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悲しいことは全部、嫌いなものは全部、厭なことは全部、

バイバイ、バイバイ、全部リセット。

オーバ・ジ・エッジ'08です。十四時から渋公。今とても眠くて、だから、途中色んなバンドで寝てしまう気がして切ないです。爆音ゆりかご。ふーさんと一緒です。二階席ですが割と良席。嬉しいです。バイバイ二〇〇八。リセット年越しだといいなあ!無理かしら。
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ギチギチ

スーパーマーケットファンタジーは全然好きではありませんでした。聴いていて苛々する、不思議、どうしたのだろうか、私が。いいアルバムだと思うのですが。

ここ最近のことメモ

二十三日:訃報と仕事に二重のダメージを頂く。十七時前まで働く。稲毛K'sDREAMで行われていたイベントに行く。リベレーションゲートゼロがよかった。ボーカルにもうひとパンチあるともっといいバンドなのになと思う。生まれて初めてヲタ芸というものを見る。引く。

二十四日:帰省。昼過ぎに起きる。兄の部屋を侵略してここ半年の間に溜まった小説や漫画の新刊をごっそり借りて読む。西尾維新はデビュー当時おもしろいと思っていて戯言途中あたりから飽きて刀語あたりから引いて最近またおもしろいと思っているという話をする。同じ見解が怖い。銀河不動産の超越を読んだけれど薄味で面白くなかった話をしたら、最近森を読んでいないと言われた。しかし私は読んでいない水垣君の最新刊を読んでいた。どっちもどっち。夏目漱石好き派(兄)と夏目漱石嫌い派(私)でちょっとした言い争いになる。どうでもいい。十四時あたりから父が晩ご飯を作っていた。十八時あたりから晩ご飯。そこらのお店で食べるよりずっと、父のローストチキンの方が、美味しいし、綺麗だし、派手だ。チューハイしか飲めないと思われていた母は、最近スパークリングワインにはまっているらしい。甘口だから私はあまり好きではなく、手を出さずにいたら、一人で一本近くあけていた。プレゼントは概ね喜んで貰えた。取り敢えず安心する。

二十五日:昼過ぎに起きる。シャワーを浴びる。昨日とほぼ同じことをする。今日は父がこれでもかというくらい唐揚げとフライドポテトを作った。美味しかったが重い。久しぶりにピアノをさわる。ドビュッシーのアラベスクすら弾けない。死ねばいいのに。ピアノを触るに足る指が、私にはもうない。でも好きだから触る。ピアノはいい。コペンよりいい。ごめんコペン。

二十六日:九時に起きる。父と母がカラオケに行くのだと颯爽と去っていく。今日は私が夕食担当なのでそれなりに腕をふるう。見た目が派手で美味しくて手間がかからないという選択をした私は、ずいぶんと怠惰だと思う。四人分の料理を作るのが久しぶりなので、いまいち勘が戻らない。牛の赤ワイン煮を作ったはいいが、一人一人の量が少なくなってしまった。悲しい。ペシャメルソースが粉っぽい。私は料理が下手になったのだろうか。悲しい。

二十七日:昼過ぎに起きる。ファミリーポートレイトの日。写真屋の親父に猛烈に腹を立てる。文句も言わなかったし殴りもしなかったから、私は大人だ。兄が以前働いていたレストランへ行く。正直千葉の田舎のお店なのでなめくさっていたが、とても美味しかった。私が作るのと同じくらい美味しい。

二十八日:帰ってくる。取り敢えずコペンにただいまと言って遊んで貰う。コペンはいい子だし、相変わらず可愛らしい。寝たり起きたりする。一人はいい。

二十九日、今日:なんとなく七時まで起きていたので朝日と共に眠る。十四時に起きる。シャワーを浴びて掃除をする。ご飯を食べる。遊んでいる。現在進行形。


そんな休日。
実家は嫌いじゃない。でも地元は嫌い。そして一人は好き。明日は仕事です。ひかりさん家に行こうと思っていたのだけれど、忘れていた。用事もなかったのだけれど。地元の友人に声をかけようかどうか悩んだけれど、私の中の引きこもりソウルがそれをさせなかった。首都で遊べばいいやと思っている。実家が近いとこうなる。

責任不在の白々しい面をするな、

私。関係なかったからといって関係ない筈はありません。思い知らなくてはならないのです。死ぬな殺すな盗むな盗まれるな。お願いだから無事に今年が終わりますように。それは他力本願です。なにも起こらないようにしなくてはならなかった、それが後悔。実際に出来るか出来ないかは関係がないのです。後悔は全て仮定の下に起こります。なんにしても未必の故意ならば犯罪だ。未必の故意という言葉が法律的に適用されるか否かは問題ではありません。仮定の下に起こるから後悔なのです。全ては思考。肉は腐る。

寝なきゃ

寝ます。今日はふーさんと遊ぶ。

なぜ。どうして。

どうして我が家の電子レンジは、食パン一枚をトースターで一分焼いたら真っ黒焦げにしてしまうのですか。なにか壊れた?壊れた?この時間に食パンを食べようとした私が悪いのでしょうか。悪いのだろうな。だって昨日は十三時に起きて、お風呂に入って、本を読んで、十七時から二十二時まで寝て、だから今全然眠くなくてバリバリの活動時間帯で、ご飯食べてなかったからお腹がすいていて、それなのに食料が炭、炭に。悲しい。部屋が焦げくさい。悲しい。

どこにも行っていない。誰とも喋っていない。寝てる。幸せ。

休暇、休暇、

寄り道し過ぎました。いつも二十時には帰宅する私なので、今日の帰宅時刻は相当遅い部類に入ります。平日はとにかく家に帰りたい。休日はどこにも出かけたくない。一度出かけると、終電まで帰りませんが。下手すると終電でも帰らない。そんな、慣性に従って生きている私です。そして全然関係ないのですが、両親と兄へのクリスマスプレゼントが決まったので、とても嬉しいです。喜んでくれるといいなあ、今から少し楽しみです。

さて、皆様には申し訳ないのですが、私は今日から休暇に入ります。立つ鳥跡を濁しまくるぜな方の残務処理もめでたく終了しましたので、本当に清々しく休暇に入れます。嬉しいです。自分で自分の御祝に、少々値段の張るシャンパンを買ってきたので、今とても気分がよいです。早く飲みたい。スモークサーモンと合鴨も買ってきたので、冷蔵庫に眠っているニラや白菜やニンジンやほうれん草や水菜や玉ねぎと結婚させようかと思います。美味しくなるといいよ。あーそれにしても、これからしばらくは、朝、必死に起きなくていいんだな、これだけで幸せになれる。

両親には、最初、シルク・ドゥ・ソレイユのクリスマス公演をプレゼントしようと思っていたのですが、席がバラバラにしか空いていなかったので断念。父はそういうことをあまり気にしませんが、母はとても気にします。だから駄目。二人に楽しんで貰わないと厭だから仕様がないです。代わりに選んだものも悪くはないと思うので、まあ、結果オーライかな。まだ結果は出ていませんが。というか、シルク・ドゥ・ソレイユは、むしろ私が観に行きたいです。ので、今度観に行こう。どうせだから実家に帰ったときに行きます。ここからだと少し遠いです。

愛と青春の宝塚が明後日までなのを思い出しましたが、外に行きたくないので行かないと思います。見たいのですが。どうして私の家の隣でやらないのだろう。不思議。

観てもいない舞台の役に対して、無条件でポジティブな発言のできる人の気持ちがまるでわからない。どうしてそんなことが無責任に言えるだろう。私には侮辱に思える。本当に吐きそうなくらい気持ち悪いと思う。醜悪で、おぞましく、ちらつく自己陶酔の影に吐き気がする。でもそれは極端な意見で、どんな物事にも様々な側面があることが道理で、気持ちの強さとか、綺麗さとか、思いやりや優しさとか、そういった美しい感情がそこには存在することを、私はきちんと認識しなくてはならないと思う。思うけれども、でも、やっぱり、私には気持ち悪く、醜い自己の押しつけにしか思えなくて、本当に、心の底から、自身の表現に対して懐疑的になっている人を励ましたいと思うのであれば、どうして、観てもいない作品を好きだと言ってはばからないような、無神経なまねができるのか、私にはまるで理解できない。あなたがどんな風でもあなたは素敵だし、有り様などとは関係なく、あなたが好きだと言う意味にしかとれない。そしてそれは、この局面で使用されるのであれば、侮辱であり、対象を軽んじているようにしか思えない。無神経で、無遠慮で、最大の否定だ。少なくとも私ならば、そんなことを言われたら、死にたくなる。少数派なのだろうか。うがった意見なのだろうか。


マミー!

20081217180505


貰った。飲んだ。マミーの味がした。

なっちゃんが夜なべをして手袋踏んでくれた

えみさんに電話した。一分半くらい話した。よかった。年賀状をくれるらしい。嬉しい。私も書いたほうがいいのだろうか。一枚買って帰ろう。

今日は忘年会なので著しくテンションが低いです。忘年会とか滅びればいいのに。ブライス欲しいなあ。我慢できるかなあ。コスメポーチを買おう買おうと思ってまだ買っていない。買い物に行けていないからだ。いい加減引き篭もってないで買い物に行かないとなあ、と思っている。面倒くさいなあ。行くまでが面倒くさいだけで、行ったらもう楽しくなってしまうのだけれど、ああ、あれだ、ショップが、深夜も開いていればいいのに。休みの日、起きてお風呂入ってぼうとしてふと気がつくと、お店閉まっているんです。どうしてだろうか。忘年会に行きたくないです。

ラヴラヴラヴユー!アイラヴユー!

熊の場所は普通でした。私は単に、好き好き大好き超愛してる、がとても好きなだけなのでしょうか。もう少し彼の本を読んでみてから判断しようと思います。

眠くて頭痛がします。胃もたれも酷い。なんだろう、この、年齢を感じさせる朝は。私何歳だったっけか。覚えているけれど。

昨日は、ふみさんを仲人(笑)に、トキコさんと初めてお会いしました。仲介人ではありません、仲人です。なこうど、なこうど、どこなう、どこ、ナウ。今どこに居るのよ。言いなさいよ。わかってるのよ。あの女のところにいるんでしょう!どうしたのでしょうか私。眠いんです。
トキコさんは白くて肌が綺麗でぱっちり二重で肌が綺麗でお酒飲めて肌が綺麗で話が面白くて肌が綺麗でちっちゃくて肌が綺麗で可愛くて肌が綺麗な人でした。肌が綺麗だったの、肌が。持って帰りたかったです肌を。さすがに嘘です。それではただのエグイ話です。

三人で一体なにをしてきたのかと言うと、八景島シーパラダイスで水の生き物を見てきました。私はこれまでの人生で八景島シーパラダイスなるスポットへ行った事がなくて、それゆえに、八景島シーパラダイスとはきらびやかで美しい場所であると信じて疑わなかったので、あまりの閑散とした空気に吃驚してしまいました。確かに昨日は、雨が降っていた上に気温も非常に低く、外に遊びに出かけるには劣悪な環境でしたが、いやそれにしても、丁寧な言い方をすれば、とっても落ち着いたところでした。どうして横浜ウォーカーはシーパラをデートスポットプッシュしているのでしょうかよくわからないです。回らない沈黙のメリーゴーランドが切なかったです。値段設定を一度見直したらどうなのでしょうか。五百円は高いもの。誰も乗らないもの。

いきなりごちゃごちゃ言っていますが、水族館はとても楽しかったです。主にエイが。エイがあんなに可愛らしくてファンキーな生き物だとは知りませんでした。水槽の硝子にじいと張り付いていると、三十秒に一度くらいのペースで、何匹かのエイが、変わりばんこに我々のいる硝子すれすれをふおんと泳ぎさって行くのです腹を見せて。そして必ず、壁に体をぶつける。可愛い。エイは上から見るとあまり可愛くなかったのですが、なにしろ腹が可愛い。真っ白くて、口が妙に笑っているようで、変な中毒性のある可愛らしさです。
あと白いるか。白いるかがとっても綺麗でした。ああこれがティファと戯れて言葉を交わしていた白いるかかあなんて思いました。分からない人は分からないでいいです。ていうか多分誰もわからないので別にいいです。スルーして下さい。検索しないで下さい。なんにしてもとても大きいのにまったく威圧的でなくて、白蛇やらなにやらもそうですが、体色が白の動物は、どうしてだか神聖に見えて、これは一体どういったことだろうと少し考えましたがわからなかったのでまだ考えています。こういうことを考えることはとても楽しい。

死んだように眠る北極熊とか、一度も顔を見ることができなかったラッコとか、怠惰なイルカとか、怠惰なサメとか、痒いペンギンとか、美味しそうなイワシイリュージョンとか、タイにブリにアジとやたら美味しそうな水槽とか、どこにいるのかよくわからないウツボとか、どうして赤なの水槽とか、いつから取り替えていないんだろう昆布とか、セイウチ怖いセイウチとか、ちっちゃい方が可愛いアザラシとか、海月海月!とか、張り付いて気持ち悪いヒトデとか、怠惰なのかと思ったら行動を阻まれているカメとか、全然お金入っていない募金ペンギン貯金箱とか、どこなのカエルとか、どうしてここに居るのかサソリとか、でかすぎるでしょうハンバーガーとか、多すぎるでしょうポテトとか、ガチャガチャに喜ぶ大人三人とか、一番喜んでいた私とか、なぜ買ったかクマとか、ぼろぼろクリスマスツリーとか、足捕らえられワンコとか、どうしてゲーセンにあるのか足ツボマッサージとか、強いトナカイとか、なにしろトレーナーのお姉さんがすごいとか、トナカイ酷いとか、トナカイ怖いとか、トナカイもうそれ以上冷たくしないでとか、色々、色々面白かったです。ふれあいラグーンはただひたすらに寒かったです。夏に行きたいです、あそこは。

シーパラダイスとさよならした後、マジックバーへ行く予定だったのですが、目的のお店がお休みだったので、関内の適当なお店に入ってお酒を飲みました。あんまり期待していなかったのですが、思ったよりもずっと美味しくて嬉しかったです。安かったし、お姉さん可愛かったし。トイレは癒し系でしたし。なかなかよいお店でした、また関内へ行くことがあれば行ってもいいなあと思いました。24亡き今、私が関内へ行くことがあるのだろうかということは甚だ疑問ですが。

美味しいご飯とお酒でにんまりしてお別れ。とても楽しかったです。また遊んでやって下さい。言いたいことがたくさんあったのですが、ご本人を前にしてしまうと全部ぶっ飛んでしまってなんも言っていないという現状。でも言ってしまうと愛の告白になってしまうんだよ。別にいいのかそれでも。駄目だよ。気持ち悪いなあ私が。

一人っ子長女二番目且つ末っ子。必然的に長女は大変。お疲れ様でした。有難う御座いました。御免なさい。またよろしくお願いします。

愛玩するのが好きだし、哀願するのも悪くないと思っている

そして楠本まきとは全然関係なくて、舞城王太郎の九十九十九を読んだけど全然面白くなくて私は今ちょっと悲しい。そういえば阿修羅ガールも読んだときも、全肯定ではなく、面白いけれど気持ち悪くて不快なところも多いしなにより疲れると思ったのでした。清涼院流水別に好きじゃないし、なにより読んでいないし、話の流れは理解できますがよくわからない。頭の悪い人だと思われそうですが、実際にそうだから別によいのですが、読後感としては、だからなに?といったところ。オナニーみたいな本だなあと感想。この人の本はまだ計三冊読んだだけだけれども、あーまた盲目的に愛せる作家ではなかったんと思ってがっかりしている。盲目的に愛せる作家なんて絶対に存在しないことはわかっているのだけれど。村上春樹は大好きだけれどアフターダークとかあんま好きじゃないし、森博嗣も大好きだけれどGシリーズとか全然好きじゃないし、泉鏡花も安部公房も坂口安吾も萩原朔太郎も宮沢賢治も、好きな作品がたくさんたくさんあるけれど嫌いな作品だってあるし退屈でどうでもいい作品もある。他のあらゆる好きな作家だってそうだ。無条件で全身全霊で愛するなんてのは完全に宗教だと思っているからそーいうのがないことは私の理性の無事を喜んでやるところなのかもしれないけれど、でもやっぱり無条件で全身全霊で愛するていうのはものすごい快感なはずで、言い方は悪いけれどそれはきっと怠惰なくらい気楽なことで、私はそれを一回やってみたい。でも実現しないのかなあ、理性的に盲目的に愛するって成立しないのかしら。やっぱりウーパールーパーか。

取り敢えず九十九十九はそのうちブックオフへ持っていく本棚へしまって、次は熊の場所を読みます。それにしても、勝手に期待されて、勝手にがっかりされて、ただ生きているだけでもそれはされるから生きているだけでも難儀なのに、有名になってしまうと、自分の知らない人からさえそれをされてしまうから、それはきっと本当にしんどくて面倒なことだろうから、有名な人って大変だなと思う。

きみにあげる

ここ一週間、人から頂いた薔薇のアロマキャンドルをずっとつけていて、だから帰宅するといつも薔薇のよい香りがして幸せでした。しかし木曜日、一匹四百円という驚異的な値段で売られていた鶏を買ってきてしまって、非常に大雑把に作るブイヨン的なもの(鶏丸ごと一匹を放り込んで、取り敢えず家にある香草と野菜をなんも考えずにぶっ込んで煮る)を作ったら、金曜日、帰宅したら薔薇とブイヨンの混ざった非常に複雑な香りがしてものすごく辛かったです。帰宅したのは二十三時だったのですが、そのまま窓を全開にしないといけなくて、とても寒かった。これからは、香りの強い料理をするとき、キッチンと部屋の間のドアは決して開けてはいけないと学習しました。あれはカオスでした。

現代詩手帖は、とても立ち読みで済む内容ではなかったので買ってきました。二千七百円という横暴な値段で、本当ならば私はここで、現代詩というものが一般にまったく受け入れられていない事実、需要がほとんどないという事実に嘆かなければならないのでしょうけれど、私が私として実際に悲しいのは、私のお財布から、雑誌一冊を購入しただけで二千七百円が消えていったことだけなのです。

ダ・ヴィンチは立ち読みで済ませました。

トーマの心臓を森博嗣がノベライズすることについての記事を読みましたが、ああやっぱり森でよかったなと思いました。あの作品は、あれだけでもう完成しているから、あれを単に小説にするということはして欲しくなかったので、彼の判断がとても嬉しかった。私も違う媒体で同じものをつくることは決してできないと考えているので、だって小説は小説だし、漫画は漫画だし、映画は映画だし、それぞれのメディアにはそれぞれのメディアしか持ち得ない武器があって、それを他のメディアでまったく同じに再生できると思っているのならばそれは酷い傲慢で、そのメディアに対する侮辱だと考えているので、だからよかった。オスカー視点というのもなんとなく納得した。そしてこれは作品云々ということとはまったく関係なく、ただ単純に、私はオスカーがとても好きなのでオスカー視点なのはミーハーに嬉しいです。

森が以前出した「もえない」という本があって、あれを読んだ時、私は本当に、「あ、森博嗣が萩尾望都を書いている、なんて萩尾望都的な森博嗣なんだろう。」という感想を抱いたので、萩尾望都の作品を森博嗣がノベライズすることが本当に嬉しい。具体的なことがらなんて、大雑把な言い方をしてしまえばどうだってよくて、トーマの心臓で一番大事なのはもっと抽象的なことがらで、そして森はたぶんそれをちゃんと書いてくれるから、のんびり期待しながらゆるゆると待ちます。萩尾望都さんは本当に本当に大好きだから、森博嗣がノベライズすることになって、本当によかった。私の認識としては、彼女と彼はある一面において共通言語を持っているので、きっとうまくいくだろうな、というところ。とても楽しみです。

好き好き大好き超愛してる。を読んでからすっかり舞城王太郎に参ってしまっているので、彼の本を二冊買ってきてしまいました。これも今日読む。今日はお酒を買ってきているので、長風呂しながら、お酒飲んで、本を読もうと思っています。なんて贅沢な時間の使い方だろう。

きっとじゃないよ、絶対勝つよ、

久し振りに天野月子を聴いたらなんだかすごく新鮮に聞こえて第何次かのブーム。ずっと昔好きだったなあ、そして今でも好きなんだなと思うとなんだかとても嬉しくなる。惜しみなく憎んで、惜しみなく愛してあげる!今日はちゃんと仮眠を取ろうと思うのでもう寝ます。

あてになんないや、ないや、

今日はきっと十七時には帰れるから買い物をしよう。現代詩手帖とダ・ヴィンチを立ち読みして場合によっては購入しなくてはならない。パックとボディソープが切れそうだから購入しなくてはならない。あと野菜がもう無いから購入しなくてはならない。どうして今日はこんなに風強いんだろう?でもだから早く帰れるし別にいいか。昨日はかさごを貰った。料理をする時間がない。嘘だけれど。あるけれどあんまりする気力がない。休みになったらきっとするだろう。それまで冷凍庫で眠るといい。もう死んでるけどね。でも眠っていることと死んでいることと、どう違う?起きるか起きないかの違いがあるだけで、それは些細なことかもしれない。私は大きなことだと思うけれど。眠くて眠くて自分がなに書いているのかさっぱりわからない。両親に不義理をはたらいてばかりだし年始も二日三日帰るだけだから申し訳なくて(だったら帰ればいいのだけれど帰ると面倒くさいことたくさんあるから厭だ、でもそれは嫌いという意味ではない、でも帰るのは厭だなあ。)クリスマスになにか贈ろうと思ってプレゼントを探している。プレゼントを探すことはとても楽しい。両親だけに贈るのも悪いので兄の分も探しているけれど、あの人そろそろプレゼントくれる彼女くらい作った方がいいのではなかろうか。今上司が机の上に飾っているちっちゃなプラモデルを私の同僚のちょっとした不注意で少しばかり壊されて怒り狂っているけれど、そんなに大事なものなんだったら職場になんか持ってこなければいいのにと思っている。ここ最近の中年って本当に厭だわ。私は新しい下地を買わなくっちゃ。

描写ということについて

完全に昼夜逆転生活になってしまっています。日中、三、四時間を占める移動時間中に睡眠する日々。帰宅後はお風呂に入ってパソコンを弄って遊んでいます。家で眠ると本気で眠ってしまうので、これくらいが丁度良いです。どうせ一週間のことです、睡眠大好き人間だけど、これくらいなら多分平気。職場に泊まればもっとちゃんと眠れるのですが、それは厭です。私は家が好き。自宅が好き。自宅大好き。いつか自宅と結婚したい。でも、本当は、毛布と結婚したい。

 *

熱出した人が救急病院に運ばれて、私はそれを待ちながら電話番していて、その最中ぼけえとNHKを見ていて、そしたら竜安寺の枯山水が映ったから思わず凝視してしまった。竜安寺はとても好きなお寺のひとつ。京都に行ったら必ず行く。大好き。
その番組で誰か知らない人が言っていたけれど、この枯山水の素晴らしいところは、水を表現するために水を抜いたことで、水の不在によって水を感じさせる、そのことにあるのだそうだ。私はそれにとても同意して、共感して、いっそのこと、感動した。私は常々なにかを語りたいのならばそのことについて語ってはいけないと思っていて、人間を書きたいのであれば、人間を人間として使った実写の作品よりはずっと、クレイアニメや人形劇の方が伝わり易いと思っていて、リアルはあんまりにもリアルだからリアルしか残らなくて、でも人間以外のものを使用して人間を描くと、リアルが減るから概念が残る。人間を使用するのならば人間を記号的に使用したほうがいいと思うし、だから実写や演劇の人情劇は大嫌いだ。そして人間を記号に使用するというのは、なにも人間を淡々と書けという話ではなくて、ミュージカルもサーカスもダンスも全部、あれは人間を記号的に使用してできたものだと感じている。そしてこの話を書ききるには私は自分の思っていることをきちんと整理できていなくて、それこそ、私はこの話をしたいのであれば、この話を、本当はしてはいけなくて、文学を語りたいのであれば、本当は、文学の話をしてはいけなくて、でも私はメタファーで書きたいことを書ききる技術を持っていない。でも伝わる伝わらないなんてやっぱり結局は理解と誤解と誤解と誤解で、百パーセントの理解なんて不可能だし、あったとしたのならばそれは誤解だし、支離滅裂だし、まとまんないし、だからもう寝る、そう書きたい、でももう出勤する時間が近くなってきているから寝ないで本を読む。

世界中の本を読みきることは出来ない。私は知らないことがたくさんある。それが嬉しい。

熱、熱、

帰れないなあ、しかし熱でてる人のが格段につらいのだから不平不満も言えないし言いたくないしあんまり思わない自分になんでか安心したりします。
早く良くなるといい。明日行けたらいい。インフルエンザじゃないとよいのだけれど。

 *

致命的なキットカット。
20081209214709

夢遊病の僕は夜空を昇ってく、エスカレーターで

「月世界」を聴きながら出勤したらどうしようもなく眠くなったのでとても後悔しています。
星あかりの余波を受けて、埋めた犬は遠くで鳴いた、ああ、眠いです。

♪あったまてっかってーか、あったまてっかってーか、あったまてっかってーか、ぼくどらえーもーんー♪この歌、「僕ドラえもん」以外の歌詞をすべて「頭てかてか」にしてもちゃんと歌えるんですよ。すごーい。


嬉しかったこと

◇プラのDVD、メリーゴーアラウンドザワールド、限定生産版の予約がラス1で間に合った
◇津軽林檎を三個貰った
◇十四日でにやにや
◇明日予定がなにもない


仕事が終わったら、お酒と小説を買って、TSUTAYAでCDをかりて、引き篭もります。

眠い眠い眠い寝たい、眠い眠い眠い寝たい、

眠い眠い眠い寝たい、寝たい寝たい眠らせて下さい。今日は帰ったらお風呂に入ってすぐ寝ます。起きられたら十二時に起きたいと思っていますが、どうでしょうか。眠い。ばっちり六時間眠ったのにどうしてだか眠い。私はいつも眠すぎる。生まれ変わるのならば睡蓮になりたい。嘘ですが。

泊まりで仕事なのは土曜日ではなくて日曜日でした。間違えていました。日曜日の方が幾分かマシです。よかった。

暇さえあれば土曜日のアキラを思い出してにやにやしている私は病気です。誰も助けてくれなくていいです。自転車がクラッシュしてでもすぐに直って、嬉しくて、天気も良くて、「孤独と言うか?そう言う君の不条理と何が違うんだ?」うんざりするくらいに、本日は晴天なり、お昼の天気予報が今日は洗濯物を干して外出しても大丈夫ですよと云っていて、それを今云うなと思って、お腹いっぱいで、眠くて、春ですね、違うか、十二月です、もう年の瀬です、一年が早い。

 *

MORI LOG ACADEMY11月29日のエントリから引用

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>メールでときどき悩み相談のような内容をいただく(1日に10通くらいかな)。もちろん、広範囲で、ちょっとした日常のことから、事件性、犯罪性のあるものまで。僕は特に誠実に答えてはいないし、もちろん、森博嗣にそんなことを期待してはいないと思うけれど、しかし、誰かに話したくなる、という気持ちは共通しているし、理解できるところだ。返答を聞くことよりも、話すこと、話す決意をしたこと、書くために整理をしたこと、に意味があるだろう。アウトプットをすることで自分自身が救われる、という現象は、教会の懺悔もそうだし、精神医療でもそうだし、心理学の事例にも頻出するものだ。

>辛いことを抱えている時間は、本当に辛くて、誰にも話せない。しかしあるとき、それが人に話せるようになる。話せる、ということが、既に問題が大部分解決している証拠かもしれないし、少なくとも、解決したいという決断の表れでもあるのだ。なんとなく、話すことで辛さがシェアされるように感じる。聞く方にしても、少しはその辛さを分担してあげたい、と思うもの。しかし、実のところ、個人の悩みは、他人に分担できるものではない。その錯覚さえ、自分の中の処理である。

>それから、僕が書いたことを読んで、それで救われた、決断できた、楽になった、というようなメールをいただくことも多いのだけれど、繰り返すが、それも僕の力ではない。本人の機能であり、能力によるものだ。

>河原に落ちていた石を拾って、それを投げた。石は水面を跳ね跳んで、結果的に価値ある光景を見ることができた。楽しかった。それはその石のおかげだ。その石がなければ、できなかったことだ。たしかに、石の形に向き不向きはあるだろう。しかし、石を拾ったのも、選んだのも、それを投げたのも、そして面白いと感じたのも、本人である。その石でなくても、いくらでも投げるものはあったはず。石のおかげではなく、投げてみようと思った、面白いと感じることができた、自分のおかげである。きっかけとは、河原の石くらい、どこにでもある。ただ、一度使ったら、もう同じ石は見つからない。

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森博嗣の書く物語が好きです。特に、一人称で書かれている物語が好きです。一番好きな本を選べと云われたら、女王の百年密室か、スカイ・クロラか、いずれかのシリーズの一冊でしょう。ああ、でも、短編も捨てがたいな。とにかく彼の小説が好きです。S&Mの頃から読んでいるけれども、私は後期の作品の方が好きです。小説だけじゃなくてエッセイも。彼のエッセイは、手を叩いて笑ってしまうものや、とても静かで穏やかな気持ちになれるものがあって、そしてこの引用したエントリなんか、本当にそうで、この人のこういうところが、私は本当に好きなんだなと、今日、少し、思った。

昨日買ったお味噌が美味しかった

引き篭もりは人として終わっていると思うと大分年下の人から言われたので、今週末と来週末、ちょっとは外に出ようかと思いました。そうか、人として終わっているか…。人として…。

全然関係ないのですが、でっかいケアベアのぬいぐるみが可愛くって、しかももこもこて手触りがとてもよいのでとても欲しいのですが、なんとなく、買ってしまったら負けな気がするので我慢しています。あと、小さくて安くて可愛いバンビのぬいぐるみ三種(赤・黄・黒)もとても欲しいのですが、なんとなく、買ってしまったら負けな気がするので我慢しています。大体、買ったところで埃積もらせるだけなのです、私の部屋にはインテリアがほぼない。ほぼ全て実用品。電気の紐にぶら下がっているテレタビーズくらいでしょうか。

二千円で買ったマイクロフリースのパジャマがもこもこで肌触りがとてもよくて暖かいです。靴下もマイクロフリースのもこもこしたもの。きのこがくっついていて、ばかっぽくて可愛い。しかしこのきのこの一番の利点は、外出するときに脱ぐことを忘れて履いたまま出ようとすると、きのこが靴に引っ掛かって脱ぎ忘れていることに気付く、という点にあります。私のように忘れっぽい人間にはとても有難いです。そんなことのためについているのではないでしょうが。あと、昨日購入したラビットファーのニットがとても暖かくて気持ちよくて、この冬大活躍しそうな予感。素敵。

日曜日は、ウツセミ初回版購入特典のアコースティックライヴがあったのですが、金曜土曜と連続で帰宅できず、自宅大好き人間としては死にかけていたので行きませんでした。昨日ふーさんからメールでライヴの様子を教えて貰って、健康が一番!なアキラとか、アコギでマイナーコードじゃらーんと掻き鳴らして、「まだまだ遊んでくれま…ぷっ(吹いた)」と煽ろうにも煽りきれない太朗とか、ゴキブリに焚火の儀式とか、部屋が一番!とか、色々羨ましくて仕方がなかったけれど、日曜も外出していたら私は体中の血液が沸騰して逆流して死亡していたと思うので、まあ、仕様がないです。なんで私の家の隣でやらないのでしょうか。不思議。

ところであれはなんて月影先生ですか?
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