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酒井幸菜「難聴のパール」@横浜創造都市センター

久しぶりにブログにアクセスしたらゆひらさんからコメントをもらっていたので、嬉しくおもって、ブログもわるくないな、とおもった。

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20100619sat | 酒井幸菜「難聴のパール」@横浜創造都市センター
あたしは神奈川県民だけれど神奈川県民だからといって横浜に詳しいわけでは全然なく、それでもかろうじて横浜駅の周辺ならば活動圏内なのだけれどみなとみらいなんて観光地のことはさっぱりわからない知らない。でも横浜創造都市センターなんてふしぎな名前の場所でかわいい女の子が踊るらしくしかもその横浜創造都市センターはランドマークタワーなんてこわい観光スポットの近くにあるらしいからもうあたしは踊る女の子を見るために生きているのだしこれは致し方ない観光地行くしかないよねということで全然知らない桜木町駅に行った。桜木町駅は横浜駅から歩いたら二十分くらいかかるけれど電車だと五分くらいだから電車ってすごいなあとおもった。電車すごい。この日の二日前あたしは桜井さんに「二時二十分桜木町」と指示されていたので犬のように従って、しかもあたしただの犬でなく賢い犬だったのでぎりぎりに行くなどということはせず七分前の二時十三分に桜木町駅改札前に到着し、て、待ち伏せて待ち伏せてやってきた桜井さんに「あたしは五分前精神の賢い犬!」と叫ぼうとしたのにも関わらず桜井さんはなんだかもうふつうにすとっといたのであたしはやっぱりただの犬だった。なんということでしょうファック。嘘だよ。
あたしは酒井幸菜さんを見たことがなくて、知らないし、とりあえず桜井さんが「かわいい」「かわいい」「かわいい」「とりあえずかわいい」と絶賛していることくらいしか知らなくて、「そうかかわいいのか」程度の予想をしてある程度の「かわいさ」に対しては耐性のある態勢(おもしろいジョークです!)で見に行ったのだけれど、あたしがこの日目撃した酒井幸菜さんは想像を絶する「かわいさ」だったのであたしは目から耳から口からたまごをまき散らしながら「かわいい!」と絶賛するしかなかった。かわいい。
そんなふざけた感想はふざけているのでどうでもいいのだけれど、「難聴のパール」はとてもすばらしかった。なにしろ「難聴のパール」だもの、「難聴のパール」、名前からして「難聴のパール」だから、それはもはや「難聴のパール」だった。タイトルのうつくしさにぼんやりとした。踊る場所には女の子が五人と男の子がひとりいて、女の子三人がよく踊っていて、女の子ひとりと男の子ひとりもわりと踊っていて、女の子ひとりはチョークをずるずるしていた。たまに朗読もした。お皿を取り合ったり腕をふしぎにかくかく回して踊ったりぶんぶん走り回ったり、いろいろ、していた。それは音楽と一緒だったり、無音と一緒だったり、鋏やメトロノームと一緒だったり、したけれど、いずれにしても踊りには違いなかった。踊りはあるいは、骨であり肉であり心臓だった。
あたしがこの日すごく好きだなっておもったのは、なんだかよくわからないけれどみんなするする動いていて、止まっているように見えてもふと気がつくといつの間にか形が変わっていたりして、つまりあたしたち観客の意識の間隙をぬって常にどこかでそれらは死角でするする動いていて止まらず、たとえば六人いる踊り子さんたちのうち五人が座り込んでいてただひとりがふしぎな動きをしていてそのひとをじっと見ているといつの間にか他の五人の形や位置が変わっているということが頻繁に起こっていて、それはなんだか軽く騙されているよう、曖昧で、つまり絵画に似ていた。でもやっぱりするする動いているものだから絵画ではなくて、ということはやっぱりこれは踊りなのか、と踊りについて感想をもった。踊りに、踊りだ、という感想を持てることがあたしは、好きだな、とおもう。もうひとつ好きだなっておもったのは、踊っているひとたちは絶えず近づいたり離れたり追いかけたり追いかけられたりを繰り返していて、でも、決して、向き合わないところが好きって好きだなって好きなんだなってあたしおもった。女の子と男の子がひとつの柱のまわりでくるくると追いかけっこをしたりしても、すぐにするりと離れていってしまって、無関係、なにごともなかったのようにそれらは分離してしまう。それはたとえば六種類の液体があって、それらはたまに他の液体と混ざり合い一時的に五種類となったり四種類となったりする、のに、どうしてだか絶対にそのままにはならずまたふたたび六種類の液体に戻ってしまう、というような実験だった。彼らは形状記憶だった。自分の表面を忘れることができないみたいに元通りに戻ってしまった。いつも。ふたり以上の踊り子さんが絡んでいるときはほんとうにそのふたりの皮膚が癒着してこれはふたりじゃないなひとりだな、ひとりというか、ひとつの物体だな、そのように感じるのだけれど、でもどうしてだかそのひとつの物体はすぐにふたりに分離してしまうのだそれは不思議なことだどうしてなんだろう。そんなことを考えていた。踊り子は、踊り子と一緒に踊って、たとえば正面に立ったり、寝転んだり、触れあったり、引っ張ったり押さえたりいろいろしていたのだけれどでもそれらの行動を行っている行われている二者があたしにはどうしても無関係にしか見えなかった。男の子は女の子を追いかけていたけれども男の子にとって女の子がなにか意味のあるものだとは思えなくて、女の子にとって男の子は追いかけてくるのだから驚異であるはずなのにしかしそこにはやはり関係性がまるでないように見えて眩暈ばかりしていた。あたしは椅子に座ってたくさんたっている柱やシャンデリアや複雑な模様の刻まれた天井なんかに取り囲まれてまったく無関係に踊っている個々の六人や個々の五人や個々の四人や個々の三人や個々のふたりや個々のひとり、を、呆然として見ていた。でもあたしが見ているものもあたしとは無関係なのかもしれず、もしかしたら、見てもいないのかもしれなかった。ぜんぶ嘘だったのかもしれなかった。横浜創造都市センターの1Fホールは、神殿とか、なんかそういうものみたいに立派な建物で、そして客席は踊られている場所からあまりにも近すぎて、全体を見渡すことはできず、だから上に書いたみたいにじっとひとりを見ていたら他がすっかり様変わりしてしまうというような意識の間隙も、生まれて、なんだかひどく不安定だった。不安定に薄暗くうつくしかった。深く青めいていたり軽薄な白に照らされていたり、いろんな照明にいろんな色を与えられながら、踊っているひとたちを眺めて、その間中あたしは、関係性っていったいなんなんだろうとおもっていた。関係するって、いったいどういうことなんだろう。関係しないって、いったいどういうことなんだろう。関係しないということは、関係しないという形で関係していることだろうか。しかし関係しないという形で生まれた関係は、関係しないのだからやはり関係していないのかもしれない。そんな言葉遊びをしていた。柱の合間と意識の合間を縫って個々の何人かが踊っていた。部屋はだいたい薄暗かった。

チョークをひきずって歩いていた女の子が、「ポッカリ月がでましたら、舟を浮かべて出掛けませう、」と朗読していたのを思い出す。聞いたことがあるなと思ったら中也の湖上だ。ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出掛けませう、波はヒタヒタ打つでせう、風も少しはあるでせう。チョークをひきずって歩いていた女の子は、長い棒の先にチョークをつけていて、それをずるずるひきずって歩いていた。歩き回っていた。椅子の上に膝を抱えて座ったり、男の子の膝に頭を乗せて寝転んだりした。蝋燭を持って歩きもした。
あたしにはあの女の子が船頭に見えた。あの女の子は、ぽっかり月の浮かぶころ、湖の上、舟を浮かべて、出掛けていってしまうのだとおもった。そして他の五人は、個々の五人として、まるで関係なく湖で踊るのだろう。難聴で、音は茫洋としていて、関係があるのかないのかもわからず、おそらくは曖昧に。

つまりなにが言いたいのかというと創造都市センターはなんだか神殿というか、なんかそういう系の荘厳な建物だったので創造都市センターという恥ずかしい名前でも恥ずかしくないねっておもったよっていうことだよ。
ちなみに難聴のパールすごくおもしろかったので日曜日も当日券で見た。おもしろかった。

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難聴になったあと桜木町駅へとってかえして「八帖帳の犬」の藤野さんにお会いした。藤野さんは改札の前で電話をしながら、五百ミリパックのお茶を飲みながら、立っていた。ストローの飲み口ががじがじされていて、ぺたんこだった。桜井さんが、「藤野さん」と藤野さんを示して言い、「管城さん」とあたしを示して言った。知ってるとおもった。知ってるというか、知ることになるというか、そうだと予測がつくというか、紹介してくれてありがとうとおもった。藤野さんは長い花柄のスカートをはいていて、おばあちゃんが編んでくれた嘘の茶色いものを羽織っていて、髪の毛が黒で、肩の上まであった。文体とかブログ上でのキャラとかなんかもうどうでもいいんですけどとにかくかわいかったのでここにかわいかったと熱烈に記載することでかわいかったことをかわいく主張するとともにかわいさを讃えたいとおもいますちょうかわいいやばい。やばい藤野さんかわいい。肌が白くて目がきれいに二重で鼻筋がすうととおっていて他にもなんかいろいろ描写したいのですがこれ以上書いたらへんたいのそしりを免れないのでやめておきます。あたしへんたいじゃない。藤野さんは美少女。サブリミナル的にくりかえし書いていきます。
ごはんをたべるところを、みなとみらいでなんて知らないので、とりあえずこわい観光スポットであるランドマークタワーへ向かった。こわい観光スポットであるランドマークタワーならば、たとえこわくても、ごはんをたべるところがあるはずだった。ランドマークタワーはどのようにこわいかというと、てっぺんに常にゴルゴがいます。超こわい。
藤野さんは「ランドマークタワーってこういう大道芸のひとがいるところですよね」と言いながらふしぎな動きをしていて、まったく理解できなかった。あたしは、藤野さんは美少女だけどよくわからないよ、まさかのブログ通りのひとたよ、いみふ、と警戒をした。桜井さんはその暗号を解読して、あたしにもう少しかみ砕いた感じで教えてくれたから、よかった。わかった。桜井さんがこの世に存在してくれていてよかったなあとおもった。
そしてランドマークタワーのレストラン一覧の前であたしたちは立ち尽くした。数が多すぎてよくわからなかったし、全員優柔不断だから選べなかった。少年が近くをうろうろして、さまざまなものを指さす遊びをしていたので、あたしたちは少年が指し示したお店に入ることにした。全員優柔不断だった。少年の指先はふらふらしていたので「いやいや少年選ばねーよ」とあたしは思っていたのだけれど、結局少年はひとつのお店を指し示したので、あたしのその考えは嘘だった。××らーというお店だったので、藤野さんが前半の「××」を覚えて、あたしが「らー」を覚えた。この作戦は抜群にすばらしかった。四文字なら忘れてしまうかもしれないけれど、二文字ならぜったいに忘れないからだ。そんなの当然のことだ。その証拠にあたしは「××」の部分がなんだったかもう忘れちゃったけれど「らー」はまだ覚えてる。「らー」。
「××」「らー」「××」「らー」と言いながら歩いていたら、桜井さんに「ずっとそうやって歩くの…?」とそうとう気持ちの悪いものを見た目で見られた。かなしかった。「そのうちまんじゅうこわいになります」と言ってやったら「へえ」とすごく蔑んだ目で見られた。ちょっとときめいた。
ちなみに××らーはお肉の値段がふつうに三千円とかする高いお店だったので入らなかった。
桜井さんが「おれはこのお店じゃないといやだこのおみせじゃないとゴルゴに依頼をしてねこをころしてやる逆立ちをしながら全力で山下公園をかけぬけてやる煙草をやめるやめます」と自然食バイキング的なお店の前で言ったのでそこに入った。もちろんいろいろ嘘です。藤野さんはしきりに「バイキング…海賊…バイキング…海賊…」と言っていたけれど、あたしは空気を読めるしひとにたいして思いやりの心を持っているので「日本ではブッフェスタイルのお食事のことをバイキングと呼ぶんですよ」というすばらしく高度な知識を見せびらかしたりはしなかった。桜井さんはふつうにごはんをたべていて、あたしはじゃっかん多めにごはんをたべていて、藤野さんはグラノーラにきなこをかけて「喉が渇きます」と言いながらたべていた。パンをスプーンにつきさしてたべたりしていた。おそるべきことに、話題作りやネタでやっているわけでなく、ごく当然のこととして彼女はそれらのことをおこなっていた。藤野さんは美少女なので、藤野さんがごく当然のこととしてそれらのことをおこなうとなんだか周りもそれをごく当然のこととして受け入れなければならないという錯覚につつみこまれてしまってあたしはなにも言えなかった、でも桜井さんがつっこんだ。空気読めない。てゆうかあたしは藤野さんの隣に座っていたので桜井さんが指摘するまで藤野さんがパンをスプーンにつきさしてたべていることに気がつかなかった。え?

別料金でお酒を頼むことができたけれど、あたしはお酒なんかたいして好きではないので、頼まなかった。べつに別料金だったからとか、心惹かれるラインナップでなかったからとか、そういうことはぜんぜん関係ありません。ほんとうだよ。

ごはんをたべたあとは桜木町駅にくっついているなんかよくわかんないコーヒーとパイを売っているニューヨークでコーヒーを飲んだ。あたしは桜木町にニューヨークがあるなんて知らなかった。やっぱり観光地はこわい。あたしと藤野さんはコーヒーを飲んだ。コーヒーの味がした。桜井さんはレモンティーを飲んでいたけれど、「すっぱい」と言っていた。そんなのあたりまえですとおもった。でもかわいそうだから言わなかった。主に手のはなしをしていた気がする。でもだいたいぜんぶ覚えていない。とりあえずてのひらを左右一緒に見ると「あれこれは反対だよ」とおもうことがわかった。すごく不自然できもちわるい。きりとってつけかえないといけない気がした。でもそんなことはしない。
藤野さんは美少女だけれど、携帯電話がおかしかった。彼女は携帯電話の電池パックを外せなかった。桜井さんは外せた。すごい特殊技能だから、それで就職できるとおもう。でも桜井さんはもう就職してしまったから、そんなの意味がなかった。
あたしはこの日、一週間後に単身赴任する父を見送りに千葉へ行くことにしていたので、アクアラインを走るバスに乗るため早めに彼らと別れた。彼らはあたしを改札口に放り込んでどこかへいなくなった。あたしは電車で五分かけて横浜駅へ行き、そごうの裏側からアクアラインを走るバスに乗った。アクアラインを走るバスは、アクアラインへ向かうために、まずは川崎へと向かった。アクアラインを走るバスは、京浜工業地帯を、適切な速度ですりぬけるので、あたしはそれがいつもとても好きだ。工業地帯、きらきらと人工物で、ごつごつしていてかわいげがなく、うつくしくて、そしてその隙間を地面の上にぴったりとあるわけじゃない妙に立体的で不自然な道路の上を、にんげんじゃない不自然な箱に収められて突き抜けてゆく、その行為はとてもにんげんで、だからあたしはそれがいつも好きだ。工業地帯をすりぬけて、アクアラインに乗ると、たとえば港や、工場やビルの、すべてのひかりが星のように、まっくろくてなにも見えない底抜けの海が宇宙のように、みえて、なんだか軽く飛んでいるような気分になった。明滅しているいくつかのひかりが、近くにいたらきれいでもなんでもなく、愛せもしないのに、離れればうつくしくみえることが、とてもふしぎだった。夜に潜行するみたいに、車はぶんぶん走った。あたしは関係性とてのひらについて考えていた。

夜更けに実家についた。父と母と兄と話した。シャワーを浴びて本を読んで少し寝て神奈川へ帰った。実家には十二時間ほどいた。父がおみやげに自家製のベーコンの燻製を持たせてくれた。あたしは横浜でもういちど「難聴のパール」を見て、古着屋で服をいくつか買って、帰宅した。
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