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なにかが起こってもなにかが起こったなどとは言い得ない

20110221mon
 仕事でしくじった。昨日から今日にかけては脳みそが溶けきっているとしか思えないことをぱかぱかやっている。普段はぜったいにやりたくない残業もやらざるを得なかった。要領が悪かったからだ。わたしは仕事がだいきらいなので普段はぜったいに残業なんかしなくていいようにぜんぶぜんぶ就業時間中に終わらせるようはしはししているけれど昨日から今日は、なんだかもう、わたし、ぜんぜん使いものにならなかった。昨日はだいたいずっとひとりの作業だったから誰にも怒られなかったけれど、自分でああもうありえないなと思いながら、泊まったので早朝に掃除をしていたら、ものすごくどうでもいいことで他の課の先輩に理不尽に怒鳴られてなんだかもうぺしゃんずぶんどぼん。テンションがだだ下がりしたのですきな服を着て出かけた。音楽を聞きながら街を歩いた。ドンルの真っ赤な花柄の変形ロングスカートに、地味なフリルのついたくしゃくしゃの黒いブラウスに、真っ黒でもこもこのツモリのファーブルゾンを羽織って、灰色のファーがもっさりついた十センチヒールのごついショートブーツを履いて、緑の花柄に茶色いファーと金色のボタンのついたキャップをかぶった。目の周りを真っ黒にして、下まつげに何度も何度もマスカラを塗った。ベージュのグロスをべっとりと塗った。イヤホンを耳にさして、アンチハニーを延々とリピートした。アパートの契約更新に行ったら、担当のお姉さんが優しかった。少し浮上したので美容院に行って、少しだけ髪を切って、デジタルパーマをかけた。でもそれが間違いだった。わたしはどうして、美容院に行くことで、自分の気分があがるなんて考えたんだろう。髪型を変えることはすてきだ。でもそのためには美容院に行かなくてはならなくて、そして美容院では鏡を四六時中眺めていなくてはならないのだ。パーマは時間がかかった。お店は込み合っていて、その他の作業にも時間がかかった。私は鏡に五時間向き合っていて、どんどん自分の感情が下降してゆくのを感じていた。鏡にはずっと気持ちの悪い女が映っていた。不愉快だった。どうしてこんな顔なんだろうか。どうしてこんなに気持ちの悪い顔なんだろうか。なんだかもう仕事でしくじったとかどうでもよくって、顔、なんでわたしはこんな顔なんだろう、顔自体が罪悪なんじゃないだろうか、ぼんやりと思った。顔が気持ち悪かった。顔が気持ち悪いと思いながら美容院を出た。
 明日は早朝出勤。

20110224thu
 昨日は整体に行った。ここ最近、肩と腰に激痛激痛激痛がひたすらにはしるので、これまでずっと料金の高さに躊躇していたけれども本格的に壊してしまってからでは遅いからと、決意して行った。めためた気持ちよかった。めためた気持ちよかった。二回書いちゃうくらい。すっかり治った心持ちになる。でもやっぱり通わないと意味がないらしい。一週間に一度は来てねと言われる。症状が回復していったら、ペースが緩やかになるらしい。きちんと治したいのできちんと通うことにする。しばらく懐は痛むけれど、仕様がない。わたしは健康でいたい。やっぱり肩は壊滅的な状態らしくて、先生は苦笑していた。腰は肩ほどではないが、よくはないと言われた。肩胛骨がまったくこっていないので、珍しいですねと言われた。水泳のおかげでしょうと言われた。そうなのかと思った。ストレッチを教えてもらった。実践しようと思った。
 今日は午後から仕事だった。行った。仕事した。ふつうだった。出た。
 仕事の帰りに行ったことのない喫茶店に寄った。喋り方の丁寧なおじいさんがひとりでやっていて、ブレンドが一杯三百五十円で、苦みが弱く酸味がやや強く、全体的に薄目の、アメリカンだった。ずっとピアノのジャズが流れていた。喫茶店という名前がふさわしい喫茶店だった。最初、お客はわたしひとりで、最初わたしは黙って文章を打っていて、店主は本を読んでいた。ジャズばかりが流れていた。途中で店主の、昔の仕事仲間がやってきて、彼らは穏やかに楽しげに会話をしていた。それはわりあい大きな声で、語られていたのに、わたしは邪魔に思わなかった。彼らの言葉は穏やかだった。同期の誰それが癌で死んだとか、そういった話を、穏やかに優しく、話していた。私は文章を書いていた。空気は柔らかかった。彼らの言葉の合間を縫って、ジャズが聞こえていた。このお店のブレンドは、安かったけれど味自体はそこまで好みではなくて、でもわたしはまた来ようと思った。空気は柔らかかった。
 帰って料理をする気になれなくて、ひとりでたまに行くイタリアンのお店に入った。おいしいのに、いつだってぜんぜん、客の入っていない、残念なお店だ。雰囲気作りが下手なのだと思う。選曲のセンスがないし、メニューの書き方がへたくそだ。でもわたし、とても好きだ。いつだってがらがらだからかもしれない。ホールのお姉さんに赤のデカンタを頼むと、「グラスはおひとつでよろしですか?」と訊かれて、戸惑う。おふたつ出していただいても、わたしは一向にかまわないのだけれど、しかしどうすればいいのだろう。ふたつのグラスで、交互に飲めばいいのだろうか。え、あ、はい、なんて間抜けな返事をした。お姉さんも、あ、という顔を一瞬して、そして困ったように笑った。しくじったな、という顔。可愛い。オープンキッチンの向こうで、シェフがくくくと笑っている。可愛い。
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ごみを埋める、きれいにすること、建設的なこと、もしかしたら非建設的なこと

 大きなスクリーンに海の映像を流している。南の海。透明な青色をした水底。泳ぐ水生のいきもの。ゴムを全身にまとって不自由なボンベを背負って落ちてゆくにんげん。水の音。呼吸の音。それだけが収められた映像。それだけが流れている。ずっと。いつも。久しぶりに以前通っていたダイニングバーに来て、メニューが少しだけ変わっていて、でも他はなにも変わっていなくて、たとえば延々とスクリーンに映し出される青い映像であるとか、そういったものがなにも、変わっていなくて、わたしはいつも座っていた席につく。お姉さんはわたしを覚えてくれている。わたしは軽く食事をとって、軽くお酒を飲む。キーボードを打つ。パソコンだったり、ポメラだったりする。耳にはイヤホンをつけている。音楽を聴いている。店の音楽は聴かない。曲と曲の切れ目に、わたし以外にいるお客さんたちの、甲高い声が聞こえる。硝子を爪で引っかいたときのような、甲高い声がする。
 すきなものをすきでいるということは奇跡だと思う。すきなものをすきでいられることは能力だと思う。わたしはその能力に乏しくてすきを持続させることがいつだって難しい。ぼんやりとすきなものはずっとぼんやりとすきだけれど心臓を受け渡したくなるくらいに愛してしまえばそれは持続しない。だってそれはわたしの心臓だから。わたしはわたしの心臓なしに生きてゆくことはできないから。たまに誰かに受け渡してもそれは仮置きに過ぎなくていつかは取り戻さなければならない。わたしはわたしを熱烈に愛している。わたしにはわたしの心臓が必要だから。受け渡すことはできないから。でも心臓じゃなくて。心臓どころではなくて。丸ごとを使って。あらゆるわたしの精神を、あらゆるわたしの肉体を、臓器を、体液を、なにもかもを使って沈みこんでそこに、その中に沈みこんでしまって、そういう風にすきなものは、たぶんずっとすきでいるんだろう。すきなものをすきでいるということ。誰か特定の誰か、他人を恋愛として、ずっと愛せるひとは、きっとこういう風に愛しているのかなあと想像したりする。でも違うのかな。わたしのこれは全身全霊での依存だろう。わたしはそれ以外の好意の持続の仕方を知らない。そういう小説ばかり書くのは、だからなんだろうな。わたしはそれしか知らない。
 すきなまますきでいるのは、ずっとすきなままですきでいるのは、文字を打つことと、プラだけ。それだけ。わたしに在るのはそれだけ。それ以外は入れ替わり可能な代替可能なものどもだけ。わたしという輪郭はコンクリートにひいてやったチョークの線みたいにすぐに薄れてしまって、だから頻繁に書き直してやらないといけない。わたしはその作業にだけ集中してしまって、中身にはあんまり気を払えない。いつもチョークの線を引っ張っている。そればっかりに意識を向けている。もう輪郭だけあればいい。中身はなんでもいい。わたしという主体はない。ただ輪郭の中に、文章と、プラだけ、いつも残ってる。わたしはそれだけ。それ以外は、いつだってなんだって、移り変わってしまう。わたしはいない。ここに線を引いているだけ。ほんとうはわたしではないかもしれない。わたしはコレクションをしているだけ。わたしはコレクションだけ。コレクションはわたしだけ。コレクションしているのは、わたし。主体かあるいか対象か。知らない。わたしはいない。

 どうでもいいことばかり考えている。暇だからかな。高熱はひいたけれど微熱はまだ続いている。でも心地良いから積極的に治さなくてもいいや。あしたとしあさってが仕事で、木曜日まではそれ以外休み。ぼんやりしていよう。音楽を聴きながら文章を書いていよう。
 朝からずっと夢の島ばっかり聞いている。

 目に浮かんだかなしみを捨てにどこに行こう。
 きらきらした夢の島どこにあるの。
 燃えて消えないゴミたちと朽ちていきたいよ。
 きらきらした夢の島一緒に行こう。

記録2

20110204fri
 出張している。足が痛い。
 女の子と話す。頭が痛い。
 男がいなくてはだめなのだろうか。男を好きになって男と結婚して男とセックスして子どもを産まなくてはならないのだろうか。恋愛とテレビの話ができないわたしは曖昧に笑うしかない。バンテリンを肩と腰と足に塗る。一ヶ月くらい前から左の首の根元が痛い。
 歌を聴いている。
 明日は本を読みたい。

20110205sat
 昼に紅茶を飲んだ。タンブラーで飲んだ。入れ立てで蓋をされた紅茶は、わたしには熱すぎて、冷まそうと思って蓋を開けたら、太股に少しこぼしてしまった。それはとても熱く、しかし、すぐに冷めてしまった。ぼうとして蒸らす時間を長くとりすぎてしまったせいで、紅茶は舐めると渋い味がした。余さず飲んだ。
 小川洋子の「薬指の標本」を読んだ。好きでも嫌いでもない。いや、ちがう、そうじゃない、どちらかというと、嫌いかもしれない。嫌いなのかもしれない。嫌いなのかな。嫌いなのかも。嫌いかな。嫌い。好きの反対側には嫌いがあって、けれど好きの両端にも、嫌いはあって、好きの反対側の嫌いよりも、好きの両端の嫌いの方が、きっとずっと、どうしようもなく、感情は揺るがないだろう。優しくしたいひとに優しくすることが許されないみたいに、きっとそれは、しくりと痛い。わたしは語り手の彼女に靴を脱いでほしかった。読んでいる間ずっと、わたしはそれを望んでいた。桃色のサイダーってかわいい光景だ。桜貝も。それでも。彼女の薬指は、ただしく標本になったろうか。それはただしいことだろうか。ただしさなど問題にならないにしても、それでも。保存液の中に浮かぶ薬指を想像する。
 仕事は可もなく不可もない。体がいろいろ思い出してゆく。スロウ再生されているテープみたいに、わたしは引き延ばされている。
 世界は常に生活雑音に満ち満ちていて、静かだ。
 持ってきたまあるいクッションに顔を埋める。やわらかい。

20110226sun
 リズムが掴めてくる。ひとのことも。自分がどう観測されているのかもわかり始める。この状態を維持してゆきたい。うまく生きてゆくこと。完全に馴染まず、完全に浮かず、バランスを大切にしてゆきたい。バランス。
 炭水化物を控えている。ものすごく食べたい。でも我慢をしている。でもやっぱりものすごく食べたい。お米はおいしい。後輩が鮭のおにぎりを食べていた。ふたつ。おいしそう。でも体重計に乗ったら明らかにわたし質量が増えているからだめ、ほんと、だめ、ぜったい。お米たべたい。アイスたべたい。雪見だいふく。たべない。
 誰かのためになにかをしたいと思ったことはないし、誰かのためになにかができるなんて思い上がった自惚れはしていないはずだけれど、たとえば、くるしいという感情を笑いながら並べてゆくことのくるしいと自覚されないくるしさ。あの子の生きやすい世界の角度が見つかるといいのに。
 きょうは本を読んでいない。
 音楽は聞いた。少し走った。

20110207mon
 一日のうちに二回階段から落ちる。左手の薬指から血が出る。皮が剥ける。皮が剥けたのは午前三時で、眠たくて仕様がなくて、治療も億劫で、水ですすいでティッシュとゴムで押さえてそのまま眠った。剥けた皮はそのままくっつくかもしれないと思って、元の形に整えてその上からティッシュで押さえて眠った。朝起きたら、わたしが眠っているときに動かしてしまったのか、半分ほどめくれあがった変な形で固着してしまっていた。億劫がらずに最初から皮のすべてを切断していればよかった。そう思いながらめくれあがった部分の皮を切る。皮に痛覚はないから痛みはないのだけれど、かつて自分の一部であった、意外に分厚い皮を、眉毛用の小さなはさみで切断してゆく行為には、どこか不思議な高揚感を覚える。カタルシス。左手の中指に歪な三角、真っ赤な肉が覗く。昼には乾いて、痛みも消えたのだけれど、押さえると相変わらずじくじくと痛むものだから、どこか楽しい。同じときにしたたかに打った右の膝は痣になっているのだろうか。まだ見ていない。
 中指に赤い三角形ができる前、深夜、生理がきた。血液づいている。もちろん中指から溢れてくる血液は経血みたいにくさくない。どろどろしていない。使用済みのナプキンと違って中指の血を押さえたティッシュはふつうのゴミ箱に捨てられる。わたしの卵巣と中指の差異。わたしの中指に女はいるのだろうか。
 仕事中に同僚から、冷めていそう、飽きっぽそう、と言われる。恋愛について。どう答えれば満足なのだろう。とりあえず笑う。みんな恋の話が好きだ。とても楽しそうにしている。人の話でお茶を濁す。わたしには男の好みなんてない。
 雪見だいふくをたべた。おいしい。
 小林秀雄と岡潔の対談を読み始める。おもしろい。

20110208tue
 一日予定を間違えて早起きしてしまった。遅く起きるよりはいいかなと思って諦める。することがないから朝から日記を書いてみようかなと思ったけれど目が覚めたばかりだから書くようなことがない。やめる。
 夜になった。肩が凝っている。腰が痛い。バンテリンを塗る。
 同僚の男の人と音楽の話をいくつかした。重なっている部分があったので少し盛り上がる。ヘヴィなロックがすきみたいだ。わたしはヘヴィなロックもすきだけど、ヘヴィじゃないロックもすきだし、ロックじゃないものもすきだ。そう言ったらひよっていてロックじゃないと言われた。そうかな。途中で混ざった後輩の男の子に「レディヘすきなんて病んでますよ!」と言われた。ひどい。病んでない。レディヘかっこいいもん。
 AKBが大好きな後輩の女の子からAKBのDVDを見させて貰った。その途中に女の子が女の子を好きになる曲があったのだけれど、「禁断」とか「どちらかが男だったら結ばれたのに」とか言っていて、うにゃうにゃする。後輩の女の子たちが「どうしてこんな曲つくっちゃったんだろうねー」「客席も気まずいよねー」と言っていてやはりうにゃうにゃする。わたしはこの職場でカムアウトなんかしたらたぶん死ぬ。永遠にできない。てゆうかなんで禁断なの。べつにどっちかが男じゃなくても、女の子同士でくっつけばいいじゃん。なんでそこで引っかかっちゃうのかな。意味わかんないな。さむいな。テレビでレディースを着る男性の特集をやっていたとき、違う後輩の女の子は「やだ、きもーい」って言ってた。違う後輩の女の子は、テレビにでてきたひとを見ながら「なんかこのひと男から女になりましたみたいな顔してるー、なんかへん!」って言ってた。くらりくらりとした。うにゃうにゃ。てゆうか差別主義者にはふつうに引く。吐き気すらする。でもそれがふつうなんんですって。ふつう。うける。ふつうにどれほどの価値があるだろうか。でもみんなそれが大好きみたいだ。いずれこういうことにも慣れるのかしらん。よくわからない。
 彼女ほしい。
 小林秀雄と岡潔の対談をすこし読み進める。やっぱりおもしろい。
 ベッドでクッションをぎゅうぎゅうと押しつぶしながら大音量で音楽を聴く。
 ぼんやりとアートスクールを聴く。
 おーうおーうお、れすきゅーみー。
 それは愛じゃない。

20110209wed
 舌がぴりぴりする。どうしてだろう。
 今日はストレッチをした。三十分かけてゆっくりと体を伸ばした。脚や腰や背中、腕、首、ほかにもたくさん、いろんな場所がきゅいきゅいと伸びていった。体中は痛いところだらけで、なんだか強ばってばかりなのだけれど、今日少し伸ばせて、ちょっとよかった。肩だけが軽くならない。泳ぎに行きたい。
 特になにもない。つつがない。
 先輩の誕生日だった。よい日。
相変わらず小林秀雄と岡潔の対談を読んでいる。頭がついていかないのでゆっくりとしか読めない。でもやっぱりおもしろい。
 口休めによしもとばななのデッドエンドの思い出を少しだけ読んだ。よしもとばななは初恋しか読んだことがなくて、ぜんぜんすきではないのだけれど、すきはひとたちがよく褒めているし、もしかしたらすきかもしれない、初恋がすきじゃなかっただけでほかはすきかもしれない、太宰現象が起こっているのかもしれない、と思って意識的に読むことにした。こないだ。デッドエンドの思い出は、いまのところ、べつにすきでもきらいでもない。

20110210thu
 やっぱりよしもとばななは嫌いなのだと思う。デッドエンドの思い出を読み進めて思う。よしもとばななの世界にはよしもとばなな的なものに満ち満ちていて、そんなことはもちろん、よしもとばななの世界はよしもとばななの世界なのだから、当然なのだけれど、しかしよしもとばななの世界にはそのよしもとばなな的なもの以外、一片の余地も与えないような、許容という言葉を発生させる、想像することすらできないような、耐えきれない押しつけがましい空白がたくさんある。とても息苦しい。穏やかに微笑みながらさくさく人間を殺してゆくような。軽蔑や憎悪よりずっときもちのわるいもので文章が埋め尽くされていてこわい。よしもとばななの見ている世界には、よしもとばなな的なものとそれ以外しか存在しないように思える。むしろ、よしもとばななとよしもとばななでないものしか存在しないように思える。そしてよしもとばななの世界において、よしもとばななでないものは、描写すらされない。黙殺されてゆくものたち。わたしがよしもとばななをすきになれないのは、その黙殺されてゆくものたちの中に、わたしが含まれているからだろう。よしもとばななの視点はたぶん、高く、あるいは大きく、わたしは指先一つで簡単に殺されてしまうくらい、たわいないだろう。なんだか天使とか、神さまとか、そういうものに似ている。それってつまり、天災と大差ない。たぶんわたしはよしもとばななが、人間には見えない。それが恐ろしいのだと思う。言葉の使い方とか、思考の末の結論とか、そのすべてが馴染まなくて、臍の下のあたりがぞわぞわしてきゅっとしてしまう。
恐怖。あと吐き気。こわいと思う。とても。よしもとばななの小説には、たくさんのよしもとばななたちが、よしもとばななの中で生活をしていて、よしもとばななの会話をして、よしもとばななをしている。たぶんそれって究極の個性と呼ぶべきものだろう。たぶん小説としてすごく優れている。でもすごくきもちわるい。最後まで読めていないけれど、もう開きたくない。
 今日は夢を見た。モップを三本持って職場にくるようにと電話をうけて、モップを探すのだけれど、一本しか見つからなくて、職場に行けない夢だ。わたしはずっと右往左往していた。三本ないといけないのに、わたしは一本しか見つけられない。このままではいけない。わかっているのに時間は過ぎる。わたしは焦っている。焦ったまま目を覚ます。夢だとわかる。ため息をつく。

20110211fri
 ぼんやりと苛立っていて、だからつまりいつも通りの日。
 自分以外を許容しないで唾を吐きかけること。
 見識が狭い、ただ単純にばかだ、と思うことにぞうとする。この子は頭が悪いのだな、とまるで素直に感じること。入れ子式の世界。わたしにはわたしより小さな世界しか理解できない。見下すこと。見下されること。
 筋トレをする。スクワットをする。ストレッチをする。熱いお茶を飲む。
 気力がない。
 夕食まで眠る。
 いらいらしていても笑えるようになった。おとなになったということだろう。ばかになったということに等しい。鈍化してゆくこと。磨耗されてゆくもの。それによって得られるもの。得られると錯覚されているもの。
 音楽について。女の子たちが話している内容を聞きながら思い出す。わたしの周りのひとたちは、たいてい音楽がすきだからよく忘れてしまうのだけれど、世界の大多数のひとたちはべつに、音楽のことなんてたいして愛してはいない。ポテトチップスみたいにさくさくたべて、吟味なんてしなくて、簡単に飲み干して消化してしまう。期間限定で新しい味が出るから、買ってたべてみる。たべたらおいしかったねと言って笑って、すぐに忘れてしまう。お誕生会の折り紙飾りみたいに、気分を楽しくさせて、空気を明るくして、その中でみんなで盛り上がって、そして終わったらすぐに捨てられてしまう。心臓になんか関係がないんだ。関係ないの。すがりついてすがりついてリズムが皮膚を叩いている感覚が染み着いてしまうようにメロディが舌の上で跳ねて口内を跳ね回るみたいに脳みそが中毒になってとろけて耳から溶けだすみたいにないとどうしようもないないとどうしようもないと唱えながら大音量だけを鼓膜を破って血を溢れさせてそれでも大音量大音量だけを欲しがるみたいなことはない、ないの、心臓には関係がないの。
 横になってヘッドフォンをかぶって目を閉じたまま大音量で音楽を聴く。透明なフィルターに包まれたみたいにとても安心する。わたしが再構築されてゆく。そんな風に自分の輪郭を保つためにどうしようもなく、音楽が、必要で、あとそれから言葉。言葉が必要で。言葉を飲むこと、吐くこと、どちらも失えばわたし収縮して破裂して死んでしまう。内側を適度に循環する言葉たちと外側に膜をつくる音楽。どうしようもなくわたしの生の根幹に近しいもの。
 そういう必要は、ノーマルじゃないって、どこかでたぶん忘れていたんだろう。
 音楽がすきだ。音楽がすきだ。
 部屋を暗くして、ベッドにうつ伏せになって、日記を書きながら、音楽を聞く。ゆらゆら帝国を大音量で聞く。漏れたオイルのてっぺん辿ってうちがばれないように捨てたかんかん拾ってうちがばれないように抜けた髪の毛辿ってうちがばれないように変えた名前を探してうちがばれないようにばれないようにばれないように。
 膜ができてゆく。
 逃げろどこまでも逃げろ。

20110212sat
 一段落。明日は休めそう。

20110213sun
 十時から休みになった。街に出る。さむい。
 せっかく知らない街にいるのだから、その土地のおいしいものをたべたり、お酒を飲んだり、建物を見たり、雑貨屋をめぐったり、したいのだけれど、一緒に行動している後輩たちがそういうことにまったく興味がなくてぜんぜん張り合いがない。とりあえずご飯は一緒にたべることにして、日中はひとりで行動することにした。いろんなところへ行こうと思ったのだけれど、しかしいかんせん、さむい。とてもさむい。あんまりうろうろする気になれない。ホテルでゆっくりしたい。でもここまできて仕事以外なにもしないで帰るのも悔しいので、とりあえず美術館に行ってみる。も不発。かなしい。ぜんぜんおもしろくなかった。常設展にも企画展にもあんまり魅力を感じない。かなしい。写真美術館がそろそろおもしろいことをやるよということを置いてあったフライヤによって思い出せたことが唯一の収穫。それは言い過ぎかな。常設展のいくつかはおもしろかった。路地に入って雑貨屋や古着屋を探すのはとてもおもしろいことなのだけれど、さむくて、あまりにさむくて、耐えかねて、諦める。いま駅から美術館へ行く途中にあるあんまりにもふつうでなんの色も感じないというそれもまたある意味すごい個性だよねなんて思うお店でぼんやりとワインを飲んでいる。お昼だからないかなと思ったけれどアルコール頼めたのでとてもうれしい。とりあえずねむい。後輩の女の子たちと合流するのがたるい。ひとりでふらふらしていたい。でも彼女たちに言わせると、ひとりで行動しているひとたちはかわいそうなんだそうだ。部長ひとりでかわいそう、あんなに周り誘ってたのにね、わたしも誘われたけど、でもほんとひとりでかわいそう、仕事以外でははなせるひといないんだね。かわいそう。ほんとうに心底そう思っているらしい。心がきれいなのだな。あと、頭がわるいのだな。そしてなにより、性根が腐った経血なのだな。一方的な憐れみを正しいと感じることができるくらいに、正しくまっとうに生きてきたのだろう。正しくまっとうな世界で正しくまっとうに生きていると、にんげんは脳みそを使わなくていい。彼女たちはつるつるとしている。まったくきれいに笑いながら穴という穴から醜悪を垂れ流している。二、三回死んだらいいのだと思う。結婚して仕事をやめて子どもを産んでお小遣いを稼げる程度のパートをしてしあわせに暮らすことをしあわせとして欲する彼女たちの生活のすべて。価値観のすべて。発言のすべて。「これが正常です」と世界のメインストリートを作り出す有象無象のすべて。ぶち殺してやりたい。殺してやりたい。殺してやりたい。殺したい。死ね。
 わたしあの子らの顔面に経血を塗りたくってすべての下着の中に仕様済みのナプキンを仕込んでやりたい。
 それでもわたしはこのあと彼女たちと合流してご飯をたべる。たべるんだ。分裂しているわたしの世界の、経済を支えるたいせつなひとつ。失うわけにはいかない。死にたくない。健康でいたい。ここのわたしを保持しなくてはならない。馴染んでいなくてはならない。分裂しているわたしの世界の、わたしの根幹を支えるいくつかを、支える根幹になってしまっている不本意な世界は、いくら不本意でもわたしがわたしをわたしとして必要とする以上は損なうわけにはいかない。わたしはわたしを支えるためにはわたしを切り取って売り払わなければならない。しかしこれは必要経費だろう。どうしようもない。おとなだもんね。しかたがない。生きることにはお金がかかる。

20110214mon
 相変わらず街を歩いている。後輩たちと別れたので気分がずいぶんと楽になった。今日は昨日よりあたたかくて、そんなにさむくない。景色がきれいなので特に目的もなくふらふらと歩いている。昨日はできなかった雑貨屋めぐりやカフェめぐりをしていて、とても楽しい。今日行った私立の美術館は、とてもおもしろかった。疲れて入った喫茶店のコーヒーがとてもおいしい。うれしい。やっぱり旅はひとりがいい。誰かと一緒なら、だいすきなひとじゃなければむりだ。職場のひと一緒にいるとつかれる。ずっと職場の顔をしていないといけない。しんどい。
 今日の夜か明日の朝には戻らないといけないのだけれど、どうしよう。明日の朝にしようかな。明日の朝にすると、すこしばたばたすることになるので、ちょっと大変だけれど、でも、いやだな。戻りたくないな。ホテルでまったりしてから戻ろうかな。でも明日からまたしばらく忙しい。ちゃんと休んだ方がいいかな。仕事の確認も今晩やっておいた方がいいかな。どうしよう。悩む。
 さっきの喫茶店を出た。一時間くらい経った。また違う喫茶店に入った。まだコーヒーを飲んでいないけれど、お店の雰囲気がとてもすき。これでコーヒーがおいしかったら、泣いちゃうかもしれない。地元にあったら確実に通うのにな。営業時間もすてきで、十二時から二十三時までやっている。石油ストーブがしゅんしゅん鳴いていて、とてもかわいい。本が置いてあるのだけれど、その趣味もいい。雑誌はフィガロとかパピルスとか、まんがなら深夜食堂とかチーズスイートホームとか、が置いてある。小説は春樹がかなりディープに網羅してあって、でも、1984は置いてない。ほかにもたくさん、小川洋子とか、伊坂幸太郎とか、一定の基準、趣味によって選ばれたのだなとわかるような背表紙の群れ。くたびれたグレートギャッツビーとライ麦畑でつかまえてが本棚の隅にそっけなくおさまっている。本がすきなひとの本棚だ。
 コーヒーがきた。コーヒーを飲んだ。とてもおいしい。泣いちゃってないけど、すごくおいしいよ。通いたいな。通えないけれど。
 旅先ですきな喫茶店に出会えると、とてもうれしい気持ちになるけれど、同時にとてもかなしくなる。どんなにすきって思っても、そう頻繁にこられる場所ではない。一杯のコーヒーをたいせつにたいせつに飲む。おいしい。小川洋子の猫を抱いて象と泳ぐをちらりちらりと読む。そんなに長居はできないから、ぜんぶは読めないけれど、冒頭部分を読んだ限りでは、とてもおもしろかった。帰ったら、図書館で借りて読んでみよう。

20110215tue
 仕事を再開する。ぼんやりと鏡を見ていたら想像を絶するどぶすが写っていたのでびっくりする。自分の顔なんて見たくないのでできる限り鏡を避けて生活しているけれど、でもだからたまに見るとほんとうにびっくりする。こんな醜悪な顔の生き物が存在していいのか。ふつうに気持ち悪い。スキンケアをするときや髪を結ぶときはそういう動作にだけ集中していて顔は見ないようにしているんだでもたまに油断して顔を見てしまう。毎回びっくりして、毎回嫌悪する。キモい。
 ちぐはぐだな、と思う。でもいいんだ。わたしはコラージュならだいすきだし、それに、そもそも、キメラなんだし、仕様がない。わたしはいろんなわたしと釣り合いがとれていなくて、アンバランス、矛盾をかき集めた集合体、それでも生は成り立ってしまっているからもう諦めてそのよくわからない集合体をわたしという名前で呼ぶことをわたしやわたしは認めてあげなければ。わたしはわたしを最高に愛している。嫌悪に似ている。
 仕事はふつう。同僚との関係もふつう。
 明後日には帰れる。
 部屋でねむりたい。泥のように眠りたい。泥になりたい。泥でいたい。

20110216wed
 明日には帰れると思うと少しは気が晴れる。
 昨日友だちとした約束のことばかりを考えている。
 一昨々日した友だちとの約束も。
 ブルーノートに行きたいな、ぼんやりと考えながら、ベッドに横になっている。大音量でジャズが聴きたい。
 いつかまったく知らない他人に「このひとの書くものをぼくはひとことで表現できる、いかに欠落を補うかということだけを彼女は書いているのだ」とかゆわれて、ぽかんとしたことを思い出す。まったく知らない言語でまったく知らないことをまったく知らないひとたちに語り出すまったく知らないひと、そういうひとから一方的に認識されて勝手に評価されてわたしが定義付けられてゆくこと、そういうことって日常だ。生活がわたしの周りを流れてゆく。うつくしい景色。ちりあくた、世界、たいせつなもの。生活の中で社会がつくるわたしに出会う。わたしではない誰かがわたしと名付けたものに、わたしは何度も出会う。そういった定義付けは当然で、必要で、日常で、生活だ。わたしはわたしでないわたしを保護する。わたしはわたしでないわたしを抱きしめる。たいせつにする。セーブする。
 もちろんその他者による定義付けは現実社会の実際的生活において必要なだけで利害関係から離脱したごくプライベートな対人関係における必要からかいりした定義付けは全力で拒絶するよ。なんていやしく浅ましく傲慢で一方的。気色の悪い。「このひとはこういうひとです!」ってきみ、ばかじゃないの?ていうかおまえ誰だ。
 クッションもふもふ。もう寝る。

20110217thu
 風が強い。ぼんやりとしている。吐き気がする。
 五日くらい前から胃の調子が悪い。気のせいかと思っていたけれど、気のせいじゃなかったみたいだ。胃のある部分がなにかを積極的に喉の方へと押し出そうとしていて、そのパワフルさにしりごみする。物体ってだって落下してゆくもので、重力に逆らうなんてそんな、すごくエネルギーの必要なことのはずなのに、そんなエネルギーを発揮することいつだって面倒にしか思っていないわたしの体がわたしの意志に反してそんなパワフルに活動してしまうだなんてそんな。きもちわるいなあ。吐き気がする。
 腰がやっぱり痛い。バンテリンを塗る。
 夕方に地元に着いたので、友だちに会いにゆく。おみやげを渡す。いくつかの言葉を交わす。
 帰宅する。眠る。

20110218fri
 代休。髪を切って友だちの家に遊びに行こうと思っていたのに、みごとに体調を崩す。オーバーヒート。子どもみたいだ。
 冷蔵庫の中がほとんど空。にんにくとクリームチーズとアンチョビと、しなびてもうどうしようもなくなっている大根があった。
 なにをたべていいのかわからない。
 おかゆを作った。たべた。眠る。
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