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くやしい

20090625204220
周囲の人が相対性理論相対性理論ゆうのでどうしてそんなに相対性理論そんなにゆうなら相対性理論とおもいTSUTAYAで借りてきて聴いてみたらすごくくやしいとっても好み。すごくいい。すっごく。ボルシチ作ったんですか?

 *

Fly like an Eagleのチケット買ったのですがまだ三百番台てマジ?みんな!もっと買って!AXすかすかになっちゃう!それはそれでおいしいけど。
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フライライクアンイーグル

Fly like an Eagleが面白そうなのでチケットを取る。

Fly like an Eagle
6月30日(火)
渋谷AX
Plastic Tree/メレンゲ/OCEANLANE/American Short Hair/SCANDAL
17:30 / 18:00
前売り1F立見¥3.990(D別)

なんだろうこの組み合わせ不思議。プラの参戦が発表されたのがついこないだなのですが、メールみたとき大変に吃驚したよ。この面子の中でやるプラてどんなのかなあと思うので行ってきます。確実にアウェイ!メレンゲとAmerican Short Hairは普通に楽しみ。
ところで「まいかいまいかい妙な記事ばっかり書いてあなた本当にもういい加減ああもうねえちょっと誰か教育してやってくださいなこれ書いてるにんげんを!」と一部の海月に名高いプラオフィシャルのインフォメーションですが、今回も文章がひどかったのでいがいがと思いながら転載。

■!!!緊急決定!!!■
2009年6月30日(火)SHIBUYA-AXで行われるライブイベント「Fly like an Eagle」への出演が急遽決定しました。

この度は急な決定ということもあり、ご都合なども含めお客様には十分なお時間を与えることが出来ませんが何卒ご理解をいただければ幸いでございます。

「Fly like an Eagle」
出演:Plastic Tree/SCANDAL /メレンゲ/OCEANLANE /American Short Hair/
開場 17:30 / 開演 18:00
前売 ¥3.990 (D別)

■チケット一般発売日:6月24日(水)
・チケットぴあ:0570-02-9999
・ローソンチケット:0570-084-003


普段はお時間を与えてくださっているらしいよ。ぷーん

疲れましたせんせい

四時に起きれば良かったのに「明日は四時に起きなくてはならない」という強迫観念の下、三時に目が覚めてしまう。やたら時間があるので、シャワーを浴びて、朝からお米を炊いて、ご飯と豆腐の味噌汁という素晴らしい朝食を作ってしまう。しかも、釜上げしらすとあおさと生卵と納豆付き。お茶と牛乳を飲み、最後にはコーヒーすら制覇してしまった。正気とは思えない。まともすぎる朝。

(関係ないけどわが社は遅刻にものすごく厳しい。一分の遅刻一回で処罰くらったりする。だから私は今まで一回も遅刻をしたことがない。遅刻ちょうこわい。その反動でプライベートにおいては半端ない遅刻魔。いつもごめん。)

始発で行った仕事は雨と霧のせいで最悪。私も周りもものすごくテンションが低い。仕事だからやるけど。終わる頃に晴れ上がった空に石を投げてやりたい。自分に落下してくるだけだけれど。

百円のほうれん草とハイネケンを買って帰る。

murmur

20090623201607
「当たり前ですけど、私に話しかけられて嬉しい人間はいません、音楽は好きですか、書籍は好きですか、珈琲は好きですか。」

約束を貰うこと。約束にたどり着くための契機を貰うこと。話しかけて貰うこと。話しかけたとき戸惑い困惑し軽蔑し嘲笑わないでいてくれること。話しかけたとき無視をしないでいてくれること。もしくはそう装ってくれること。私を日常という大枠の内部に一ミリでも組み込んでくれること。
なにを差し出せばいいだろう。なにを差し出せばいいだろうとずっと、考えている。
あなたが優しいことは、あなたの優しさに拠るのであって、私の在り様には全く関係がない。それでも優しくしてくれてありがとうと思う。だって当たり前ですけど、私に話しかけられて嬉しい人間はいません。音楽は好きですか、書籍は好きですか、珈琲は好きですか。
私の存在という無体をあなたにどうやって詫びればよいのか、私の存在という無体を許容してくれるあなたにどうやって感謝すればよいのか、私はいつもわからない。

スナッグは火曜で休みだったから葉づきでコーヒーを飲んだ。西友で卵を買ったらもう帰ろう、エッグノッグを作って飲まずに捨てて眠ろう。おやすみなさい、今日の夕方のけばけばしく下品で自己主張の強いピンク色を思い出します。私はあれに似ています。おやすみなさい。地平線のない世界で、私はあなたたちが、すきです。

レットミー××ダーリン

書きたいことがあるけれどそれが明確な形を有してくれないから書けない。言語化できない、以前の、段階で私は躓いていて、私はそれを脳内で把握することがまだできない。把握、というかそれを思い描くことができない。漠然とした段階として思い描くことがまだ、できない。でも私がそれを書きたいのだということだけは私とてもよく知っています。とてもよく知っているのです。私はとてもよく知っているのです。

二週間前に明確な意図をもって他者を傷つけようと思って明確な意図をもって他者を傷つけた。私は常に無意識のうちに悪意を行使しぶらぶらぶら下げてお散歩ばかりしているけれど、「さあこれを使用しよう」と思って悪意をお披露目したのはとてもひさしぶり。その悪意がゆきつくところにゆきついたかどうかは知らないけれどその悪意が通る道すがら全然違うひとを捕まえたことなら私は知っている。でもそんなことはどうでもいい。「私には関係のないことです」。

私は常に更新されていてあたしや僕や俺やわたくしとは全然関係ない。たとえば二週間前に明確な意図をもって他者を傷つけようと思った人はもう私じゃない。あれは捨てた。もう脱いだので要りません。私は常に更新されていてあたしや僕や俺やわたくしとは全然関係ない。「せんせい主体とはいったいぜんたいなんなのでしょう」と尋ねても答えてくれるせんせいを私は得ることができなかった。しかしそのことだって私とは関係ない。私はありとあらゆるすべての物事といっさい関係がないからありとあらゆるすべての物事のいっさいを知っている。知ってます。あれは私と関係ないものです。知ってます。あれは私と関係ない人です。知ってます。すべては私と関係ないものです。つまり私はすべてと関係している。すごいね。

「例えば好きという感情は、こわいやきらいや厭や死にたいのいっさいを統括したものだと思う」と私は以前書いたことがある。(もしくは、以前の私が書いたことがある。)要するにそういうことなのだと思う。だから私はこう言う、「例えば愛という××は、すきやきらいやこわいやしにたいのいっさいを統括したものだと思う」と「思わない」という風に「言う」ことが「必要である」とは「思わない」
とか、とか、とか。

あいしてる、はつまり、あいしている対象以外にやさしくない、ということだとあたしは、思わない。あいしてる、はつまり、やさしさとは全然かんけいがない。あらゆるものごとはやさしさとはかんけいがないし、あいともかんけいがない。愛すら、あいとは全然関係がない。言葉は言葉だ。あいしてる、の言葉のこわさ、おそろしさ、きもちわるさ、そのいっさいはあいしてる、以外の言葉のこわさ、おそろしさ、きもちわるさに通じている。私はよく「××も××じゃないもおんなし」と言うけれどそれは辞書的な意味において同じという意味ではもちろんないし、××と××の本質的な意味が同じという意味でも厳密にはないし、要するにそのふたつは等価であり互換性があるという意味で言っている。愛してるも愛してないもおんなし。優しいも優しくないもおんなし。愛しているという言葉は愛していないという言葉に置き換えることができる。愛しているという感情は愛していないという感情に置き換えることができる。愛していると愛していないは互換性を持っている。ふたつは等価だ。
私は不変を信用しない。
不変を信用しない、という価値観の不変を信じている。

あたしは言う、あいしてる、はつまりあいしてる対象にすらつめたいことだ。ではつめたいの定義は?対象とはなに?そもそもその発言をしている主体はだれ?

地平線なんてない、足元に大地なんてない、ただゆらゆらしていてそのいっさいが私を通り抜けてゆく。私の皮膚は緩くて輪郭が曖昧だから、通り抜けてゆくいっさいのあらゆるかけらが「暫定・私」の中に留まったり化学反応を起こして変化をもたらし新たな種子を植えつけたり「暫定・私」の中にそれまであったものを押し出していったりする。足元に大地なんてない。ただゆらゆらしていてそのいっさいが私を通り抜けてゆく。私ですら私を通り抜けてゆく。だから私という主体を私は信用しない。そして同様に、私という主体以外のものを私は信用しない。そのいっさいを信用しない。
それはつまり信仰に違いない。私は確信する、「なにもない、なにもないよ。すべてはなるようになるし、どうにでもできる。だからどうしようもない」。

書きたいことがあるのだけれど、それはこれではなかったのだけれどやっぱり書けないしこの話は私の脳みそを全部搾り取ってイチゴアイスにしてしまうので明日は朝が早いしもうやめる。今日は本牧へゆけなくてかなしい。スナッグでビールを飲もうと思う。私はキメラをあいしてる。ぬえ。

 *

きのう虹を見た。

現代詩手帖創刊50周年祭「これからの詩どうなる」@新宿明治安田生命ホール

20090620sat
現代詩手帖創刊50年祭「これからの詩どうなる」
新宿明治安田生命ホール
open 12:00 / start 12:30
\2,000

第Ⅰ部(12:30~)
【対話】谷川俊太郎、谷川賢作
【パフォーマンス】吉増剛造
【シンポジウムⅠ】辻井喬、高橋睦郎、佐々木幹郎、平田俊子、田原

第Ⅱ部(15:30~)
【講演】吉本隆明(ききて・瀬尾育生)
【シンポジウムⅡ】北川透、藤井貞和、荒川洋治、稲川方人、井坂洋子、松浦寿輝、野村喜和夫、城戸朱理、和合亮一(司会)
【朗読・トーク】白石かずこ、小池昌代、田口犬男、蜂飼耳、中尾太一、三角みづ紀

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天気もわからない

20090620111420
なにもする気がなくてずっと寝てる。昨日はなおさんと焼き肉を食べに行って楽しかった。髪がばさばさだったから髪様で一晩パックして今朝一回起きたときに洗って乾かして私の髪にしてはしっとりしたけれどしかし髪様特有のお好み焼き臭がするのですこしかなしい。ずっと寝てるけどまだ眠い。新宿ケーズシネマで黒色すみれのライブを見て斜陽を見るつもりだったのだけれど眠すぎて無理。遮光カーテンの上の隙間からうっすら光が漏れてきているからまだ太陽はでているみたいだ。ねむい。ねむる。

Plastic Tree「梟」

fukuro.jpg

コンセント。
梟~Instrumental~
コンセント。~Instrumental~

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ひなぎく/存在の耐えられない軽さ/子供たちは夜と遊ぶ/冷血


  どうして男は愛するというかわりに「たまご」と言えないの?
  破壊されたものを元に戻すことは可能なのか?
  ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、私たちはダメ人間
  匂う。通り過ぎる人生の匂い
  こちら療養所 死ね 死ね 死ね
  最善をつくせたとしても出直すことは可能なのか?
  私たち生きてるのよ。生きてる! 生きてる!

  踏みにじられたサラダだけを可哀相と思わない人々に、この映画を捧げる



「ひなぎく」を観た。面白かった。映像がきれいで、女の子は可愛いし、もうそれだけでいいやとすら思ったけれど最後の一行が本当に素晴らしくて素晴らしくて私はとてもかなしくなった。人間の感情って六十年代からちっとも進化していやしないのら。それは喜ぶべきことだろうか。ちっとも変わっていやしない、という言葉はつまり変化を表す言葉だよ。やるせない、たのしい、やるせない、たのしい、やるせない、くるしい、わらう、わらう、しぬ。あらゆる虚無感を内包するすべての感情をチョコレートみたく気まぐれにつまみながら私たちは常に変化する。そして常に変化するという意味において、感情は、はるかむかしからなにひとつとして変わっていない。生きるってなあに?なんて問いが未だになされ続ける。歴史は続いているけれど、だって私は連なっているもののひとつでしかない、けれど、それでも私は私で、連綿と続いてゆく社会に望んではめ込まれたけれども確かに私は世界を構成する機能の一部品だけれどもそれでも私は私で、私だもの、とかそういう映画と全然関係ないことを考えながら観ていた。映像がとてもきれいだった。おもちゃ箱みたい、刹那的、享楽とは常にかなしい、という言葉すら拒絶するほどにつよかっただだだーん。(強さを表現する語尾)
こちら療養所、死ね、死ね、死ね。
踏みつぶされたサラダだけをかわいそうと思わない人々に、この映画を捧げる。

「存在の耐えられない軽さ」を観た。面白かった。長い映画は基本的に苦手なのだけれど退屈を退屈だなあと感じて面白がりながら観る事ができた。それはこの映画の機能だと思う。私の中には「きちんと座って映画を観続ける」機能は存在しないので、この映画自体がそうさせる機能を持っていたのだろうなと思う。しかしそんな責任の安置場所捜索にたとえば、どういった意味合いがあるのか、私は答えることが全然できない。

映画は相変わらず好きでもなんでもないのだけれど、最近一週間に一本くらいのペースでTSUTAYAから借りて観てる。途中で寝てしまうものも多いし、どれだけ頑張っても最後まで観る事のできないものも多いけれど、すごく面白いものもいくつかある。今のところ、私はチェコの映画がわりかし好きみたいだ、という分析。

 *

「子供たちは夜と遊ぶ」を読んだ。辻村深月はもう好きな小説家リストの中に組み込まれたけれど、しかし毎回思うのだけれど、この人はこんなに優しいのにどうしてミステリなんて書いているのだろうなあ。私は浅葱が最後どこかへ行ってしまうことがどうしても許容できない。過去がどうあろうと法律の範囲内で人を殺したにんげんは裁かれるべきだと思う。結末がいまいち納得いかなかったけれど、でも過程はとても面白かった。

 *

「冷血」を読んだ。ふいーんと思った。

 *

昨日はワインを一本飲んでできあいの鴨ローストをスライスして水菜とオニオンスライスと一緒に食べた。しあわせ。一般的な日記を書くこころみは一週間たったので終わりました。あれはあれでなかなかに楽しいことを知りました。天気の記録は悪くない。そう思ったので、あの部分は継続しようと思いました。六月十七日水曜日、曇り。

今日の日記

六月十六日火曜日 曇り

卵男のような日記を書きたいと思ったけれど私は卵男じゃないからそれは無理だとふと気がつく午前十一時四十五分

今日の日記

20090615214109
六月十五日月曜日 曇りときどき雨

二時就寝。六時半起床。ゼリーを食べる。緑色のカプセルを飲む。仕事。昨日ずっとやっていた仕事は明後日の大きな仕事の準備だったのだけれど、それが来週に順延になる。私の仕事は無為になったことを知る。無為というか、昨日やらなくても間に合った。まあよくあることだし、仕様がない。十二時十五分昼食。試しに緑色のカプセルを飲まない。平気だった。仕事。十八時仕事終わり。職場発。三時間ひとりでカラオケ。絶叫より熱唱気分だったので昔の歌謡曲と演歌とバラードばかり。いるかのなごり雪で九十八点が出る。あれはよい歌。中森明菜と中島みゆきと松任谷由実と山口百恵率が高い。井上陽水も多い。自分の年齢を見失いそうだ。梟はものすごく歌いにくい。グレイの誘惑やジャンヌのダイヤモンドヴァージンを歌おうとして歌詞に吹き出して歌えない。(ファンの人ごめん。)ただいま帰宅。晩御飯を食べる気がしない。今からお風呂に入る。そろそろライダースはしまわないといけない。

今日の日記

六月十四日日曜日 曇りのち雨

五時起床。食欲なし。緑色のカプセルを飲む。シャワーを浴びる。六時出勤。七時職場着。仕事。十一時半昼食。緑色のカプセルを飲む。仕事。十九時夕食。緑色のカプセルを飲む。入浴。現在仕事中。

同期から入籍報告のメールを貰う。彼女は強い。なんで私に連絡をくれたのか不明。私は彼女に散々酷い言葉ばかりぶつけていたように思うのだけれど。いずれにせよ彼女の在り方は尊い。申し訳なく思う。義務感からメールを送信することで、彼女の精神がなんらかの負担を覚えていなければいいと願う。もちろん偽善だ。それでもそう思うし、彼女が幸せになるといい。おめでとう。連絡をありがとう。

もういいって

猛烈におなかが痛いからああこれはきたなあと思ってあはあはいっそ笑いながら下着をおろすと当たり前みたく赤く血液、不愉快なすえたにおい。きょうもらんしがしにました。眠らないと。お昼になったらコメントの返信をします、遅くてごめんなさい、ありがとうございます。肯定できるつよさがほしいなあ。あたしはみっともない。そりゃあ卵も死ぬよなあ。緑色のカプセルを飲んで眠る。

三日分の日記

六月十一日木曜日 雨

五時半起床。朝食。六時半出勤。七時半職場着。半休を貰う。どうしても今日中に済ませなければならない仕事のみ済ます。十二時十五分帰宅。十七時実家着。だらだらと過ごす。

六月十二日金曜日 曇り

本を読んでいて徹夜。五時に家族で朝食。六時半就寝。十時起床。だらだらする。十九時夕食。二十一時から二時間入浴。ストレッチと筋トレ。二十四時就寝。

六月十三日土曜日 曇り

七時起床。掃除。だらだらする。十一時朝食兼昼食。だらだらする。十七時半夕食。十九時半実家発。現在帰宅途中。明日は仕事。やや肌寒い。

かなしいひはかなしくない

金曜日に実家へ帰る約束をした。日曜日は七時から仕事だから、一泊したらとんぼ帰りだ。「神様のボート」を読み終わった。「ウエハースの椅子」より好きだ。理由はやさしくなくってやさしいから。ブックオフで売っていなかった、「流しのしたの骨」は、さっきあたらしいものを本屋さんで買った。とても憂鬱な気分、これだから江國香織はこわいし厭なんだよとおもう。そして例えば好きという感情は、こわいやきらいや厭や死にたいのいっさいを統括したものだと思う。もしかしたら私は江國香織が好きなのかもしれない。とっても厭な気分だ。江國香織は素晴らしく完璧な文章を書く。素晴らしく完璧だ。それが厭だ。完全な球体なんて私は大嫌いだ。好き。そしてこんな気持ちになるのはたぶん生理前だからで、私は本当に、私の子宮を、あなたにあげたい。そんなことを言ってくれた人は初めてだった。私の子宮をあなたにあげたい。私は私がゲイセクシュアルの雄だったらよかったのになあと切に願う、そうしたら私はあなたに、永遠に叶わない恋をしていられた。もちろんそれは嘘だ。それはどんなにか、しあわせなことだろうか。いずれにせよ、実際はそうでない。私の子宮をあなたにあげたい。そして同時に、私は、私が私の肉体から子宮を引き剥がす痛みに耐えられないことをよく知っている。子宮なんていらない、と願うことがアイデンティティで、それにはつまり、必ず、絶対的に、子宮が必要とされる。

くだらない仕事でうんざりしたので外食をしたけれど、くだらない仕事のあとに素晴らしくおいしいものなんて食べたくないから、サイゼリヤでくそやすいワインを飲んだ。私は安いワインが好きなので、サイゼリヤのくそやすいワインは予想外においしかった。最悪だ。しかもウエイトレスのひとが可愛らしかった。ちょう最悪だ。もう家に帰って明日の朝のためのラグーソースを作る。そしてお風呂で「流しのしたの骨」を読んで、感極まって、夜更かしをして、浅く眠って明日の朝後悔をする。その前に野菜を買わなくちゃ。野菜を買わなくっちゃ。野菜とワインを買って帰らなくちゃ。あのくそ安い部屋に。

私は私が大丈夫なことを知っている。オーライ、大丈夫だ。なにもかも、過ぎ去ってゆくものだ。

今日から普通の日記を一週間書く

タイトルのとおりです。今日から普通の日記を一週間書きます。特に理由はないです。

 *

六月十日、水曜日、曇り。摂氏二十三度。

五時に起床。寝汗をかいたのでシャワーを浴びる。昨日買ったPlastic TreeのCDをリピートでかける。野菜とラムのワイン蒸しが余っていたので、バルサミコと塩を足してパスタソースにする。ディチェコのフェデリーニを茹でて絡めて食べる。私は必ずディチェコのフェデリーニを買うけれど、それはイタリアのパスタブランドで、常に安く購入できるものがディチェコだけだからだ。必ずフェデリーニなのは、湯で時間が短くて済むから。基本的にパスタを食べるのは朝なので、湯で時間はできるだけ短い方がいい。しかしヴェルミチェッリやカッペリーニまで細くなってしまうと、電子レンジでは調整がしにくい。故にフェデリーニがベスト。パスタとお茶で朝食を済ませて歯を磨く。化粧を済ませて髪を乾かして服を着て鞄の中身を確認する。家を出る。六時半。職場につく。七時半。仕事をする。ここまでが既に起こったこと。

この先は予測。十九時。仕事が終わる。二十時。家に着く。シャワーを浴びる。いったん出て本を読む間にお湯をためる。本を持ってお湯につかる。二十一時。簡単な料理をする。晩ご飯を食べる。二十一時半。勉強をする。二十三時。眠る。極めて平均的な一日。
になる予定。今のところつつがない。

 *

三角さんのライブを観にいったので感想を書こうと思ったけれど頭が痛いので明日にする。フルートがまさかあんな音を出せるだなんて私思っていなくて吃驚しました。すごかった。

また来た

20090609213908
そしてまた帰る。前よりずっと脳みそが大丈夫。いいことか悪いことか、あなたが判断してあなたが評価してあなたが発言してください。私の聞こえないところで。/やっぱり私は楽器が導入口になってくれた方が進入しやすい。人間に入るためには人間以外のものを経た方がいい。そしてそのためには人間が必要。たいせつだね。

小麦粉とイーストのかおり

ライカで買えば特典がつくのでライカで買っても良かったのだけれど、なんだかもう面倒くさかったので、ゴールデンカップへゆく前に横浜タワレコで梟を買う。私はオマケのメイキングDVDやコメントDVD、インストアイベントや写真にかなしいくらい興味がないなあ、嘘、本当はとくにかなしくない。プラの作る音が大好き、リーダーの指と有村の顔と中ちゃんの中身も大好きだけれど、なにしろ大事なのは楽曲なのら猫印。さん。包帯を換える猫印。さん萌え。

タワレコで、全然予想していなかったことが起こる。Bタイプ以外売り切れ。Aタイプ、Bタイプ、通常版初回プレスと三種類が発売されていたのだけれど、あたしが着いた十九時、Bタイプしかない。しかも一枚。なんだろう、海月の底力かな、だったら嬉しいな。でもやっぱ厭だ。私は通常版初回プレス以外買う気がなかったのに。初回特別版の特典はメイキングやライブDVDで、通常版は新曲だったから。メイキングはいらないし、ライブはDVDで観るより実際に観た方が当たり前に楽しい。でも売り場にはBタイプしか置いていなく、仕方なくBタイプを買う。いいや通常版は今度地元で買おう。こゆことを書くと「じゃあ今日は買わないで明日地元で通常版を買えばよいじゃない」と言われそうだけれど、それは違くて、今日はもう梟を買って帰って聴き込むのであるよともうずっと前からあたしの心臓と脳は決め込んでいて、融通がきかないので、買わないのはダメなのら猫印。さん。火傷してべろを出す猫印。さん萌え。

更に驚くべきことに、レジがちょう混んでいて並びに二十分かかる。なあにあたし平日この時間に横浜タワレコくるの初めてなのだけれどいつもこんなんなのですかドキドキ。今日が火曜日だからかな。さてはみんな明日発売のCDをフラゲしにきているのだなだめだよCDは発売日に買わなくっちゃっ!ぷんぷん!それにしてもレジで予想外の時間をくったせいで十九分のバスに乗れなかったよ。二十九分のバスに乗ったけれど間に合うかな、今日は横浜本牧ゴールデンカップで、声の日だよ。声を聴きにゆくのら猫印。さん。一人遊園地できない猫印。さん萌え。

つるつる終わる

つるつると終わったので「<きらきらひかる>を淘汰するタイトル」シリーズ終わり。以前のへにゅへにゅやら肩こり器やらもそうだけれど、こういう内容になんの関係もない意味も中身もないどうでもいいタイトル連作を考えることは楽しいです。私だけが楽しいです。今日は本牧へ行きます。「ウエハースの椅子」を読み終わったので感想を書こうと思ったけれど全然、そんな気分にならず、ねむたくて仕様がないのでやめます。一言で書くととてもこわいはなし。こんなにこわいはなしを大好きと言える人は、相当こわい人だと思います。ちょうこわい。面白かったです。書きたいことが、本の感想に限らずいくつかあった筈なのにすっかり忘れてしまって書けない。昨日はオリーブオイルでにんにくを炒めてかぶとたまねぎとトマトとラムを炒めて白ワインで蒸して柔らかくなったものを食べた。塩を少しだけかけた。美味しかった。

 *

アセクで検索かけてふらふらしていたら「嫉妬深い自分はいやなのでAセクシャルになりたい」と発言している人がいて、「×××するぞ」と思う。このときの感情を大切に大切に育んでゆくと、「私は××になりたい」という発言の一切ができなくなるようです。でも私はそういった心理的抑圧によって「××になりたい」と発言できない状態にある、のではなく、単純に誰にもなりたくないだけで、その両者はまったく違ったものです。ならば私が今「その感情の最終形態が××になりたいという発言を容易にできなくなる心理的圧迫である」ことについて言及した意味ははたしてどこにあるのかな☆という問いかけ自体が無為で、すべてに意味を求める即物性をなんとかしてください、という発言は、もしかしたら成長を妨げるかもしれず、という発言によって抑圧されるなにかが、などと繋げてゆく言語ゲーム。一回五十円。サトちゃんムーバーとおんなし値段。

ゆるゆる煮える

頭が痛い。とにかくガチガチの人が嫌いで、でもしかし私がそうでないなんてどうして言えますか。いろんな人が言う、優しい、物分りのいい顔をして、「私はセクシュアルマイノリティに偏見はないよ。私は違うけどね」と言う。差別をしていない、と優しい顔で言う。じゃあ一体どうしてそこで予防線を引いたのか、どうして「自分は違う」ということを明確にしておくのか、今更自明のことをわざわざもう一度繰り返し、強調するのか、それを私に教えてくれよ。そう、そうだから、差別を意図的にしようと思って行っている人はむしろ少なく、ただそれを自覚していないだけ、だから、だから私だってたくさんのことを差別しているし、意図的に差別的な言葉を使用することだってあるし、嘘も書くし、まあ嘘は今関係ないけれど、しかしだから私はガチガチの人を軽蔑することなんて本当はできないかもしれない。でもガチガチの人が気持ち悪いんだ。あの人アセクシュアルだけれど違いすぎる、アセクシュアルはわりとリベラルなものの考え方をする人が多いと感じていたけれど、やっぱり、絶対数が少ないのだからそんな傾向分析、間違っていて、だいたいその決め付け自体があたし矛盾じゃないか死ねよ。なんであの人アセクシュアルなんだろう、ああいう言葉を見ると私はやっぱりセクシュアリティなんてまったく全然たいしたことではないのだなと思う。たいしたことではないのに騒がれるから、たいした問題として戦わなくてはならなくなる。だから苦痛。その流れを分かってよ。あの人と私はおんなしセクシュアリティに属しているけれどこんなにも違うよ。こんなにも違う。でも本当に、違うのかな。私にはその判断ができない。

好悪に感情はあっても論理性はない。一般に「きたない」とみなされるものは全ての人にとって「きたない」わけではない。私たちは不変などひとつも持っていない。(その言葉の普遍性を信じている、という状況の、おもしろさ!おもしろがれよ!おもしろいだろ!)その流動性を認めないのであればあらゆるクィアの足場は崩壊する。俺が正解でおまえらが不正解と糾弾することにどれだけの意義があるのか、全然私には、理解できない。そもそも、間違っている、正しい、という言葉の絶対性を確信していることが、私には、気持ちが悪い。吐きそうで気持ちが悪い。頭痛がする。正義を振りかざして他者を否定することになんの未来もないのに。ああでもだからこそどん詰まりの私たちにはとてもよく似合うのかもしれないな、あはは。あははじゃねえよ。あたしは厭だ。否定するために生きているわけじゃない。私はあらゆる物事を切り離しあらゆる価値を独立させてやりたい。ひとつが動くことによってそれ以外のものも動くという状況をなんとか打開したい。それでも世界はあらゆるものごとが連動して動く。世界と連動して動く人もいる。マイノリティを掲げながら。社会的にマイノリティを標榜しながら戦う人たちは強いことだなと思う。たったこれだけのことでうんざりしている私は、たぶんそうゆうことがちっとも、できないのだろう。うんざりしながらぶつぶつ呟くだけだ、否定されるために生きているわけじゃない。だから否定するために生きているわけでもない。そしてその言葉の、否定形こそが、既に矛盾でありだから私はこんなにも切実に足場の不確かさを愛し訴えるんじゃあないか!

ああぐらぐらする。
どうしてこんなにも足場が不確かなんだろうか、
(という問いには笑って答えることができる、なぜならそこらじゅうの全ては不確かで、確固たるものなんてひとつも、存在しないからだよ。そういう風に定義することで私は私の根幹を肯定してやれる。しかしその不確かさを否定されれば、大地がゆるぎないと言われてしまえば、私の足はなくなる。否定されることはこわい。否定されることはこわい。だから否定することはこわい。そしてだから否定ばかりする。その意味を考えないで呼吸をすることに、いったいどれだけの価値があるって言うんだ。ウツクシイモノの普遍性絶対性を愛する人なんか、私は絶対、愛せない。絶対、という言葉の、不確かさをどうか、知ってよ。)

少年展第二回「探偵倶楽部~シークレット・ワーズ~」@高円寺Galerie Juillet/アール座読書館/この日の日記

20090607sun
少年展第二回「探偵倶楽部~シークレット・ワーズ~」
高円寺Galerie Juillet
12:00~16:30

天野春彦坊 /カネオヤサチコ / 孔雀洞雑貨舗 / koto /SAY / 西條冴子 /sayochi / 鈴木亜章 / スパン社 / 鳥居 椿 / neychi / 猫和尚 /人見鴻一 / ひかり / 銀義眼ブンタ / 檜物美菜子 / MACKY / 蜜子 / 中川ユウヰチ / 遊星商會 / 由里葉 / 龍骨堂 / 青月泰山

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さらさら逃げる

金曜の夜にKさん宅を襲撃してお酒たくさん飲んでKさんのベッド占拠して勝手に寝ました。ほんとごめんなさい。うどん要求してほんとごめんなさい。手土産気を使わなくてごめんなさい。西友でごめんなさい。昨日の昼過ぎにお暇して(居すぎ)、目黒で唐突にヨリコさんを呼びつけて(急すぎ)、うどん(カレー屋さんの名前。カレーうどんは置いてない)で初夏のスープカレー食べました。相変わらずちょうおいしかった。

今は高円寺に向かっています。今日もKさんに遊んで頂けるのです。嬉しい。少年展に行ってきます。楽しみ。

りうりう喘ぐ

あたしっ天才にならなくちゃいけないっ!

というようなことばかり言っているとそろそろ頭の具合を疑われるので、もう手遅れ、ではあるのですけれど今日は普通の日記。んーでもあたし天才にならなくちゃいけないんです、小三まではあたし、天才だったのになあ、小五と小六であのろくでもない正常な教師に教育されたせいであたしはあたしの天才性を喪失させちゃったんだよっ!ということを今日は書かないようにします。

曇天。朝は少し雨。寝坊。一本遅い電車に乗り普段より十分遅く職場につくけれど全然遅刻じゃない。玄米茶を午前中のうちに五杯飲んだ。部屋の掃除のことと毛布をクリーニングに出すことを考えている。1Q84の下巻を読みたいと思っている。諾諾と仕事をする。瞬きと呼吸をたくさんする。保険の人がティッシュをくれる。厚生課が感じ悪い。肩と骨盤が硬いのでストレッチをしたら気持ちいい。テレビがついている。上司が暇そうに欠伸をする。おとつい作ったスコーンを食べる。おいしい。今日の予定のことを考える。白とロゼとキウイとりんごと生ハムのことを考える。電車のことを考える。蒼井優のことを考える。劇場のことを考える。曇天。朝は少し雨。気温は低くない。眠たい。

昨日は音色に行ってレンズ豆のハンバーグを食べてコーヒーを飲んだ。パンはちょくちょく買いに行っていたけれど、喫茶店利用するのは一ヶ月ぶりで、一ヶ月前、十一時まで話し込んでしまって、だから私は話しかけられることに対して戦々恐々としていて、別に店主が嫌いとかそういったわけでなく、単純に、喫茶店に求めるものは静けさで、話し相手、ではなく、でも話しているときあたし、自分から断れないから、ただ、諾諾と話をしてしまい、時間が長引いて、つらく、でも断れなく、あうあう、だから私本当に話しかけられることに対して戦々恐々としていて喫茶店利用から足が遠のいていたのですけれど昨日は話しかけられなかったし静かにご飯食べられた。コーヒーちょうおいしい。と、満足していたら、お会計のときに、うっかり、一時間、話し、あたしは今とても、落ち込んでいる。話したくないです。でもあの店ちょう好きなの。店主も好き。でもそういう問題じゃない。

やわやわ腐る

全然わかんない。粘着質。あの人いつか奪られてしまう、あの子は言った、けれどあの人はあの子のものじゃない。変化を恐れていた。人間は記号じゃない。記号は人間じゃない。不変を私たちは決して内包していない。変わらないものはない。私がアカリさんと呼ぶときその言葉は記号だ、しかし、アカリさん自身は決して記号ではない。私たちは人間を呼ぶときその人間そのものを呼ぶことはできない、その人間の「そのときそこにあると予測されるもののある一面」にアカリさんという記号をつけて呼ぶだけだ、そしてそれは記号で、しかし人間は記号ではない。私たちが名づけるものがその人間の「そのときそこにあると予測されるもののある一面」でしかない以上、私たちは永遠に人間そのものを捉えることはできないし、できると思ってはいけないし、そしてその名づけたものが朽ちて消えてしまい変質した、あるいはまったく違うものがその隙間を埋めることを許容しなくてはならない。所有とはそういう意味だと思う。「にんげんがかわった」のではなく「私の期待していた名前がなくなった」のであって、しかもその「私の期待していた名前がなくなった」ことで人間を責めることはまったくの筋違いだ。おかしい。私はそう思う。
でも世界は違うみたいだ。

(愛についての話ではないよ。所有についての話。愛を伴う所有であるとか、所有に伴う愛であるとか、そういう話もしないよ。ただ所有についての話。別に人は人をまるごと愛することができないと言っているわけではない。読み取れよ。読み取れるように、書けよ。未熟なんだよ。)

はりはり裂ける

廃校図書館の由比良さんと電話で話す。由比良さんは由比良さんみたいな声で由比良さんみたいな喋り方をする人だった。例によってなにを話したかあんまし覚えていない。1Q84の話と、夢の話をした。あとは書く人格の話とか、嘘とか、消えることと死ぬこととか、定義づけとか、そういった話。あれえ案外覚えているよ!あたし天才かもしれない。んーそう、そうそうそう天才の話もしたよ。あたしは人が天才なのではなく、時間が天才なのだと思うの、由比良さんは高い声でイットバットフォーユーと歌っていたよ、どくどくバーガー、鼓膜の震える声でした。声なら鼓膜が震えるのは当たり前ですって?誰がそんなくだらないことを言っているのですか?てゆうかあたしが電話したせいで彼は四十時間の覚醒ののちに貪っていた惰眠から引き戻されたみたいだ。ごめん。

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タイトルはこないだからずっと、「<きらきらひかる>を淘汰するタイトル」というテーマで書いているんだお。今日のわ自信作だお!こないだ「江國香織はきらきらひかるだけ好き、他はニ三編しか読んでない」と言ったら人非人のように非難されたので、(誇張表現だお!)ちょっと抵抗をしているんだお! きらきらひかるなんか読んでちゃだめだみたいな感じだったお!(誇張表現だお!)なんか別のやつ読めってゆわれたけど、でもそれもう忘れちゃったんだお!だから抵抗するんだお!レジスタンス!レジスタンス!仮定としての革命っ!

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好きな擬音語/擬態語というものがあって、たとえば今日使ったはりはりであるとか、あとは、しくしくとしんしんが好きだ。ただし、しくしくは涙に使用してはいけないし、しんしんは雪に使用してはいけない。しくしくは例えば、痛みの表現だと思う。しくしく泣くという感覚は僕にはさっぱり分からなくて、なぜなら、僕は泣かないし、泣いた場合は酷く醜くだあだあと泣くので、しくしくという、静かで奥行きがあって少し寂しい、そんな表現は馴染まない。しくしくは例えば、痛みの表現だと思う。しんしんも例えば、痛みの表現だと思う。はりはりも例えば、痛みの表現だと思う。

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今日も曇天。風は昨日みたくすごくない。インフルエンザはあれだけ騒いだけれど結局ただのA型で豚とは関係なかった。どうでもいい。

さゆさゆ融ける

1Q84の一巻を読み終える。面白すぎて疲れて不機嫌になりつつある。こんなに明快に面白いなんて、春樹じゃないみたいだ。アンダーグラウンド、約束された場所で、あの二冊で抱えた腫瘍を一気に取り出す大掛かりな手術を彼はしているんだ。とても柔らかいやり方で。どこかライトノベル的、けれど彼の描写と緻密さは、その呼称を許さないだろう。ああ、なんにしてもとっても、「コミットメント」的。なんだかうんざりして疲れているんだ。一番致命的なのは、私がこの物語を心底、面白いと思っているところ!やだ、やだ。

ずるずる落ちる

ついに我が社でも新型インフルエンザが出たよ!タミフルタミフルタミフル、タミフル!エートック先生は民降ると変換するので(エートック先生のお世話になっている人は試すといいよ、デフォルトだとそうなっているよ)きっとまた誰か飛び降りちゃうよ。タミフルっタミフルっ
てゆうか警戒するのは分かるし対策はとっても大事だと思うけれど取り敢えず騒ぎすぎで全ての会議を中止して緊急集会を開いて全社員の行動を規制するのはあたしちょっとどうかと思うよもう関東きてるんだから時間の問題だったじゃないまーあたしは今日もともと泊まりの予定だったから別にいーんだけどさ、もし今日舞台とかライブとかの予定入ってたらあたし発狂してたよ。入ってなかったら発狂してないけど。あー、マスクあと何枚残ってたかな、かな、かな、蝉。

とろとろ溶ける

なんとなく思い出したけれど私の通っていた高校は普通科と家政科に分かれていて家政科は一クラス普通科は七クラスあって家政科は普通科より偏差値が十弱低くて母校は馬鹿みたいに頭の固いスカート丈常に膝下な高校だったけれど家政科の子たちは少し短めにしてて可愛くて近くの工業高校に彼氏がよくいて普通科は基本言い方が悪いけれどダサい子が多くて常識的で頭のそれなりによい子が多くて普通科の進学先は主に大学だったけれど家政科の進学先は主に専門学校で全然気にしていない子も多かったけれどどことなく家政科を見下したり馬鹿にしたりひがんだりしている子もやっぱりいてそして家政科にはふたりのとても仲のよい女の子がいて手を繋いで帰ったり休日いつも遊んでたりして周りは口さがなくレズレズあの子たちレズなんだってとひそやかに笑い噂なんて全然興味ない私の耳にすら入っていたのだからそれはおそらくとても有名な噂で二年生の夏休みが終わったときにあの子たち一緒に温泉旅行行ったんだってガチだよねととても嬉しそうな顔で誰かが笑っていてひそひそひそやかに笑っていてレズレズと笑っていてあの子たちは全然興味なさそうにそ知らぬ顔で背筋まっすぐ伸ばして手を繋いで帰っていって卒業する前に彼女たちはレズビアンではどうやらないらしく単純にとても仲が良かっただけらしいよという噂を聞いたけれど本当はそんなことどうだっていいことなんだ、とかなんとなく思い出してた。

もうほっといてくれないか社会
市民権なんかいらないから

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約束ができた。嬉しい。
今日の朝焼いたスコーンはココアスコーンでなかなか上手に焼けたと思う、お昼ご飯に食べようと思って焼いて、だけど持ってくるのを忘れたから味はわかんないけど。今日は泊まりだからあのスコーンの具合が本当に気になるのですが、気にしながら食べたクノールのスープパスタは相変わらずいつもどおりの味がしてなんだか日常だなあと思ったからまあ別にいいや。クノールのスープパスタは商品名はスープパスタだけど名称はパスタ入りスープなので私は表示をみてちょっと笑った、けれど、その笑った意味を上手に説明しなさいと言われてもちょっと無理だ。

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風がすごく強い。ひゅうひゅう言ってる。蒼井優があくまのように可愛いのでしばらく購入していた午後ティーだけれど、(本来あたしはリプトン派!断じて!)あんまりにも甘ったるいのでそろそろ限界が来て今日は緑茶を買った。美味しい。そろそろホットコーヒーを八杯飲む季節ではなくなってきて、アイスコーヒーはあんまり好きではないので、これからしばらくは、緑茶ウーロン茶で生きていこうと思います。昨日ボンベイサファイアを買ってオレンジジュースで適当に割って飲んでたら気づいたら寝てました。毛布をクリーニングに出さないといけない。昨日は晴天だったけれど今日は曇天。風がすごく強い。

ぐつぐつ煮える

嬉しいことって、あるのだなあと思って、じわじわしてる。嬉しいことってあるんだよ、嬉しいことって、都市伝説じゃなくって、本当、に、あるん、だよ!テレホンカードを私は、持っていたような気がしてる。

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黒猫を引きそうになった。冗談みたいだけど冗談じゃない。朝、自転車で国道を走っているときに、黒猫を引きそうになった。頭のてっぺんから尻尾のさきっちょまでまっくろの猫。しゅんと駆け抜けていって、私の運転する自転車の前輪に、わずか、掠めて、左側の歩道に駆け抜けていった。掠めて、掠めたとき、肉の感触が一瞬だけ、した。確かに押し潰すイキモノの肉の感触だった。やんわりと跳ね返すような弾力を私の自転車の前輪に伝えて駆け抜けた。確かに前輪は、哺乳類の、猫の、柔らかい肉体を、叩き殺そうとしていた。こわかった。こわかった。こわかった。私は猫を布にしようとしていた。どうしてこのタイミングなのだろうと思った。私がアスファルトと猫のことを考えていたからだろうか。こわかった。殺さなくて良かった。もし猫が私の前に飛び込んできて私に殺害されるのであれば、私は、全ての正しさに糾弾されながらも、それでも言う、そのとき私は被害者だ。ころさなくてよかった、ころさなくてよかった、ころさなくてよかった、こわかった。私が横断歩道を渡るタイミングがもう少し早ければ、私がもう少しスピードを出していたら、出していたのなら、或いは。考えても詮無いことを想像する。こめかみで血液がごおおと言っていた。瞬間心臓がとんでもなく熱くなった。こわかった。

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鶏肉

ティシュー

今日の日記

万年筆は、メールやブログに賛成です。
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親指を操り、一心に手紙を打つ中学生や高校生。そんな姿を、街で見かけるたびに、私たちは、ほほ笑みたくなるのです。時にうれしそうな、時に真剣なその眼差しは、万年筆やペンを手にしている人の眼差しと同じだ、と。思いを言葉にすることを楽しんでいる人が、ここにもいる、と。ほんの少し前、「活字離れ」が心配されていたこの国で、毎日、何通ものメールという手紙を書き、ブログという日記を書く人が増えている。「この気持ち、あの人に届くのだろうか」「この考え、伝わるだろうか」迷いながら考えながら、言葉を選び、文章を綴る人たちがいる。筆記具という道具を90年つくり、書く人たちの隣にいた者として、そのことが、ただうれしいのです。そして、あなたの思いを、あなたの文字で、したためたくなった時。私たちのペンは、伝えようと思います。その胸の内を、その体温を、言葉にできない大切な何かを。
―――― 一本のペンがあれば、人は、笑ったり、泣いたりできる。
PILOT

 *

パイロットの万年筆のポスターが格好よかったので記録。

 *

由比良さんとこで1Q84に言及してある記事を見そうになった。慌てて逃げた。ああ早く読んでしまわなくちゃおちおちブログめぐりもできないよっ
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