってくるのさ。それでも死なない限り、僕は生きてゆく。死ぬまでは終わらないのさ。残念なことにね。

文学だけが十代の私を殺さなかった

辻村深月の「スロウハイツの神様」が文庫落ちしたので買って読んだ。すごく面白かったし、現在文庫落ちしている彼女の本の中では、私はいちばん好きだと思う。「ぼくのメジャースプーン」も大好きなので、ほんとうに「スロウハイツの神様」がいちばんか?と尋ねられたら、しばらく迷うけれども、でも、やっぱり、結局は、「スロウハイツの神様」がいちばん好きだ、と答えると思う。むかし小説に生かされた時代のある人は、きっと分かると思う。
すごく単純な、「十代の赤羽環は死にたかった。」というだけの一文が、ゆっくりと、その言い回しが重ねられていくにつれ、重くなってゆくことがかなしかった。最終章、「二十代の千代田光輝は死にたかった。」の単純な一文で泣けた。
ほんとうに面白かったので、いつか気が向いたら感想をちゃんと書こうと思う。

ひかりのようにあなたの命はまるで遠くから降り注ぐようでした

おはよう なんか再起動

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20100131sun
桜井さん今村さんと新宿朝十時という狂っているとしか思えない時間に待ち合わせをする。あたしは今村亮さんという人には面識がなかったのでこれが初対面だった。初対面だったのにあたしは挨拶するとき椅子から立ちもしなかった。今ふと思い返して超後悔している、と書けば埋め合わせができるとあたし信じてるんるんるんたった。日記を書くのが久しぶりだから文体を見失いがちです。行かないで文体。あたしを置いていかないで文体、心だけ連れてゆかないで文体。
そんなことはどうだっていいんですが、今村亮さんについてあたしが所有している知識は、【一、なんか攻めたいらしい/一、なんかワーカホリックらしい/一、なんか変な髪形らしい】という三点くらいで、なんか別に全然知らない人だったんですけど、どくろだったし、出身が熊本だったし、みなみけを褒めていたし、面白かった。あと、なんかずっと、「キャメロンまじで頭わるいよな」と言っていた。ところで髪型は自己申告で「変」ときいていたのだけれど別に全然変じゃなかった。あたし今村さんにお会いしたらとりあえず頭を思い切り指差してぎゃはぎゃは大爆笑しなくちゃなあるんるんと思っていたのにしかし髪形は別に変でなくああほんとう楽しみのひとつを潰されて大変に遺憾ですどうしてくれるのですか。変じゃないじゃん面白くないじゃんぷんすかぷんぷん。あたしがバリカン持ってたらその場でモヒカンにしてやったのに!
新宿朝十時という狂っているとしか思えない時間にされた待ち合わせの主旨は「アバターについてあれやこれや言う」というものだと思っていたのに、なんか最初あたしがそういう主旨の発言をしたら「あれ?そうなの?」みたいなリアクションをされてこの日のために特に観たいとも思っていなかったアバターを二千円も払ってみたあたしの立場はぷぎゃー。二千円。バカじゃないの。うちの近所のシネコンではスリーディー上映は全部一律二千円で映画の日でもレディースデーでも老人でも子どもでも学生でも全部一律二千円で、あたしは「あらんそゆもんなのねん」と思ってなんの感慨もなくレイトショーで二千円ちゃあんを手放して観たわけだけれど桜井さんはなんかレイトショーで千五百円で観たとかゆってて「は?」と思いました映画館ごとに五百円も値段が違うとはこれいかに許すまじ世界征服。でも結果的にアバターのはなしはきちんとできたので良かったです。今村さんはやっぱり「キャメロンまじで頭わるいよな」って言ってた。人類学の話とかしていてふんふんと思った。「人類ばーさすナヴィ!科学ばーさす自然!ていう対立項を明確にしたいならなんでナヴィ側が自然と協力とかするときUSBみたくにゅっと接続するのそれなんの比喩だよちょう変キャメロンまじで頭わるいよな」「英語教育すばらしい!みたいなのマジで書いてるんだったらキャメロンまじで頭わるいよな」「キャメロンまじで頭わるいよな」。桜井さんはあんまりいっぱいは喋らなかった。日本酒飲ませるわよと思った。喋らなかったくせに自分のブログではなんか書いてる。このネト充が!(いい意味で)((いい意味で)と書けばだいたい許されると思っている)(それがあたしの宗教です)(ひとの宗教に口をつっこまないでください!)

アバターについて思うことを全部書いたら気持ちが悪くなるので書きません。

待ち合わせをしニ時間くらいくっちゃべった舞台であった新宿の喫茶店は、なんだかフレンチトーストのおいしいお店だったらしいので、フレンチトーストを頼んで食べた。今村さんは「俺ふだん朝ごはんなんて食べない。これは何日ぶりの朝ごはんだろう」なんてこわいことを言っていた。「死んじゃいますよ」と言っておいた。今村さんは桜井さんに「おまえ朝ごはん食べる?」と尋ねていた。桜井さんは「食べますよ」と言っていた。そのことについて今村さんはなにか桜井さんに対して罵倒をしていた気がするけれど全部忘れた。だいたいいつもなにも覚えていない。
喫茶店のフレンチトーストは甘くておいしかった。ふこふこしていた。喫茶店一押しの目玉商品であるフレンチトーストについて、今村さんは「はんぺんみたい」と言っていた。あまいはんぺん。「じゃあいっそはんぺんにクリームを挟んで食べればいいです」と言ったら「きもちわるい」と言われた。ふほんい。「でも(なにがどう「でも」なのか)香川はお雑煮にあんこ餅が入っているらしいですよ」と先日ついったで手に入れたマメ知識を披露したら、やはり「きもちわるい」といわれた。香川のお雑煮にあんこ餅が入っているのはあたしのせいじゃないのに。
私の実家のフレンチトーストは甘くないというはなしをしたら、前方ニ方向から「なにそれおかしい」と非難された。もう生きてゆけない。

劇団鹿殺し、演出は面白いのに脚本がいつもいまいちだという話をした。
いい話にしたがるところがきもちわるくてうざったくて鼻につくという話をした。そこまで思っているのはでもあたしだけかもしれない。
演劇ではずれをひくと猛烈に頭にくるという話をした。

今村さんは噂どおり忙しいひとらしくて、途中途中でぽつぽつと電話をしていた。電話をしている今村さんの横で桜井さんとあたしは今村さんとあんまり関係ない話をしていた。

フレンチトーストと一緒に頼んだパニーニのお皿に取り残された檸檬が哀れだったので、心優しいあたしは檸檬を桜井さんのお水の入ったグラスにつっこんであげた。檸檬は水を少しすっぱくして、なんかクエン酸的なあれで、桜井さんの疲れを優しく癒すはずだった。そんなあたしの心優しい行いに対して、桜井さんは、「え?なにこれ?え?」と言っていた。「意味がわからない」とも言っていた。優しさは儚く散っていった。世界は潰えた。

 *

十二時前になると今村さんは「そろそろhttp://www.katariba.net/">カタリバに行きます」と言った。「資料の袋詰めを手伝わせてあげても俺は構わないぜ愚民ども」的な発言をされた。(うそ)あたしと桜井さんは午後池袋の新文芸坐で「ミツバチのささやき」を観る約束をしていたのだけれど、上映時間は十五時二十分だったので、それまでは暇で暇で仕様がなかった。(うそかもしれない)桜井さんに「美術館か美術館か映画館に行きませんか?」と言われたけれども、あたしはカタリバ大学とかいうものにかかわっているひとはいったいぜんたいどういうひとなのかすごく興味があったので、袋詰め行きを主張した。あたしたちは袋詰めになった。(うそじゃなくてひゆ。なにかの)
カタリバの会場で声の大きなひとたちに怯えながら資料を袋詰めにした。こういう資料作りは文部科学省の役人が早いんだよという噂をきいた。へえと思った。ないかくそーりだいじんの演説とロッテリアの意味がよくわからなかった。いのちをたいせつに。かんぼーふくちょーかんとかいうわけのわからないひとも来るらしいので始まる前に早々に退散した。面白かった。

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時間が余ったので渋谷へ行って人形を見た。入場料千円は高いと思った。
現代詩のイベントみたいな、内輪に向かいすぎてぶすぶす発酵しまくっている空気を感じた。どろどろだった。
オナニーとオナニーじゃないものが混在していた。
人形のお部屋を出て喫茶店でコーヒーを飲んでスコーンを食べた。スコーンは口が渇く。

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人生で三度目くらいの池袋訪問をした。池袋はなんだか池袋だった。
新文芸坐はきれいな建物だった。新文芸坐のフォントがかっこうよかった。文芸の形がかっこいい。あたしは嬉しくなって褒めた。入場するときに貰った「しねまんすりぃ」というチラシのフォントはかっこうわるかった。ネーミングもひどいと思った。あたしは嬉しくなってけなした。
すごく混んでいたけれど、普段はこんなに混まないらしい。桜井さんは、「日曜日だから」と「人気だから」を言った。そうなのかと思った。人がたくさんいたのでスクリーンの右端にひっかかるかひっかからないかくらいの右端で見ることを強いられた。最初はかなしかったけれど、じいと見ていると、そのうち気にならなくなった。

「ミツバチのささやき」はとてもいい映画だった。すごく好きと思った。アナは世界が打ち震えるほどにかわいい。唇をきゅっと閉じてじいと注視しているところがすごくかわいい。おかあさんに髪の毛をとかしてもらうところがかわいいし、ブラシで石鹸あわあわでくるくるするところもかわいい。イザベルもかわいい。黒猫の首を絞めて、噛まれて、特に表情を変えないところがかわいい。死んだふりがかわいいし、不恰好な手袋をしてびっくりして振り返ったアナにうふふと笑うところがかわいい。ふたりが囁き声で夜中の内緒話をするところがかわいい。ベッドのうえではしゃいでまわるのがかわいい。お洋服も、小物も、ぜんぶがかわいい。お互いの名前をたくさん呼ぶところがかわいい。
映画内映画でフランケンシュタインが女の子と話すところや、イザベルが大人の男性用の手袋をしてアナの口を塞ぐところや、アナが井戸の周りをくるくる回るところや、逃亡している男性とコミュニケートするところは、こわくてどきどきした。でも、最後のほうの、外で一晩明かすアナに、フランケンシュタインがゆっくりと迫ってくるシーンが、いちばんこわかった。アナは目をふうと見開いてじいとしていた。黙っていたし、動かなかった。見ていた。水に姿が映ってゆらゆらしていた。あたしは彼女の感情をリアルだと思った。あたしは彼女の行動をリアルだと思った。
ミツバチはうごうごしていたし、ひかりは射していた。ひかりは暗いところにまっすぐな線をひいたり、芒洋と影を浮かび上がらせたりした。
アナの髪の毛はきっと柔らかくてさらさらなんだろうなと思った。

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池袋の居酒屋さんでお酒を飲んでご飯を食べた。お客さんは少なくて、ジャズがわしわしかかっていた。シーザーサラダと鶏南蛮と揚げ出し豆腐を食べた。お新香も食べた。桜井さんは日本酒を飲んでいて、あたしはワインを飲んでいた。グラスとフルボトルしかなくて、デカンタがないのはけしからんことだと思った。
だいたい他人のわるくちを言っていた。楽しかった。
宮沢賢治は狂っているとか、そういう話もした。とにかく固有名詞や擬音が読みにくすぎる。なにを思って書いたのか。なにカムパネルラって。なにグスコーブドリって。なに「おおほいほい。おおほいほい。」って。読みにくい。覚えにくい。意味わかんない。好き。
太宰は川端に「俺をばかにするなんて!刺すぞ!」と言ったのだから、舞城だって石原に「俺を選ばないなんて!家中のウォッシュレットの電源を落すぞ!」とか、「俺を選ばないなんて!気がつかないうちにおまえの家の電力を二十アンペアに設定しておいてやるぞ!すぐにブレーカーが落ちるぞ!」とか、言えばいいのにな、とか話した。
でももうだいたいぜんぶ忘れた。

あたしが欲しいものはあたしが大切にしているものの中にしかなくて、政治はたとえばがんばっているのかもしれないけれど、政治がなんとかしたいと考えているところに所属しているにんげんは政治がなんとかしようとしたところでなんにもならないのであって、政治がなんとかしようと思った時点でなんとかならないことが確定しているのであって、意味なら必要ない。

社会がやろうとしてることは、それは小説の仕事だ。小説の仕事だし、映画の仕事だし、舞台の仕事だ。あるいは音楽の仕事かもしれないし、ダンスの仕事かもしれない。いずれにしても、それは社会の仕事ではない。
あたしはあたしの欲しいものを手に入れるためにあたしが大切にしているものの中からあたしが大切にしてるものや軽んじているものや嘲笑しているものをまるっとかためて手に入れる。そしていろんなひとに見せびらかす。それがあたしの仕事で、だから、あたしは、あたしが、生きていないなんて、誰にも言わせない。
(というスタンスを打ち出すことは、そうでないスタンスを殺すことではないということを、説明しなくてはわかってもらえなかったり、説明してもわかってもらえなかったり、することが、ずっと、こわかったのは、ほんとうにばかみたいで、そんなことはひどくまっとうなことじゃないか。言えばいいし、伝わらないし、でも言えばいいし、だけど伝わらないし、それでも言えばいいし、伝わらなくても、言えばよかった。希望というものはいつだって違うものの形をしていて、それでも、希望だと信じれば希望になった。しんしん。)
必要なのは盲目だし、それでも必要なのはひかりだった。

 *

一年くらい前(たぶん)に、「正しく生きたい」「善く生きたい」と誠実に切実に訴えていた人に「正しいなんてきもちわる」と私は言った。当時その人は奇妙な自己啓発のようなものにはまっている気配があって、「そんなの考えなしで、宗教じみててきもちわる」と私は言った。たぶんその人は私のことを嫌いになった。おそらく電話番号もメールアドレスも削除された。日記も辿れなくなった。交流の一切は絶たれた。でも私はそのときの自分の発言を後悔していないし、悪いことをしたとも思っていない。もちろん、正しいとも、思っていないけれど。
否定されない世界に意味なんかない。否定される程度でなくなる世界に意味なんかない。
言えない言葉に価値なんかない。
関係なんかできないけれど、誰とも関係なんかしたくはなかったけれど、言葉のない場所にはいたくなかった。
言葉なんかなんのツールにもなれなかった。しかしそれは言葉だったし、私は言葉が好きだから、ただそれだけでよかった。
好きな人を嫌いになったり、好きな人に嫌われたり、することに対して本当にストレスを何一つとして感じない不感症だとでも思ってるのかよばかやろう。ちくしょう。言葉を投げても言葉なんて返ってこない知ってる。
でもそれでも言葉を投げることが好きだ。
それしかいつもできない。

 *

一国の首相が「いのちをたいせつに」なんて演説をしている時点でなにかがおかしい。バカか。

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SHADOWS昨日フラゲしたよ

20090708104835
昨日はヘヴンにかかりきりで聴いてなかったので今聴いてる。てゆうかジャケットほんと格好いい!あさぬすげえええ!ちなみに今は二曲目のADORE聴いてるとこだけど新録になってるよ!超イケイケになってるよ\(^o^)/葉月の「ハッハー」がライブのときに近くなってるよ!シングルのも好きだけどこのアルバムのもいーなーしかしどれだけ新しく録っても「DIVE!DIVE!DIVE!」は「やーいやーいやーい!」なのな\(^o^)/

 *

ちゃんと聴いた。今のところ「最高傑作」という言葉が相応しいアルバムだとはあまり思えないな。
いつものlynch.で、新しいところも開きつつ、悪くはないのだけれど、悪くはないだけでずば抜けていいってところがあんまりない。CULTIC MY EXECUTIONはすごくいいと思うけれど、今のところ突き抜けていいなと思えた曲はそれだけかな。ライブで何回も聴いちゃってる曲が多いから、そう感じるのかもしれないけれど、いまいち新鮮味がない。
聞き込めば感想も変わるかもしれないので、しばらくエンドレスリピートします。

ひゃく いち ぺーじ

20090707193704
あたしは 百瀬の言葉に 堪えきれないような 嫌悪感を感じている それって あたしが いつも 彼とおんなしことを 言って いる から だ

ぐんぞう

20090707175538
未映子さんの長編が掲載されているのは新潮じゃあなくて群像だった。今日は早く上がれたので十六時に本屋さんに駆け込んだら、今日発売にも関わらず残り一冊になっていた。残り一冊を私は買った。ヘヴン。私は彼女の詩とエッセイが好きなのであって、小説は決して好きではないと思っていたけれど、いま、たったの二十五ページを読んだだけなのに、こんなにもやるせない。こんなにもやるせない。

泥棒さんが好きです

私の好きな人たちはみんな私のお金を毟り取っていくので困る。未映子さんが新潮に寄稿しちゃうから私は新潮を買わなくちゃいけないし、三角さんが詩手帖に寄稿しちゃうから私は詩手帖を買わなくちゃいけないし、lynch.が新しいアルバムを出しちゃうから私はアルバムを買わなくちゃいけない。私の好きな人たちはみんな泥棒。私の好きな人たちはみんな私のお金を毟り取っていくので困る。

今日のおだい:おかねに記名しておけば、誰かの手に渡ったあとでも、所有権を主張できるか?

おかね、の部分ににんげんの名前をいれてもいいです。

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