FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アブストラクトマイライフ

 憎んでいる。

 ばかな男がいる。救いがたいほどにばかな男だ。でも救いがたいほどばかな男なんてこの世界には腐っていやなにおいを垂れ流して焼却処分されてしまうくらいに大量にいてそしてあまりにも大量にいるものだから焼却処分は間に合わなくていつだって世界はいやなにおい。人付き合いがよいと言われたがってでもばかであるからやり方がよくわからなくて躁になって騒いだりへんな顔をしてひとの気を引こうとしてみたり他人の欠点をあげつらってこき下ろすことで自身の有能さを表現しようとしたり女の髪を引いてしっぽと言って笑っていたりする。一生懸命ひとの気を引こうと、好かれようとしているのだ。好かれ、愛され、なおかつ他者より精神的に優位であろうとしている。その上で、愛嬌があると可愛がられようとしている。自身が賢いのだと、おそらくはほんとうに、信じている。酒の相手をする地元のホステスがいかに愚かかという話を彼はする。愚かという言葉なんて久しぶりに音できいて、わたしはちょっと笑った。愚か。浅はか。久しぶりに聞いた。なかなか使わないな、そんな言葉。わたしはどうやら、彼に好かれていて、話しやすいと思われているので、面倒くさい。わたしが彼の言葉を否定しないし、なにを言われても笑っているからだろう。彼が一生懸命がんばっているのはわかるけれど、だからこそただ一生懸命にがんばるということにはなんの価値もないなと思う。救いがたいほどばかな男。でもそうやってこころの内で嘲笑しているだけならば、わたしだって彼と大差ないんだろう。そう思ってわたしはずいぶんと気鬱になる。そしてそのことに腹がたつ。どうしてこんなくだらない男のためにわたしが落ち込まなければならないのだろう。そしてそうやって一方的に彼を貶めるだけで満足すればいいのに、罵れば罵るほどわたしの傲慢さと卑屈さばかりがわたしの目の前にいやらしく映し出されるんだろう。「どうしてこんなくだらない男のためにわたしが落ち込まなければならないのだろう」。どうしてたったこれだけの感情を、これだけの感情として済ませられないのだろう。怒って憎んで見下して、それだけをしてすっきりしたいのだ。どうしてそれが許されないのか。いらないことばかり考える脳みそを、どうして一時的に外してしまえないのだろう。どうしてわたしの脳みそはわたしのためにあるはずなのにわたしに安息を与えないのだろう。意味がわからない。憎しみばかりつのる。
 あらゆることが腹立たしい。あらゆることが疎ましい。あらゆる他者を見下して嘲笑して爪先で押し潰して口の中に飲み込みきれないほどの大量のゼリーを押し込んでやりたい。痛い。憎い。痛い。憎い。
 覚えがある。覚えがある感情で、覚えがある波だ。同じ感情はかつて同じように訪れた。わたしは憎んで、気鬱になって、たまにハイになって楽しくなったりしたけれど、基本的にはだいたいいつも怒っていて、夢見がちないきものみたいになった。それでも現実は圧倒的な質量を以てわたしを押しつぶそうとしていて、わたしが夢見がちないきものから正しい状態へ回帰する時間を与えなかった。それはわたしが真剣に仕事をやめることを考えた二回目のときで、わたしが真剣に誰かを殺したいと思った、成人してから二回目のときだった。これはあのときととてもよく似ている。違うのはわたしがいま、仕事をやめることを検討していないことで、もうわかっている、わたしはいつも怯えている。わたしはわたしの生活が破綻することに怯えている。つまりわたしは、わたしがなにかを書けなくなることについて怯えている。わたしはわたしの文章が極めて密接に生活に依るものであるともう、わかってしまっている。わたしは書くために生まれたわけではないし書かなければ死ぬわけでもない。だからわたしは書くことなしに生きてゆくことができる。そしてわたしは可能であるその未来、訪れうる未来、そのことにいつだって怯えている。わたしは言葉を愛しているけれど言葉はわたしを愛していない。わたしが書くのは、書くことに選ばれたからではなくて、わたしが書くことを選んだ、たったそれだけのことだ。つたない糸。いまにも切れそうに細い。わたしのすべてがわたしの生活に飲まれてしまえばそれはすぐに失われてしまう。このどうしようもない片思いをどうすればいいんだろう。固定されたわたしを持たないわたしは、この片思いを亡くしてしまえばもうなにも残らない。もうなにも残らない。腐った肉と変化しない思考だけが残る。肉と形骸。
 わたしはわたしが書くことを始めた日がいったいいつだったか覚えていない。書くことはわたしの古い友人であり、決してわたしを妨げ阻害しない唯一の存在だった。もちろん書くことはわたしに優しいわけではなかった。わたしに全能感を与えたかと思えば、すべてを奪い去り底なしの淵に突き落としたりした。しかし決してわたしの傍を離れたりはしなかった。書くことはわたしを選んでわたしを祝福したわけではなかったけれど、わたしを拒んでわたしの元を去ろうともしなかった。わたしの手段であることも、わたしの目的であることも、否定しなかった。だけどわたしはどうしてか書けない。わからない。書けない。生活で手いっぱいだ。ただ生活で手いっぱいだ。生きているだけでもう精一杯だ。呼吸の仕方ばかり考えている。呼吸のことばかりを考えている。
 あのときもそうだった。あのときは物理的に妨げられていた。今もそうだ。しかし今はいくつかの事柄をかいくぐって書くことを試みることのできる環境を、自分に用意してやれている。それでも。真夜中のベッドの中でポメラを開いてみても、それでも。なにも浮かばない。なにも感情が浮かばない。なにを書けばいいのかがわからない。わたしがいつもなにを書いていたのかがわからない。なにも浮かばない。書きたいものがわからない。
 専門の職に戻ってからずっと考えることができていない。感じることができていない。生きてばかりいる。わたしはどうにかわたしを有用にしてやりたくて、労力はそれにしか費やすことができなかった。職における能力をなくしたくない、つまるところ仕事を失いたくない、さらに言えば生活を失いたくない、それだけの話だったけれど、それだけの話は実際ひどく重要なものだったから、わたしは必死だった。生きてゆくことにはお金がかかる。わたしは生きていたいわけではなくて、でも死にたいわけでもなく、ほんとうは消えてしまいたいのだけれど、消えられないから生きていて生きている以上はお金を稼がなくてはいけないのだ。生活にはお金がかかる。そしてお金を稼ぐには自身の有用性を証明しなくてはいけない。わたしはがんばったし、必死だったし、実際それなりの実績を出した。珍しく愛想もよく、社交する努力も払った。それは未だに続いている。わたしはよくやっていると思う。
 でも膿んでいる。
 わたしはわたしの連続性を信用していない。昨日のわたしと今日のわたしと明日のわたしが同一の存在であると信用できないし、変化する連続した事象であるとも信用できない。わたしは毎瞬毎瞬死に続けていて、発生するたくさんのわたしを捉えきれない。捉えきれないままに死んでしまう。わたしたちは死の連続によって生を長らえている。わたしはわたしの連続性を信用しないから、わたしはわたしの不変を信用しない。わたしはわたしの個性を信用しないし、わたしはわたしの自我を信用しない。わたしはわたしの文体を信用しないし、わたしはわたしの物語を信用しない。けれどわたしは矛盾して、それらのすべてを裏切って、わたしはわたしが常に、書くことによって保たれているわたしであることを信じている。信仰している。わたしは書くために生きているわけではないけれど、書かないわたしはわたしではない。言葉を排泄して垂れ流して歩いてゆくのがわたしであって、後になにも残さず正しく清潔に歩むのであればそれはわたしではない。連続しないわたしがいつかまったく変化してまるでなにも書かなくなっても、同じ名前を継いだ社会的に同じ個体であることは間違いない。しかしそれはもはやわたしではない。わたしが私やあたしやわたしや僕といった言葉で語り親しみ憎んできたわたしではない。わたしは死んでしまったたくさんのわたしのことを大部分忘れてしまうけれど、そのすべてが書いていたという事実だけならばずっと覚えている。書かなければ死ぬわけではなく、使命感に燃えているわけでもない。わたしはわたしの文章が天才的で神さまのようだった時期を失してしまって、つまり世界中のすべてがわたしと同じこころでわたしの言葉を受け取るだろうという、世界と自己を同一視していた時期を遠い過去に失ってしまって、だからわたしはもうわたしの文章を世界でもっとも尊いとは思えない。しかしわたしにとってもっとも親しい言葉はやはりわたしの言葉だし、わたしの書く物語だ。わたしは書かないわたしを知らない。それがどういった動機のものでどういった種類のものであろうと、とにかく書かないわたしならば知らないのだ。
 それなのになにも。もうずっと。そればかりが苦痛。紛らわすように誤魔化すようにむりやり吐き出したいくつかの文章はずいぶんと惨めでひどく空疎で扇風機のように下らない。わたしは逆さまに振ってもなにも出ない。わたしの指はわたしの言葉を打ち出すことを是としない。わたしは黙って画面を睨むだけの鈍重な物体に過ぎない。蛍光灯よりも不安で軽薄で脆い。

 憎んでいる。
 憎んでいる。たくさんのものを。救いがたいほどばかな男を。救いがたいほどばかな女を。そのように神の視点で自己に無批判で他者を軽蔑したがる意識を。余分な肉をつけたがる体を。自重を満足に支えることのできないすぐに疲れる脚を。相変わらず押しつぶした饅頭かなにかのように醜くて汚らしい顔を。きちんとした指針も持てず充足もできず漫然と生活を送るだけの自己を。そしてそんな自己に愛想をふりまく他者を、わたしのように他者を見下したがる他者を、わたしを好きだとか抜かす他者を、憎んでいる。吐き気がする。胸がむかむかして、収まらない。殺してやりたい。殺してやりたい。悲惨な方法で虐殺されてしまえばいい。生きたまま鳥に食われればいい。犯されて薬付けにされて少しずつ皮膚を裂かれればいい。彼らが悲鳴を上げて許しを請う姿が見たい。その鼻面を真っ赤なピンヒールで踏みにじって笑いながら蹴落としてやりたい。憎んでいる。どうしようもなく。そしてそれがわたしに書かせる。汚らしい言葉を。わたしは地べたからの言葉しか信じない。地べたからの言葉しか書きたくない。それでもこうやって吐き出される言葉の汚さ、あまりのくささ、に眉をしかめるのだからそれってつまり自分で自分のやっていることをわかっていないってことじゃないの?!どうしたらいいのよ!!!そうやって叫んでぜんぶなかったことにしたいの!みんな死んでしまえばいいの!ヒステリーを起こしてそれをすべてわたしの子宮のせいにしたいの!大声で泣きたいのに映画や本を理由にして思い切り泣くこともできないの!常に他者がわたしの傍にいるの!仕事をしているの!帰れなくってわたしは、ただ正常なふりをしているしかない!!!!!わたしのおなかの中にはいまつもりにつもった憎しみばっかりがたっぷりと押し込められているっていうのに!!!!!!!!!!

 困る。憎んでいる。仕事の支障がでるので。日記を書く。多少は処理できるのだろうか。増幅されるだけかもしれない。書くという行為でわたしはわたしのことを知っていく。いまここで生きて書いているわたしがどういう生き物か知っていく。次の瞬間には死んでしまうわたしの、心臓をひとつひとつ置いていく。飛躍する。死んで、新しくする。連続しない、たくさんのわたしたち。どうしたらいいんだろう。代謝。つまりは代謝。書くことの意味。信仰している。

 ピアノが好きだ。
 ねこが好きだし、女の子が好きだ。小説が好きで、音楽が好き。毛布やかわいい下着が好き、緑色のワンピースや真っ赤なハイヒールが好き。
 そういうことをひとつひとつ思い出していく。それらが欠乏した状態において、わたしはそういうことをひとつひとつ思い出していく。そうやって好きなものたちを思い出すと、わたしはとても満ち足りた気持ちになって、そして同時にひどく泣きたくなる。切なくなって、子どもみたいに、地団太を踏んで、大声で泣きたくなる。わたしはいつだってこわいのだ。怯えている。だから好きなものを大切にしていたい。好きなものがわたしを守ってくれると信じているかのように、それらに埋もれて、目を閉じていたい。そう願う。
 ハリウッド映画が嫌い。
 煙草が嫌いだし、いやらしい男が嫌い。甘すぎるお菓子が嫌い、くすんだ青が嫌い、曇天が嫌い、甲高い声が嫌い。窓硝子が嫌いだし、サンダルが嫌い。
 嫌いなものを数えてわたしはわたしを奮起させる。好きなものと嫌いなもの、どちらがわたしに書かせるかと言えば、それは圧倒的に嫌いなものだ。わたしはずっと怯えていた。いまも。書けなくなることを。それは憎しみを失うことで、嫌いなものがなくなることだった。それはつまり、正常になることだった。わたしはわたしが正常じゃないとは思わないけれど、正常だとも思わない。自分を正常だと思っているひとたちが、嫌い。嫌いを拾い集めて、わたしは言葉にする。そしてやっぱり、いつだって泣きたくなる。その行為に、その行為の主体であるわたしに、失望して憎らしくて泣きたくなる。どうしていつもこうなんだろう。ヘッセだって春の嵐で書いていた。いつか苦痛でなく幸福や喜びから創造をしたい。
 わたしになにができるだろう。

 こわい。さみしい。こわい。くるしい。
 こんなにも憎んでいる。飛躍していて、支離滅裂で、こんなにも憎んでいる。きれいになれない。怯えきっていて、萎縮している。軽蔑することで自己を保ち、客観性を排除することで安楽を得ている。憎い。嫌い。こわい。おまえを殺してやりたい。ばらばら、正しくなれない。憎んでいる。
 すき。
 いとおしい。
 泣き出してしまいたい。
 一緒にいてほしい。
 憎んでいる。ずっとずっとずっと、憎んでいる。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。