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後ろ足の裏についている舌で砂を舐める

勉強で必要だったので都知事関連の文章をいろいろ読んでいたのだけれど、なんかもう頭パーン!てなりそうだよね。読んでいて何回か紙びりびりに破りたくなって実際何回か破っちゃったんだけど読まないわけにもいかなくって、だってレポート書かなくちゃならないし、だから読んでたんだけど、もう、ああ、もう。びっくりするくらいの差別主義者だっていうことは知っていたけれど、その価値観の形より、価値観が持っている強度の方がわたしは気になる。どうしてこのひとは自分のこと疑わないんだろう?そしてそれが許容される土壌ってゆうのがすごい。このひとの発言をいろいろと調べていると、発言の根拠が自身の快不快であることが多くって、それって実学がやっちゃいけないことなんじゃないのかなあ。特に、こういうひとは、法律つくったりしちゃだめだよ。わたしがずっと思っていたよりは、このひと小説家なのかもしれない。社会的にだめっぽい。小説つまんないけど。社会的にだめっぽいひとが社会によってがっちりと庇護されていてそして社会は庇護している対象の社会的にだめっぽいひとに支配されているっていう構図はちょっとおもしろい。これは命令したいひとと命令されたいひとのわかりやすい図だよね。

今日は仕事納め。こんなに長く休暇貰えるのは今回がたぶん最後だから、全力で休むし、全力で遊ぶ。勉強もほとんどしない!楽しいことばっかりしたい。
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あなたを含まないわたし

低空飛行。あんまり高くない位置をまっすぐでなく不規則にくねりながらゆるゆると進んでいて相変わらずの私の生活。わりと曖昧、現実感なんてなくって、でも劇的じゃないし慣れれば単調。そうやってティラミスみたいにミルフィーユみたいにあるいは嘘みたいに重ねて重ねて重ねていく時間の層を指して日常と呼ぶのであれば、わたしの日常はちゃんと正常にぱたんぱたんと積み重ねられていってる。景色は基本的にくもりでそこらじゅうに白とも灰とも言い難い半端な色の柔らかそうでも硬そうでもない雲がもこもことしていて可愛いと思おうと思えば思える気がするけれど積極的に思おうと思わなければ別に思わない。たまに雨が降るけれどひどくはないしすぐに止むし、たまに光も射す。でも基本的にはくもり。あったかかったりさむかったりはあるけれどどちらも極端ではない。そうやって低いところをゆっくりと飛ぶ。そうやって低いところをゆっくりと飛ぶ、飛んでいると、ときどきすさまじい強さの光がかっと射すことがあってそれはまるで目を潰すようなまったく白としか言いようのない白であまりに強烈、脳天をぶん殴ってでもすぐに消えてなくなってしまう。そういう光は基本的に出会おうとしなければ出会えなくて、それを探さなければわたしの低空飛行は常にくもりだろう。わたしはそれを探しているからいつもまっすぐには飛んでいなくて不規則にくねりながらゆるゆる。そうしてたまに光に出会う。わたしの目を潰して、そして一瞬で消え去る。潰されたわたしの目はしばらく経つと回復する。わたしはまた低い位置を飛びながら光を探す。わたしの目を潰すひかりを探す。
素晴らしい一瞬のために生きていると思う。素晴らしい一瞬のために。音楽でも、踊りでも、言葉でも、なんでもよくて、わたしはとにかく素晴らしい一瞬を体感するために生きている。ほんの一瞬、一秒にも満たないその瞬間、を得るために呼吸をしていると思う。欲しがることは体力を使うから面倒くさがりをわたしはたまにそれを止めてしまいたくなるけれどそれを止めてしまえばわたしはもうただのミルフィーユになってしまうだろう。ミルフィーユは甘くて歯触りがよくておいしくって、そしてすぐに消えてなくなってしまう。
約束とか、計画とかを考える。わたしが縛ったわたしのこれから先の時間軸が、わたしにとってとてもしあわせ。わたしはタコ糸を持っていつだってわたしの周りをうろうろとしてる。あなたの存在に、あなたの持つその時間に、わたしを押しこんでその一部のスペースをときどき占拠したい。わたしの存在に、わたしの持つその時間に、あなたを押しこんでその一部分をときどき占有したい。あなたとわたしの時間軸を、レゴのように組み立てたい。あるいは重ねたい。ミルフィーユのように。約束はたぶん、そういうことなんだろうと思う。すべてでないことがこんなにもうつくしいから、わたしは自身の幸福をここまで確信できるのだろう。あなたがわたしではないことがわたしはこんなにもうれしい。
わたしを含まないあなたや、あなたを含まないわたしを、こんなにもいとおしくおもう。

笑うな

ひとのセックスを笑うな。むしろ見るな。へんたいだぞ。春まで待ちなさい。春ならへんたいが許容される。かも。冬よりかはもしかしたらね。ちなみにここで言う春とは季節のことであってわたしの名前ではないよ。勘違いをするな。笑うな。おまえは笑うな。おまえはもう一生笑うな。笑うな。

ひとつのこまった問題があるとして、それが問題であると社会的世論的に認めてもらえることは、解決にいたる過程の八割くらいを占めているとおもうのだけれど、それがまったくほんとうにむつかしいよ。たいていのことは笑って済まされてしまう。会社で性的いやがらせを減らすための教育っていうのが定期的に行われているのだけれど、でもそれって対外的に、もっと言えば新入社員とるときに「こういうことちゃんとしてるよ!」ってアピールするために、行われているだけの形骸化した制度で、だから中身なんかないのね。ていうか、回ってくるポスターとか小冊子とか見たり読んだりするだけなんだけど、たいていのひとはそれを笑いながら見てる。うちの会社九割九分はおとこだから。「ないない」「自意識過剰でしょー」とか言っちゃって笑っちゃってんの。いやいや、あるから。ちょっとそこの管理職、ちゃんとはたらけよ。おとこどもはね、セクハラに関する啓蒙行動がね、ただの下ネタに見えてるみたいなんだよね。一回ね、ちんこと精巣ぶち抜かれてけつにバイブ突っ込まれればいいのに。そしておとこがおんなにバイブ突っ込まれることが社会的にふつうのこととして受け止められておとこは常におんなに警戒してしりをかばいながら生きていくことを強制されてしまえばいいのに。「肩に手を置く」「すれ違いざまに腰をなでる」とかの絵を見ながらげらげら笑ってるのよ。「飲みに来なければ仕事をやりづらくする」「デートすれば仕事で融通をきかせてくれる」とかのはなしを聞きながらげらげら笑ってるのよ。いや、あのね、ふつうにあるからね?ていうかおまえ、したからね?わかってんの?
なんで死んじゃわないんだろ。もーね、ほんとね、死んじゃってほしいね。死ね。

なんだか知らないけれど今週は平均睡眠時間が三時間半。なんで?遊んでいたからだよ。
ねむいの。

いちごを捨てる

職場の給湯室の三角コーナーに立派ないちごがたくさん捨てられていた。なに。傷んでいなかったし、齧られていなかったし、艶々と輝いていておいしそうだったし、買ったら高そうだったし、なんだかもう、なに。今朝のうらないで、水がめ座はいちごを捨てると恋愛運上昇かも、とかだったのかな。ちがうか。水がめ座じゃないよね。おうし座だよね。わかんない。いちごもったいない。
でも、いちごじゃないけど、捨て身の戦法だ。あたしは眺めてるだけだからぜんぜん捨て身じゃないけど。いつだってあたしの歩いてきた道にはたくさんの保険たちが死屍累々な感じでおびただしく豪華絢爛。いいじゃん、保険、すき。でも保険のおばちゃんはきらいよ。あのひとたちこわいもん。保険のおばちゃんに限らず、なにかをわたしに売りつけてくるひとはいつだってこわい。もの売ってくるひとだって、思想売ってくるひとだって、自分自身売ってくるひとだってね。それにしてもあのひとのあれはほんとうに捨て身の戦法だ。はずれたら死んじゃうね。死んじゃったらどうするんだろう。死んじゃってるからどうすることもできないのか。自分自身を人質にとった戦い方って、できるひとはきっと、ほんとうに、つよい。自分の価値をきちんと理解して、ずる賢くも勝率の高いやり方で、華麗にいろんなものを獲得して去ってゆくのだ。もちろんそれができなかったひとは死ぬ。いちごじゃないけど、ほんと、あのひと、捨て身の戦法だ。
あたしは保険をもってるよ。

今日も雨降りだったけれど、今日の雨降りは、昨日の雨降りとちがって、朝からきちんと雨降りだったから、わたしはちゃんと雨がっぱを着て自転車で出勤した。わたしは賢いので、コートやジャケットを着た上から雨がっぱを着るなんて捨て身の戦法(これ、まちがい。ちがう、自殺行為とか、そういう言葉の方が、ただしい。でも直さない。いいじゃん、消さないの。イレイスしないわけ。ぜんぶね、追加。)はしないで、ちゃんとね、長袖の、お気に入りの、ツモリチサトの白いシャツ一枚っきりの上から、雨がっぱを着たわけ。でもそれでも暑かったよ。自転車三十分全力で漕ぐからね。もう十二月で、しかもきちんとさむい十二月で、なんだか十一月の延長みたいな中途半端にあったかいにせものの十二月じゃなくてきちんとただしくまさしくさむい十二月で、それでもやっぱり暑かったのね。これ以上は中薄着できないから裸雨がっぱとかするしかないじゃん。どうしよう、これこそ、捨て身の戦法。ちがうね。ただの犯罪だね。へんたいは冬じゃなくて春にやらないと風物詩になれない。そんなのこまる。だってあたしは、いて座だからね。
そしていまは晴れてるよ。雨やんだの。
わたしは賢いので、今日は途中で雨やむこと知ってたの。天気予報を見たんだよ。準備がいいね。だからね、わたしね、ちゃんと保険をかけてね、かばんに黒色のカーディガンと赤色のジャケットを、入れてきたんだよ。雨がっぱ着たらへんなひとみたいな天気になっちゃっても、ちゃんとさむいおもいしなくても帰れるように用意してきたのね。ほんとわたし賢い。こうやって保険をかけて、生きてゆくわけ。ああ、もう、快適人生。いちごくらいさ、捨てるよね。ほんともうまっか。ばいばい。

ビッチとジャップ

さむい。十二月なのにたいして寒くないなとおもったから十二月なのにたいして寒くないなという小説を書いていたくらい十二月なのにたいして寒くないなとおもっていたのに、さむい。泣きたい。今日は外回りだった。さむい。泣きたい。さいきんシャンプーを変えたのだけれど、きょう同僚に「毛、においかわったね」と言われた。かなしい。さむい。泣きたい。すんすん。
指先が悴んでいる。手よりも足だ。すっかり冷え切ってしまうと、自分の指先がすっかり冷え切っているということもわからないくらい、感覚がなくなってしまって、なんだかもう足の指なんて、冷凍庫でかちかちに冷やしたとっても食べごろでおいしいやったね!な小枝(チョコレート)みたいなものになり下がってしまうのだけれど、でも、わたしの足の指よりは小枝(チョコレート)の方がすてきっぽい、とおもって、もしかして、私の足の指≒小枝(チョコレート)ということはつまり、やったね!だね!などとおもったのだけれど、わたしの足の指が小枝(チョコレート)になってしまったということは、つまりその小枝(チョコレート)はわたしの足の指であるということなので、つまり、なんというか、わたしの足の指は、わたしの足の指じゃん、という結論にいたって、もう、なにがなんだか。おなかすいた。
雨降りなのに、朝は降っていなかったから、なにも考えずに自転車で出勤したら、いざ帰宅する段になっておもわずアルカイック・スマイルを浮かべてしまうような空模様だったので、おもわずアルカイック・スマイルを浮かべてしまうような心もちになった。わたしは心もちよりはお金持ちになりたい。お金持ちよりはよもぎ餅の方が好き、というのは、もちろんうそで、わたしはもちろんお金持ちが大好きに決まっているのだけれど、なぜここでいきなりよもぎ餅がおはなしの中にさっそうと現れたのかというと、きのうお友だちがお友だちの会社の社長からお歳暮でもらったよもぎ餅七十個を、一人暮らしでどう消費しろと言うんだばかたれ!と叫んでいたのをもらってきたからで、だからつまりわたしはきょう帰宅したらよもぎ餅をたべるのだけれど、とにかく、まず、雨が降っているし、冷たいし、でも、自転車で来ちゃったし、別に傘は持っているから、自転車を置いてバスや電車で帰宅してもいいのだけれど、きょうはどうしても電気屋さんによりたいから、電気屋さんによるのであれば、自転車で帰らなければならなくて、つまり、よもぎ餅とか、なんかもうそんなこと考えてる場合じゃないよね。ちなみにわたしはわたしにお金をくれるお金持ちは好きだけれど、わたしにお金をくれないお金持ちは好きじゃないので、わたしにお金をくれないお金持ちとよもぎ餅だったら、よもぎ餅の方が、好き。とりあえずなんだか、もう、ひどい雨降りなの。ビッチ・ビッチ!ジャップ・ジャップ!ラン!ラン!ラン!!!!!

きみはしない

お酒を持って友人宅へ行って、ごはんをたべてお酒をのんでおしゃべりをしてDVDを見て、寝た。ブロッコリとトマトと砂肝の炒め物は、火を通しすぎてわけのわからないことになっていて、ちっともおいしくなかった。せっかく彼女が台所を貸してくれたのに、私はおいしいものを作れなかった。かなしい。高いワインは高くないワインとの差異が私の貧乏な舌には理解できなくて、でもいずれにしても、おいしかった。うれしい。仕事の話や趣味の話や、どうでもいい話をぐだぐだとして、ずっと喋っていた。高いワインが空いて、それだけじゃ絶対に足りないからともう一本買って持っていった甘いワインも空いて、彼女の家にあったマッコリも空いて、お酒がなくなったので、二十四時にコンビニへと行ってお酒を買い足した。チューハイと缶ワインを買って、飲んだ。三時に眠った。
十時に違和感で目が覚めて、とりあえずお手洗いへ行ったら、血が出ていた。彼女もまだ眠っているし、まあいいかと思って再度横になったのだけれど、ここ最近でいちばんひどい腹痛がずっと腹の下にあって、時間が立つほどにひどくなっていって、鈍器で殴り続けられているような痛みからナイフで刺し続けられているような痛みに変化して、耐えられなかったので、彼女を起こして薬を貰った。薬を飲んで、もう一度お手洗いへ行った。吐いた。久しぶりに自分の吐瀉物を見た。生理で吐いたのは半年振りだ。手を洗って口をすすいで、もう一度横になった。相変わらず腹痛はひどかった。けれど薬がきいたのか、徐々に痛みは治まっていった。もう一度眠った。貸してもらった布団はとても暖かかった。
一時に起きた。昨日の残り物で朝ごはんを作ってたべた。ケーキがたべたくなったので、飯田橋まで出かけて一緒にケーキをたべた。別のケーキ屋さんでサヴァランとチョコケーキを買って、彼女と別れた。JRと東急を乗り継いで横浜へ行った。途中で彼女に追加で貰った薬を飲んだ。今は痛くない。
横浜で降りた。歩いていた。音楽を聴いていた。ぼんやりといろんなことを考えていた。仕事や住居、人間関係、そういったものの未来のことを考えていた。でもそのすべてが通り過ぎるだけだった。私の未来は私のものではなくて、だって私はここにしかいなくて、これ以上先の私など私ではないのだから、すべてが別人の通り道のことだった。私は私が何を望み、何を欲しがっているのか、いつだって理解してやることが難しかった。私は私に何を許して、何を許してはいけないのか、いつだってすべてがよくわからなかった。ラッシュで洗顔とコンディショナーを買って、少しだけファッションビルの中を歩いた。知っている顔に幾度かすれ違ったけれど、すべて知らないふりをした。視界の端に手を振るひとがうつったけれど、気がつかなかったと言い張れる位置だったからまるで見えないようにすいすい通り過ぎた。透明人間になったような気持ちになった。それはなんだかすてきなことのようだった。財布と家具と服を見て、でもなにも買わなかった。そのまま電車に乗った。最寄り駅で降りて帰宅した。

好きなひとがいる。好きなことがある。呼吸をしている。


とても久しぶりに「影響を受けた」という言葉を垂れ流したぱくりを見た。金銭が発生しないから問題ないと思っているのだろう。恥ずかしいひとだなと思った。図々しくて空っぽのひとだ。本質的になにもつくれやしないのだろう。いやな記憶なので意識的に早めに忘れる。

人に優しく

各駅停車の電車が好きだ。しょうもない短間隔ですんすん止まるところが、律儀なだだっこみたいで、かわいい。空いている各駅停車の隅っこの席と音楽は、びっくりするくらいに相性がよくって、まるで双子みたい。イヤホンから流れてくる音楽と、背中とお尻と足の裏からしきりに自己主張をしてくる振動と、うすぼんやりとした加速度、そればっかりに意識が包まれる。乗り降りするひとたちを眺める。反対側のドアの手前に、濃紺の毛羽立った素材のポンチョに、黒タイツに、ベロアのかっつりした形のヒールに、青色に複雑な模様の入った大きなトートバックを持った、背の高い女のひとがいる。電車が駅に停止するたびに、一度振り返る。私は彼女のくるぶしを見ている。黒色。電車はまだ目的地に着かない。

前回日記を書いた翌日に、事態は好転したので私は帰宅した。金曜日は仕事をした。仕事を代わってくれたひとたちや、休暇を出してくれたひとたちに、頭を下げて回った。ほんとうに感謝しているひとに心から頭を下げ、まったく感謝していないひとに形式的に頭を下げる。見た目に差異はない。外側からは違いは観測できない。溝は私の中にしかない。生きやすく生きて息したい私は、お礼は丁寧にを心情としているので、いずれのお辞儀もとても丁寧だったろう。この程度のことが社会性だ。この程度のことが社会性だ。くそくらえだ。以前会った知人の連れてきた女のひとは、私がお酌をしようとしたら、「なんだ、普通の人じゃん」と言った。社会性なんてその程度のものなんだろう。くそくらえだ。ごめん、もう二度と会いたくない。
先日、高いワインを貰ったので、友人の家に遊びにゆく。友人は、お酌が嫌いだと言う。強制される飲み会も嫌いだと言う。彼女と一緒に食事をすると、ついだりつがれたりを意識しなくていい。とてもフラットでいられる。彼女のグラスが空いていたらそそいだりするけれど、私がしたいからしているだけで、なにも嫌じゃない。それは、彼女がそそがれることを待っていないし、それによって私を評価しようと舐め回していないからだ。

面倒ごとが背中にのしかかる。私の毛や皮膚や内臓を、少しずつたべてゆく。そうやってゆっくりと、二〇一〇年が暮れてゆく。でもそんなものだろう。呼吸をしているのだから仕様がない。
どんなことがあっても私は忘れることができる。呼吸をしている私は代謝をしている。たべられてしまった毛や皮膚や内臓を、しかし次から次へと再生してしまう。一瞬一瞬に自殺する。一瞬一瞬に生き返る。ゆっくりと生き返る続ける。それはつまり、瞬間の消滅と再生はひとつの大きな再生であり、そしてひとつの大きな再生とはつまり、ゆっくりと死んでいく過程で、ならばなにを背負い込んでも、怯えることなんてないのだろう。細胞が死んでまた私は違うにんげんに作り替えられてゆく。私は忘れることができる。私にはどうしようもなくつらいことなんてひとつも存在しないのだ。少なくとも、私の覚えている限りにおいては。

電車が止まる。電車からひとが降りてゆく。電車にひとが乗ってくる。私の隣が何人も何人も入れ替わってゆく。ポンチョの女のひとはもういない。私もあと三駅で電車を降りる。イヤホンから音楽は流れ続けている。

いくつかの音楽より前にあるものたち

昨日の夜。雨の降っている気配と、音。ただそれだけを感じていた。雨戸の閉められた和室で寝転んでいた。外に出ていないから見てはいない。ただ、落下してゆく水の音、空気、そういったものを、皮膚と耳だけで拾っていた。朝に目が覚めて外に出れば、地面はうっすらと濡れて濃い色をしていた。雨自体は止んでいた。
事情があって実家にいる。任せてきた仕事が心配だけれど、だからといって今できることなどないのでのんびりと生活している。久しぶりにラッシュのバスボムを買ってきたので、今日は二時間風呂に入った。寝る前に髪様でパックをして、一晩置くつもりでいる。なにもできないのに焦ってるときは贅沢をするといい。落ち着くことができる。できないことを嘆くことは性に合わないので、ただ待っている。ここ最近、身辺が慌ただしかったから、急にぽっかりと発生した空洞の時間を、私は歓迎している。職場の人には申し訳ないけれど、ちょうどいい、じっくり休むことにする。できないことはできないことだし、どうしようもないことはどうしようもない。そのことに対して罪悪感を抱けるほど繊細でないことは、数少ない、私にとっての私の美点だろう。

指先が冷たい。私の十二月の記憶の常より今は暖かいような気がするのだけれど、よくわからない。
明日は可燃ゴミを出して洗濯をする。買い物にも行けたらいいな。

スタンダップシスター

その階段はいつも湿気っていた。山の中にある捩子曲がった長い階段は夏でも腐った落葉が端の方に溜まっていて、いつだって饐えた世界のにおいがした。一定のリズムを保ちながら一段一段足を乗せていく行為は、私を敬虔な信者であるかのように錯覚させた。ときおり駆け上りたくなる衝動に駆られて、ただそれに諾々と身を任せ上へ上へ駆け上れば、それによって早くなる脈動がいつだって私をハイにさせた。薄暗い階段は途中で二又に分かれていて、片方へ進めば職場へ、片方へ進めば神社へと続いていた。山奥にある神主のいない神社はほとんど手入れされておらず、まるで階段の続きのように、饐えた世界のにおいをさせていた。それはもしかしたら、神さまのにおいかもしれなかった。階段の先に神社があることがわかっているから階段のにおいにもしんとした空気を感じるのか、それとも階段自体にしんとした空気を感じるのか、私にはよくわからなかった。ただ、いずれにしても、階段は常にそこにあった。神社も常にそこにあった。朝晩、部屋と職場を往復するための道は、もっと広くて人間と機械を感じさせる舗装道路であったけれど、外回りの用のあるとき私は好んでその階段を使った。階段で人とすれ違うことはほとんどなく、たまにすれ違っても声を掛け合うことはなかった。ただちらりと目を合わせ、目礼をして通り過ぎた。四季を通じて鳶が鳴き、夏や秋は虫が騒いだけれど、階段にはなぜか静寂が感じられた。その階段はいつも湿気っていて、いつもそこに在った。そしてまだそこに在る。誰かを下ろしたり上らせたりする。沈黙してあって、饐えた世界のにおいに溶け込んでいた。そこを歩くことが好きだった。あるいはこの先も。でもわからない。用がなければ通ることなどないだろう。愛してはいない。執着もない。ただそこを歩く、それだけのことだった。道があれば進むし、階段があれば上る。壁があれば迂回するし、谷があれば橋を探す。佇んでいることは不安に似ていて、楽しい遊びではあったけれどそれを常にすればきっといつか死んでしまう気がしていた。鍵で扉を開けることを勇気とは呼びたくなかった。すれ違う人々はいつだって死体のようで、とてもうつくしかった。誰とも一緒に歩きたくなかったし、言葉を交わしたくはなかった。私が安らいでいることを、私が楽しんでいることを、私が焦っていることを、私が凪いでいることを、誰にも説明したくはなかった。それはやさしさに似ていた。他者へのやさしさにとてもよく似た、自愛の形だった。他者へのやさしさにとてもよくにた自愛は、たぶんそれはつまり、等号で自愛によく似た他者へのやさしさと結ぶことができた。隔たりなどないのだ。そう信じる場所において、すべては隔たっていた。いつだって目礼をしていた。私はなにかを信じていたし、信じているし、これからも信じていくのだ。ゆっくりと生き返ってゆく。またしばらく、日記を書くんだろう。

サロメ、サロメ

 とてもいやなことがあったので数少ない気の置けない友人のひとりに電話をして一緒に晩ごはんを食べてくれないかと尋ねたら仕事で泊まりでむりだと言われてもうひとりに声をかける気力も失われてしまって先天的友人少ない病にかかっている私のちゃり移動圏内の愚痴れる友人なんてそのふたりしかいないものだからああもうだめだもうどうしよう世界終わる終わる終われどうしようってなっていたらあしたは時間あるからあした一緒にごはんたべようと誘ってくれたので、いや違うんだよきょうというよりたった今・今この瞬間に私はこの感情を吐き出したいんだよ吐き散らして消し去ってしまいたいんだよ泥のように吐いて地中に埋めて捨て去ってしまいたいんだよその手助けを今この瞬間にやって欲しいんだよあしたじゃないんだよ、と思ったけれどでもそのあたえられた約束はあんまりにも優しかったのでありがとうとお礼を言ってじゃああした会おうねという約束をした。約束をして家に帰ってごはんを作ってたべてお酒を飲んで好きな音楽を聴いて好きな本を読んで眠りたいだけ眠って、そして次の日友人の家に遊びに行った。私の電話に出てくれて約束をしてくれて会ってくれたんだなあと思ったらなんだかもうどうでもよくなってしまってごくふつうに彼女の部屋でごはんを作って一緒にたべてふつうの話をした。「一晩寝たらなんかどうでもよくなっちゃったよ」と言ったら「そっか」と言って笑っていた。ああどうやら私は恵まれている。まだ大丈夫だと思った。

 自分より大きくて強い存在に組み伏せられて征服されるということはとてもこわいと思う。私がそれを実感したのはいつのことだったろう。おとといいやなことがあったせいでその感情を思い出した。きょうはとてもいやな夢を見た。夢と現実の区別がつかなくなって目が覚めた瞬間とても怯えていた。携帯の履歴を確かめたりしていた。夢だとわかっていてもおそろしかった。それはとてもおそろしいことだった。わからない。友人のことを思い出す。彼女は私のこの感情をもっともっともっと強くしたものに押しつぶされて飲みこまれて連れて行かれてしまった。私は彼女のことを少しは理解できるのだと思う。理解できるのだと縋る。もう恨みはない。でもほんとうは違うのかもしれない。未だに恨んでいるのかもしれない。だって私はもうあんなことこわくないと、ずっと思っていた。関係ないことだと。でもこわかったのか。ずっとこわかったのか。わからない。いまさら思い出しても楽しくない。私は楽しく生きていたい。私を消費するのは私だけでいい。屈辱だ。
 でもまだ大丈夫。まだ大丈夫。私には電話をかければ出てくれる人がいる。約束をしてくれる人がいる。一緒にごはんをたべてくれる人がいる。だから生活していける。毎日ごはんをたべるし仕事に行くしお風呂に入るしいくつかあるささやかな趣味に時間を費やしてやれる。楽しくなったら笑ったり悲しくなったら泣いたりできる。私は日常をタフに生き抜いていける。つよくありたい。

肋骨で嘲ると言う

私は消費されたとして哀れまれるのだ。どんな事実よりもそれが惨め。惨め。
私の消費された不可避をおまえたちはさらに消費する。
笑えよ。

バターを舐めることについて

「一月に転勤だよ」と言われたので一月に転勤する。あたしは会社の犬だ。

  ◇

むらくも、むらくも。半年間髪の毛を切らないで放っておいたら、枝毛じゃない毛を探すほうがむつかしいよねっていうような、そんな感じになってしまって、こまっている。これでもあたしは、ここ三カ月のあいだ、美容院へ行こうとほんとうに努力したのだ。ホットペッパービューティーで安くて静かそうな美容院を検索して、いま空いてますかって電話すらした。空いてますよって言われて最寄り駅まで移動することすらした。でもそこまでだった。すごくがんばったけれど、人ごみの中へ降り立つと、とたんにあらゆるやる気がしゅるしゅると凋んでいってしまって、あたしはどうしても美容院へ行けなかった。いつまでも行けなかった。あたしは一か月前まで池袋から少し離れたところに、講習の名のもと拉致監禁されていた。いちいち自宅へ帰るのが面倒だったものだから、会社が用意してくれた寮に居ついてしまって、だから美容院だって、池袋近辺で探したのだ。しかし池袋とは、意味のわからないでっかいきたないドラゴンの鱗のような街で、いつだってあたしを怯えさせた。あたしは池袋まで出るだけで精いっぱいだった。そこから行ったことのない美容院を探し当てて、会ったこともない美容師さんに話しかけて、刃物を持った状態で背後をとられるなんて、そんなそらおそろしいことはできなかった。電話をかける時点では、そのための勇気を胃袋いっぱいに詰め込んでいるのだけれど、池袋なんて意味のわからないターミナル駅に着いたとたん、その勇気はどろどろと排泄されていってしまうのだ。うんこ。もうどうしようもなかった。あたしはほんとうに、努力したのだ。でも行けなかった。美容院はとてもこわい。だってあそこ、おしゃれなひとがおしゃれな口調でおしゃれな話題をちょう話しかけてくる。ちょうこわい。
でもさいきん髪とかすとほんと痛いのできょうは行くわ。もうおうち帰ってきたから知ってるとこ行けるもんね。ずんどこ。

会いたい友だちに会いたいなあと思ってメールを送らないとなあと思っているうちにいつの間にか金曜日になっていた。会いたかった日付を過ぎている。メールは送らないとなあと思い立ってメールを送らないとなあという感情を煮詰めているうちにメールを送らなければならない期限を過ぎてしまう。でもメールを送らないとなあという感情を煮詰めなければメールは送れないし、でも、そうすると、いつも、なんだか、なんでも、過ぎちゃうし、ほんとう、いつも、あたし、こまった。犬のようにこまっているのよ。
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