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文学だけが十代の私を殺さなかった

辻村深月の「スロウハイツの神様」が文庫落ちしたので買って読んだ。すごく面白かったし、現在文庫落ちしている彼女の本の中では、私はいちばん好きだと思う。「ぼくのメジャースプーン」も大好きなので、ほんとうに「スロウハイツの神様」がいちばんか?と尋ねられたら、しばらく迷うけれども、でも、やっぱり、結局は、「スロウハイツの神様」がいちばん好きだ、と答えると思う。むかし小説に生かされた時代のある人は、きっと分かると思う。
すごく単純な、「十代の赤羽環は死にたかった。」というだけの一文が、ゆっくりと、その言い回しが重ねられていくにつれ、重くなってゆくことがかなしかった。最終章、「二十代の千代田光輝は死にたかった。」の単純な一文で泣けた。
ほんとうに面白かったので、いつか気が向いたら感想をちゃんと書こうと思う。
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ひかりのようにあなたの命はまるで遠くから降り注ぐようでした

おはよう なんか再起動

 *

20100131sun
桜井さん今村さんと新宿朝十時という狂っているとしか思えない時間に待ち合わせをする。あたしは今村亮さんという人には面識がなかったのでこれが初対面だった。初対面だったのにあたしは挨拶するとき椅子から立ちもしなかった。今ふと思い返して超後悔している、と書けば埋め合わせができるとあたし信じてるんるんるんたった。日記を書くのが久しぶりだから文体を見失いがちです。行かないで文体。あたしを置いていかないで文体、心だけ連れてゆかないで文体。
そんなことはどうだっていいんですが、今村亮さんについてあたしが所有している知識は、【一、なんか攻めたいらしい/一、なんかワーカホリックらしい/一、なんか変な髪形らしい】という三点くらいで、なんか別に全然知らない人だったんですけど、どくろだったし、出身が熊本だったし、みなみけを褒めていたし、面白かった。あと、なんかずっと、「キャメロンまじで頭わるいよな」と言っていた。ところで髪型は自己申告で「変」ときいていたのだけれど別に全然変じゃなかった。あたし今村さんにお会いしたらとりあえず頭を思い切り指差してぎゃはぎゃは大爆笑しなくちゃなあるんるんと思っていたのにしかし髪形は別に変でなくああほんとう楽しみのひとつを潰されて大変に遺憾ですどうしてくれるのですか。変じゃないじゃん面白くないじゃんぷんすかぷんぷん。あたしがバリカン持ってたらその場でモヒカンにしてやったのに!
新宿朝十時という狂っているとしか思えない時間にされた待ち合わせの主旨は「アバターについてあれやこれや言う」というものだと思っていたのに、なんか最初あたしがそういう主旨の発言をしたら「あれ?そうなの?」みたいなリアクションをされてこの日のために特に観たいとも思っていなかったアバターを二千円も払ってみたあたしの立場はぷぎゃー。二千円。バカじゃないの。うちの近所のシネコンではスリーディー上映は全部一律二千円で映画の日でもレディースデーでも老人でも子どもでも学生でも全部一律二千円で、あたしは「あらんそゆもんなのねん」と思ってなんの感慨もなくレイトショーで二千円ちゃあんを手放して観たわけだけれど桜井さんはなんかレイトショーで千五百円で観たとかゆってて「は?」と思いました映画館ごとに五百円も値段が違うとはこれいかに許すまじ世界征服。でも結果的にアバターのはなしはきちんとできたので良かったです。今村さんはやっぱり「キャメロンまじで頭わるいよな」って言ってた。人類学の話とかしていてふんふんと思った。「人類ばーさすナヴィ!科学ばーさす自然!ていう対立項を明確にしたいならなんでナヴィ側が自然と協力とかするときUSBみたくにゅっと接続するのそれなんの比喩だよちょう変キャメロンまじで頭わるいよな」「英語教育すばらしい!みたいなのマジで書いてるんだったらキャメロンまじで頭わるいよな」「キャメロンまじで頭わるいよな」。桜井さんはあんまりいっぱいは喋らなかった。日本酒飲ませるわよと思った。喋らなかったくせに自分のブログではなんか書いてる。このネト充が!(いい意味で)((いい意味で)と書けばだいたい許されると思っている)(それがあたしの宗教です)(ひとの宗教に口をつっこまないでください!)

アバターについて思うことを全部書いたら気持ちが悪くなるので書きません。

待ち合わせをしニ時間くらいくっちゃべった舞台であった新宿の喫茶店は、なんだかフレンチトーストのおいしいお店だったらしいので、フレンチトーストを頼んで食べた。今村さんは「俺ふだん朝ごはんなんて食べない。これは何日ぶりの朝ごはんだろう」なんてこわいことを言っていた。「死んじゃいますよ」と言っておいた。今村さんは桜井さんに「おまえ朝ごはん食べる?」と尋ねていた。桜井さんは「食べますよ」と言っていた。そのことについて今村さんはなにか桜井さんに対して罵倒をしていた気がするけれど全部忘れた。だいたいいつもなにも覚えていない。
喫茶店のフレンチトーストは甘くておいしかった。ふこふこしていた。喫茶店一押しの目玉商品であるフレンチトーストについて、今村さんは「はんぺんみたい」と言っていた。あまいはんぺん。「じゃあいっそはんぺんにクリームを挟んで食べればいいです」と言ったら「きもちわるい」と言われた。ふほんい。「でも(なにがどう「でも」なのか)香川はお雑煮にあんこ餅が入っているらしいですよ」と先日ついったで手に入れたマメ知識を披露したら、やはり「きもちわるい」といわれた。香川のお雑煮にあんこ餅が入っているのはあたしのせいじゃないのに。
私の実家のフレンチトーストは甘くないというはなしをしたら、前方ニ方向から「なにそれおかしい」と非難された。もう生きてゆけない。

劇団鹿殺し、演出は面白いのに脚本がいつもいまいちだという話をした。
いい話にしたがるところがきもちわるくてうざったくて鼻につくという話をした。そこまで思っているのはでもあたしだけかもしれない。
演劇ではずれをひくと猛烈に頭にくるという話をした。

今村さんは噂どおり忙しいひとらしくて、途中途中でぽつぽつと電話をしていた。電話をしている今村さんの横で桜井さんとあたしは今村さんとあんまり関係ない話をしていた。

フレンチトーストと一緒に頼んだパニーニのお皿に取り残された檸檬が哀れだったので、心優しいあたしは檸檬を桜井さんのお水の入ったグラスにつっこんであげた。檸檬は水を少しすっぱくして、なんかクエン酸的なあれで、桜井さんの疲れを優しく癒すはずだった。そんなあたしの心優しい行いに対して、桜井さんは、「え?なにこれ?え?」と言っていた。「意味がわからない」とも言っていた。優しさは儚く散っていった。世界は潰えた。

 *

十二時前になると今村さんは「そろそろhttp://www.katariba.net/">カタリバに行きます」と言った。「資料の袋詰めを手伝わせてあげても俺は構わないぜ愚民ども」的な発言をされた。(うそ)あたしと桜井さんは午後池袋の新文芸坐で「ミツバチのささやき」を観る約束をしていたのだけれど、上映時間は十五時二十分だったので、それまでは暇で暇で仕様がなかった。(うそかもしれない)桜井さんに「美術館か美術館か映画館に行きませんか?」と言われたけれども、あたしはカタリバ大学とかいうものにかかわっているひとはいったいぜんたいどういうひとなのかすごく興味があったので、袋詰め行きを主張した。あたしたちは袋詰めになった。(うそじゃなくてひゆ。なにかの)
カタリバの会場で声の大きなひとたちに怯えながら資料を袋詰めにした。こういう資料作りは文部科学省の役人が早いんだよという噂をきいた。へえと思った。ないかくそーりだいじんの演説とロッテリアの意味がよくわからなかった。いのちをたいせつに。かんぼーふくちょーかんとかいうわけのわからないひとも来るらしいので始まる前に早々に退散した。面白かった。

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時間が余ったので渋谷へ行って人形を見た。入場料千円は高いと思った。
現代詩のイベントみたいな、内輪に向かいすぎてぶすぶす発酵しまくっている空気を感じた。どろどろだった。
オナニーとオナニーじゃないものが混在していた。
人形のお部屋を出て喫茶店でコーヒーを飲んでスコーンを食べた。スコーンは口が渇く。

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人生で三度目くらいの池袋訪問をした。池袋はなんだか池袋だった。
新文芸坐はきれいな建物だった。新文芸坐のフォントがかっこうよかった。文芸の形がかっこいい。あたしは嬉しくなって褒めた。入場するときに貰った「しねまんすりぃ」というチラシのフォントはかっこうわるかった。ネーミングもひどいと思った。あたしは嬉しくなってけなした。
すごく混んでいたけれど、普段はこんなに混まないらしい。桜井さんは、「日曜日だから」と「人気だから」を言った。そうなのかと思った。人がたくさんいたのでスクリーンの右端にひっかかるかひっかからないかくらいの右端で見ることを強いられた。最初はかなしかったけれど、じいと見ていると、そのうち気にならなくなった。

「ミツバチのささやき」はとてもいい映画だった。すごく好きと思った。アナは世界が打ち震えるほどにかわいい。唇をきゅっと閉じてじいと注視しているところがすごくかわいい。おかあさんに髪の毛をとかしてもらうところがかわいいし、ブラシで石鹸あわあわでくるくるするところもかわいい。イザベルもかわいい。黒猫の首を絞めて、噛まれて、特に表情を変えないところがかわいい。死んだふりがかわいいし、不恰好な手袋をしてびっくりして振り返ったアナにうふふと笑うところがかわいい。ふたりが囁き声で夜中の内緒話をするところがかわいい。ベッドのうえではしゃいでまわるのがかわいい。お洋服も、小物も、ぜんぶがかわいい。お互いの名前をたくさん呼ぶところがかわいい。
映画内映画でフランケンシュタインが女の子と話すところや、イザベルが大人の男性用の手袋をしてアナの口を塞ぐところや、アナが井戸の周りをくるくる回るところや、逃亡している男性とコミュニケートするところは、こわくてどきどきした。でも、最後のほうの、外で一晩明かすアナに、フランケンシュタインがゆっくりと迫ってくるシーンが、いちばんこわかった。アナは目をふうと見開いてじいとしていた。黙っていたし、動かなかった。見ていた。水に姿が映ってゆらゆらしていた。あたしは彼女の感情をリアルだと思った。あたしは彼女の行動をリアルだと思った。
ミツバチはうごうごしていたし、ひかりは射していた。ひかりは暗いところにまっすぐな線をひいたり、芒洋と影を浮かび上がらせたりした。
アナの髪の毛はきっと柔らかくてさらさらなんだろうなと思った。

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池袋の居酒屋さんでお酒を飲んでご飯を食べた。お客さんは少なくて、ジャズがわしわしかかっていた。シーザーサラダと鶏南蛮と揚げ出し豆腐を食べた。お新香も食べた。桜井さんは日本酒を飲んでいて、あたしはワインを飲んでいた。グラスとフルボトルしかなくて、デカンタがないのはけしからんことだと思った。
だいたい他人のわるくちを言っていた。楽しかった。
宮沢賢治は狂っているとか、そういう話もした。とにかく固有名詞や擬音が読みにくすぎる。なにを思って書いたのか。なにカムパネルラって。なにグスコーブドリって。なに「おおほいほい。おおほいほい。」って。読みにくい。覚えにくい。意味わかんない。好き。
太宰は川端に「俺をばかにするなんて!刺すぞ!」と言ったのだから、舞城だって石原に「俺を選ばないなんて!家中のウォッシュレットの電源を落すぞ!」とか、「俺を選ばないなんて!気がつかないうちにおまえの家の電力を二十アンペアに設定しておいてやるぞ!すぐにブレーカーが落ちるぞ!」とか、言えばいいのにな、とか話した。
でももうだいたいぜんぶ忘れた。

あたしが欲しいものはあたしが大切にしているものの中にしかなくて、政治はたとえばがんばっているのかもしれないけれど、政治がなんとかしたいと考えているところに所属しているにんげんは政治がなんとかしようとしたところでなんにもならないのであって、政治がなんとかしようと思った時点でなんとかならないことが確定しているのであって、意味なら必要ない。

社会がやろうとしてることは、それは小説の仕事だ。小説の仕事だし、映画の仕事だし、舞台の仕事だ。あるいは音楽の仕事かもしれないし、ダンスの仕事かもしれない。いずれにしても、それは社会の仕事ではない。
あたしはあたしの欲しいものを手に入れるためにあたしが大切にしているものの中からあたしが大切にしてるものや軽んじているものや嘲笑しているものをまるっとかためて手に入れる。そしていろんなひとに見せびらかす。それがあたしの仕事で、だから、あたしは、あたしが、生きていないなんて、誰にも言わせない。
(というスタンスを打ち出すことは、そうでないスタンスを殺すことではないということを、説明しなくてはわかってもらえなかったり、説明してもわかってもらえなかったり、することが、ずっと、こわかったのは、ほんとうにばかみたいで、そんなことはひどくまっとうなことじゃないか。言えばいいし、伝わらないし、でも言えばいいし、だけど伝わらないし、それでも言えばいいし、伝わらなくても、言えばよかった。希望というものはいつだって違うものの形をしていて、それでも、希望だと信じれば希望になった。しんしん。)
必要なのは盲目だし、それでも必要なのはひかりだった。

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一年くらい前(たぶん)に、「正しく生きたい」「善く生きたい」と誠実に切実に訴えていた人に「正しいなんてきもちわる」と私は言った。当時その人は奇妙な自己啓発のようなものにはまっている気配があって、「そんなの考えなしで、宗教じみててきもちわる」と私は言った。たぶんその人は私のことを嫌いになった。おそらく電話番号もメールアドレスも削除された。日記も辿れなくなった。交流の一切は絶たれた。でも私はそのときの自分の発言を後悔していないし、悪いことをしたとも思っていない。もちろん、正しいとも、思っていないけれど。
否定されない世界に意味なんかない。否定される程度でなくなる世界に意味なんかない。
言えない言葉に価値なんかない。
関係なんかできないけれど、誰とも関係なんかしたくはなかったけれど、言葉のない場所にはいたくなかった。
言葉なんかなんのツールにもなれなかった。しかしそれは言葉だったし、私は言葉が好きだから、ただそれだけでよかった。
好きな人を嫌いになったり、好きな人に嫌われたり、することに対して本当にストレスを何一つとして感じない不感症だとでも思ってるのかよばかやろう。ちくしょう。言葉を投げても言葉なんて返ってこない知ってる。
でもそれでも言葉を投げることが好きだ。
それしかいつもできない。

 *

一国の首相が「いのちをたいせつに」なんて演説をしている時点でなにかがおかしい。バカか。
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