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404

不安なんてもういいよ今さら慣れてる抱きしめてあげられるようになりたい本当はなりたくない抱きしめてあげられるようになりたい嘘じゃないの激情をあいしてる私を捻って切り取ったもので小説を書く激情を愛してる激情を愛してる苦しくてにくいならそれは小説になる喜ぶわたしは喜びながら怒ってる本谷有希子がすきなのは彼女が激怒しながら爆笑して号泣するからでそれが同時に存在することをわたし知っている し それをぞくぞくと興奮しながら観察するわたしの存在もわたしずっと 知ってる 不安なんてもういいよ今さら慣れてる愛しているあいしているあいしてるどうしようもないくらいに愛愛愛あいしている・この愛がどうしてどうしようもないのだろうどうしてどうしようもなくあいしているんだろうわたしこの愛どうしてどうにかしてやれないんだろうわたしいつになったら ものがたりの必要ないひとになれるの ものがたりの必要ない人になりたくない 、つたえないで しんじてる
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わたしのぼうしをかえして

くるしい、発酵しすぎてぱんぱんになったパン生地のようだ、押しても押しても元の形に戻ってしまうものだから成形することなんて諦めてしまう、それまでたいせつにしてきたのにな。
どうしてだろう、にんげんがきらい。
にんげんはすき。
かっこがついたかな、言い聞かせていたかな、それともなにかを見ないふりして、自分にとって都合のよいところにふりわけたかな。わたしのこころの仕組みはわたしにとって都合がよくて、とってもずるいから、わたしには認識できない。だからといってその仕組みを指摘することを第三者に委託したとしたら、わたしはぜったいにそのひとに怒り狂うだろう。わたしのこころの仕組みによって。わたしのこころの仕組みはわたしに解き明かされることを拒むから、わたしはわたしのこころの仕組みを知ることができない。それでも剥き出し、鉄骨、心臓、そんなものども、わたしはそんなものども自身だからそんなものどもである自身を観測することはできないけれど他者の視点から見たらそれはあたりまえに剥き出しだあ。あなたに見えているわたしを教えて。きっとそれを教えられたわたしは怒り狂ってあなたを殺すけれど。あなた殺されてもいいからわたしにわたしの仕組みを教えて。おしえてよ。どくんどくん脈打っているでしょう、あかいかたまり、その感触は、どう?
見殺しにしないでね。
見殺しにだってするの。
剥き出しでまっか、下品なまっか、どくんどくん鳴いている心臓はそれはたぶんわたしで、循環させる血液を大量に持っているのに体なんてないよ。ないよ。もてあましている。そして他者の眼球の中に、他者のあらゆるすべての中に、あらゆる他者の中に、わたしはその心臓を見出すよ。どくんどくん。鳴いている。下品なまっか。それがきたない。あなたの中にわたしを見つけてわたしはあなたを愛したり憎んだりする。こころの仕組みをおしえてよ。
機械仕掛けぜんまい仕掛け樹脂で閉じ込めて無機質
とーめーになりたい
という欲、血でまっか、どくどく、なまなましい。
ほら、内臓!

今年は後半によく怒っている。激怒すると泣くのでみっともない、あまり激怒はしたくない。今年の夏期休暇明けに一回職場のえらいひと相手に激怒してすごくみっともなく泣いて、他にひとはいなかったからよかったけれどそれでもくやしかったな。伝わらなくてえらいひとを激しく憎んで未だに、忘れられない、憎い憎い憎い、そしてわたしがみっともない。ゆるさない。また今日もおこったけれど、銀行の窓口の対応があまりに杜撰でおこったけれど、でもそれはわたしがもっとフラットな状態だったらあそこまでギチギチはしなかった、怒ったことは怒ったけれど、おこったけれど、でも。隣で声高に待ち続けることのストレスを訴える目に痛い色の服ときもちのわるい髪型をしたセンスのわるいおばさんとおじさんとかきっとマニュアルにあるのだろうけれど決して第一声で謝罪したりはしない行員さんとか職場のあのひととかあのひととかあのひととかあああああひとを信用できないことはくるしい。くるしい。ああこのひと信用できないなあと感じると緩やかに閉じる。わたしは緩やかに閉じる。学んだ。もう学んだ。彼女で、彼で、たくさんの彼女や彼たちで、わたしはもう十分に学んだ。わたしは世界の一部で、だから一部であるわたしには決して交わることのできない一部が世界にはくさるほどにあって、だからわたしは四方に散らばる無数の一部に対して閉じることしかできない。マインスイーパ、升目を思い出す、隣接する升目、そして隣接しない升目。爆弾もなにも関係のないところ。関係のないところ。わたしはあなたが地雷で吹き飛んでもなにもおもわない。おもわない。おもわない。
フラットに生きたい。死体のように生きたい。
フラットに生きたい。死体のように生きたい。
フラットに生きたい。死体のように生きたい。
フラットに生きたい。死体のように生きたい。
フラットに生きたい。死体のように生きたい。
わたしは相変わらずわたしを恋愛のできないにんげんだと思っている。でも好きなのかもしれないなあとおもうすきな女の子がいる。そしてその好きなのかもしれないなあとおもうすきな女の子じゃない女の子とデートしたりする。きっとこんど鎌倉に紅葉を見に行く。まるで恋愛のように歩く。わたしはわたしを恋愛できないにんげんだと思っている。好きなのかもしれないなあとおもうすきな女の子がいる。どうでもいい女の子とキスだってできる。
唾液がきもちわるい。

わたしの感情が多すぎる。ぶっちぎっていくしかない。破壊するおんなです。爆音の黒歴史です。
過去、ぜんぶ、いらない。
わたしいまここにしかいない。
どこにもいない。

世界の輪郭を作るアクリル板に触れる、それは絶対でないことを知る、折れそうなほど、頼りなく、透き通っている。

 出張の合間の休みを利用して、由布院へ行った。軽く散策し、近くのカフェで昼食を取ってから、アルテジオという美術館へ行った。
 アルテジオは、音楽と美術、その両方を愛した美術館で、音楽をモチーフにした絵画や、楽器を利用したオブジェ、アクリル板に描かれた譜面、そういったものが置いてある。
 アルテジオのある鳥越は駅から少し遠く、山の上にある。わたしは旅先を歩くことが好きなので、最初は徒歩で向かうつもりだった。しかし、休みはほんの半日で時間にあまり余裕がなく、なおかつわたしはひどい方向音痴なので、諦めた。昼食を取ったカフェでタクシーを呼んでもらい、やってきたタクシーに乗る。タクシーの運転手は、品のよい初老の男性で、ホテルマンのようなベージュ色の制服を着ている。タクシーの運転手は、横柄あるいは無神経なひとが多い、とわたしは常々感じているけれど、彼はとても穏やかで丁寧だった。応対も、運転も。運転手は由布院の美術館について、いくつかの解説をしてくれる。わたしはそれを聞いている。たまに相づちを打つ。景色はひゅうひゅうと後ろへ飛び下がってゆく。
 タクシーは山道を登る。
 いくつかの旅館を過ぎる。
 源泉から立ち上る、湯気を遠くに見る。
 いくらか時間が過ぎると、アルテジオはかつんと現れる。思っていたよりも近い。建物の前には、小さな看板がひとつだけ立ち、ひっそりとその存在を教えている。
 看板の示す矢印に従って、コンクリートで固められた無機質な階段を、ほとほとと上る。階段を終え、右へ曲がる。曲がるとそこには、一本の長い回廊がある。緩い坂道になっていて、正面にはオブジェが立っている。回廊の天井には、規則的に窓が配置されており、等間隔で光を呼び込む。窓から見える景色は木、ひたすらに木、それが並ぶばかり。森の気配が、コンクリートの箱を囲い込んでいる。
 光が射している。
 コンクリートの薄い灰色に、光が射している。
 回廊を歩く。緩い坂道を上る。ヒールのないパンプスを履いていたのだけれど、足音が耳につく。はつり、はつり、わたしの足音が鈍く響く。回廊を進むにつれて、音楽が聞こえてくる。音楽。歌声だ。誰かの歌う声。
 柔らかく響く。
 押しつけがましくなく、確かに鳴っているのにどこか静謐、それすら感じさせながら、柔らかく響く。
 歌。

 館内に這入る。
 歌が聞こえる。
 白い館内は天井が高い。奥行きのある長方形の部屋。左右の壁に絵画、中央にオブジェが並び、そのすべてを音楽が包み込んでいる。天井には、まっすぐに、無機質な照明たちが並んでいる。照明たちは、正しく整列、しかしその方向はあちらこちらへと好き勝手、四方八方を照らしている。
 歌声が静かに響く館内は、ささやかな足音すら反響。だから音を、音楽を美術を建築を、すべてのあらゆる作品を、ありのまま損なうことなく享受するにはただ黙ってじっとしているしかない。しかしそうやって、黙ってじっとしていても、わたしはわたしの存在分この空間を浸食している。まったくの無干渉では決してあれず、わたしはどうあっても、この場所を破壊している。足音が、衣擦れが、呼吸が、その音を乱す。しかしその事実に、わたしはどうしてか、ぞくぞくしてしまう。背徳的で、うっとりすらする。
 平日であったので、館内にはわたしひとりしかいなかった。わたしは、大きな音を立てたり、大声で歌ったりして、この完璧な空間を破壊したい、そう希った。その衝動を押さえることには、ひどく苦労をした。わたしは空間を破壊してしまいたかった。歌って、踊って、殴って蹴って壊して、音が絵画が作り上げる空間を破壊したかった。そしてわたしがそんなことをしてもなお、わたしが少しでも沈黙すれば再び響く絶えることなき歌、変わらず静謐としてある絵画、オブジェ、そういったものたちに打ちのめされたかった。なにをしても変わらないものとは、永遠であり、永遠とはつまり、神のことだろう。ぼんやりと、そんなことを考える。
 展示スペースの奥は、ライブラリになっていて、机と椅子、たくさんの本、それらによって構成されている。そこにも、いくつかの絵画、いくつかのオブジェ。白色のヴァイオリンをいくつか組み合わせた、歪なオブジェや、真っ黒に塗りつぶされた、しかし表情のある絵画。そういったものに囲まれて、本棚がそびえ立ち、多数の書籍を内包している。その本棚は、本という知識を得るために実用的なものを整列させるための存在ではなく、ひとつのオブジェとしてそこに在った。
 わたしは、本はひとつの完成した物体であると思っている。確かにたいていの場合、もっとも価値のある部位はその文字情報であるけれども、たとえばフォント、紙の種類、綴り方、そしてどこまでも美しい「本」という形態……、そのすべてが揃って初めて、本とは完成されるのだとわたしは考える。
「本とは読めればいいのだ」と言うわたしもわたしの中には存在していて、たとえば文庫本などは大きな鞄に放り込んで、ぐちゃぐちゃになってしまってもまるで気にしないのだが、ひとつのオブジェとして愛した本―――もっとも分かりやすい例としては、ミヒャエル・エンデのはてしない物語など―――は、徹底的に管理して、決してその形が損なわれないように保管する。
 少し話が逸れたが、つまりわたしの中には二種類の「本」があり、そしてこのライブラリの中に存在した本は、物体としての本だった。物体として完成された、本という、オブジェ。本棚にずらりと並んだ書籍たちを見てわたしは、不思議と、それを広げて読んでみたいとは思わなかった。そこに存在する一冊一冊が、そして同時に本棚全体が、あるいはライブラリ全体が、ひとつのオブジェであった。物体としてわたしは、それらを美しいと思った。
 その美しい本たちの向かい側に、ひっそりと一枚の絵が飾られている。キャプチャに、マリー・ローランサン、チェロと少女、と記されている。わたしはいつも、絵画の名前を覚えないし、画家の名前を覚えない。美術館へ行って、いろいろな絵画を見ることは好きだけれども、それを知識とすることは非常に苦手である。実物を見て、ああこの絵は見たことがある、この画家の絵は見たことがある、そう感じることはあっても、固有名詞は滅多に覚えることができない。しかし、わたしはこの絵を前にして、画家の名前と絵画の名前を手帳に書き取った。所有したいと考えたのだ。もちろん、実際に所有することはできないだろう。しかし、名前を記憶することで、その文字をわたしの手で書き取ることで、その名前をわたしのものにしたいと考えたのだ。絵画には、チェロと、ふたりの少女が、静かな線で描かれている。たったそれだけの絵であるのに、わたしはそれをひどく美しいと感じる。
 ぼんやりとその絵画の前に立ち、わたしは時間の経過を許している。絵画の線は柔らかく、色も多くない。印象のぼんやりとした絵で、わたしはいま、あの日から一週間が経って、もうあの色を思い出せない。しかしうつくしいと思った。うつくしいと感じた。それだけでいいのだ。それだけでよかったはずだ。わたしはそれを眺めた時間を思い出しながら、そう感じたはずのわたしの心臓を、探りだそうとする。
 ライブラリの椅子に座り、しばらく文章を書いた。この文章の途中までは、そのときに書かれたものだ。ずっとひとりであったのならば、おそらく最後まで、そのときに書かれたはずであろう。しかし途中、女性ふたりが、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、ミュージアムに足を踏み入れる。そこでわたしは、文章を書くことをやめ、ミュージアムから出る。わたしひとりが完成された空間を破壊し、それでも完全に再生される圧倒的な空間に押しつぶされる、その快感を喪失したことを知る。とても贅沢な快楽である。しかしわたしが欲し、記録したいと願ったものは、それだけだった。それだけだった。
 わたしはミュージアムを出る。白い床を蹴って。歌声は変わらず響いている。女性二人のささめきことが、柔らかく音符を切り刻んでいる。



 由布院はいいところだった。また行きたい。今度はプライベートで行けるといいな。正直いなかの温泉街、さびれてしょうもないみやげものばかり売っている場所を想像していただけに、あちこちで見かける洗練されたデザインに驚いた。豆屋さんとか、そういった小さなお店が、とてもうつくしい形で存在していて、わたしはとても驚いた。美術館もたくさんあって、景色もうつくしく、すばらしい場所だった。仕事の合間の強行軍で、半日もいられなかったので、今度はゆっくりと旅館に泊まりたい。
 おみやげに、アルテジオと同系列のストアで売られている、チョコレートをいくつか買った。とても可愛いので、友だちもきっと喜んでくれる。渡すのが、いまから楽しみ。自分用には、粒マスタードを買った。おいしそうだ。ほんとうは、蓋に青い鳥が止まっている、とてもうつくしい急須が欲しかったのだけれど、お金があまりないので、やめた。次に行ったとき、また出会えたら、ぜひ求めたい。
 アルテジオは、ほんとうにすばらしい美術館だったので、また行きたい。わたしには、好きな美術館がいくつかあるけれど、そのほとんどは東京にある。やっぱり、美術館の数や、平均的な水準が、優れているのは東京都だ。しかし、地方にも、美しいものはたくさんある。すばらしいものは、たくさん。たとえばそれは、金沢の21世紀美術館であるし、由布院のartegioである。ぜひまた行きたい。
 ちなみに、由布院には、猫屋敷という猫グッズにあふれたお店がある。由布院と猫になんの関係があるのかは知らないが、猫好きには垂涎もののお店であると思う。わたしはそこで、ポストカードやシールを買った。これで、携帯電話や、いまこの文章を書いているポメラを、可愛らしく装飾しようと思う。



 よくわからない、混乱している。彼女はそう考えている。よくわからない、混乱している。
 難しいことばかりだ。よくわからない。混乱している。すべての出来事は複雑で、社会は意味のわからないものがミルフィーユのように積み重なってできている。かじればさくさくとして、ほろほろと口の中で崩れ、とても幸せな食感をわたしにもたらすのかもしれない。しかし社会をかじり取って、貪り食うことはできない。彼女はそこまで巨大な存在ではない。せいぜい千の葉のうち一枚に歯を立て、固い・歯が欠けた、と騒ぐことが関の山だ。
 抱えているものを手放せば楽になることはわかっている。
 しかししがらみがある。
 それはとてもくだらないものだ。そこから自由になること、振り切って捨て去ること、それがわたしの泳ぎ方なのではないか。彼女はそう考えている。しかしうまくいかない。しがらみとは、しがらみであるから、捨て去るためには、いくつかの犠牲を要する。この場合必要な犠牲は、彼女の生活、そう生命に卑近な生活、それに関わるもので、捨て去った後に別の形で取り戻すことができなければ、彼女は物理的に死んでしまうだろう。彼女は死にたくないので、ためらっている。わからないのだ。いろいろなことが。
 彼女は、やりたいことがある、と考えている。やりたいことがあるし、やらなければならないことがある、と考えている。それは、現在の環境のままでも、実行できることである。しかし彼女は、現在、それらを正しく実行できてはいない。時間がない、環境が悪い、彼女はそう考えているが、同時にそれが、言い訳に過ぎないこともわかっている。彼女が、自分がいままでやりたいと考えていたこと、やらなければ死んでしまうと考えていたこと、それらが自分にとってそこまで切実ではなかったのではないかという可能性に怯えている。それを直視することがおそろしいので、環境を変えてしまいたいと考えている。しかし、環境を変えることは、多数の人間と摩擦を起こすことを意味する。彼女は、人間と摩擦を起こすことが得意ではない。もっと正確に言えば、おそろしいと思っている。摩擦を起こすくらいなら、切断してしまいたいと思っている。しかし、現在の環境を、摩擦なしに切り離すことは不可能である。そのことについて、彼女は怯えている。わからない。混乱している。
 彼女は、摩擦がおそろしい。かつて、彼女がまだ両親の支配下に在った頃、彼女は家族と摩擦を起こすことが恐ろしかった。彼女は、両親を化け物であると考えていた。言葉の通じない、破壊できないオブジェのようなものであると。両親に禁じられた事柄には、彼女のやりたいことがいくつかあったが、彼女はそれをやりたいと両親に要求することはしなかった。摩擦がおそろしかったのだ。彼女は両親が化け物であると考えていたので、言葉が通じる可能性など考慮していなかった。しかし同時に、彼女は強欲であったので、やりたいことはやるべきであると考えた。結果、彼女は、あらゆる手段を使って、隠れてやりたいことを行った。それらのいくつかは倫理に反することであったし、反社会的なことであった。しかし彼女は、罪悪感を感じることがなかった。彼女にとって化け物とは両親であり、自身はそうではなかったのだ。
 成長した彼女は、両親が化け物ではなく、自身と変わらない人間であることを知る。彼女はもちろん、両親を生物学的に人間でないと考えていたわけではないが、しかし実際そう思っていたと変わらないのだということを知り、打ちのめされる。その瞬間は、彼女の兄と、彼女の父との会話でもたらされる。彼女の兄は、彼女の父と、きちんと対話をしていたのだ。つまり、彼女が、彼女の両親が彼女の未来の選択肢といて用意していなかったと思っていた道を、彼女の兄と父は話し合いによって検討していたのだということを知ったのだ。彼女は愕然とする。両親とは圧倒的な存在であり、決して動かせない存在であり、化け物であると感じていたが、しかし会話をしようと彼女が求めれば会話ができたのだと。その当たり前のことに気がつき、彼女は呆然としたのだ。彼女のそれまでの人生はなんだったのかと。彼女は常に、摩擦の存在しない方向へと流れてきた。彼女は摩擦がおそろしい。摩擦をするくらいならば、隠れることを選んできた。なぜなら、摩擦には意味がないと思っていたからだ。両親とは圧倒的な存在であり、決して動かせない存在であり、化け物である。であるからには、摩擦など無意味であり、不毛な傷であり、なにももたらさない。そう考えていた。しかし彼女の兄は、彼女の父と、対話をしていたのだ。彼女の両親には、言葉が通じたのだ。彼女は人生における大きな選択のいくつかを済ませてしまったあとで、その当然の事実を知る。
 愕然とし、それまでの人生で「どうにもならない」と見過ごしてきた、たくさんの「どうにでもなる」事共を知る。
 呆然とする。
 よくわからない。混乱している。
 ずっと混乱している。

 彼女はわかっている。彼女のやりたいことは、いまの環境でも変わらずできる。それなのに環境を変えたいと願うことは、単なる逃避である。彼女は、彼女と同じ環境にあって、彼女と同じやりたいことを、正しく消化している存在を知っている。彼女は焦っている。彼女は自分のやりたいことが、しかし本当は、やりたいことではないのではないかと考えている。単なる逃避先であり、情熱など、とうに消え去っているのではないかと、おそれている。彼女のやりたいことは、彼女にとって世界のすべてであり、彼女のすべてである。しかしそれは、そう語りたいだけ、そう思いたいだけ、それだけのものであって、実際とは異なるのではないか。「やりたいことがある」という言葉に、うっとりと酔って、驕っているそれだけではないのか。そうおそれている。彼女のそれまでの人生は、摩擦をおそれて摩擦のない方向へと流される、それだけで形成されていたが、彼女のやりたいことだけは彼女の実際の生活になんら関わりがなかったため、一貫して「やりたいこと」として存在し続けていた。それは彼女にとって、彼女のすべてであった。しかしそれが揺らぐのかもしれない。彼女は単におそれ逃げそれを理由とし堕落していただけなのかもしれない。
 彼女はおそろしい。
 あらゆるすべてがおそろしい。

 逃避でもなんでもいい、愛している、それだけで構わない、開き直れればそれでいいのだ。
 彼女もそれはわかっている。
 しかし、それができない。経験則で、時間が必要なのだということだけがわかっている。経験則。彼女の嫌いだったはずの言葉のひとつだ。それなのに現在の彼女は、平気でその言葉を使用する。彼女は、彼女の中で、許されるものたちが増えていくことに怯えている。彼女は、彼女が、唾棄していたはずのものたちの中へ、雫れていくことに怯えている。
 開き直ればいいのだ。
 わたしにはこれしかなのだ。
 そう信じるしかないのだ。
 そして突っ走っていくしかない。
 それなのに彼女は怯えている。常に怯えている。摩擦がおそろしく、世界はとてもこわい。
 よくわからない、混乱している。
 わたしはどうしようもなく、混乱したままでいる。

 小説が書きたい。
 ただそれだけだ。
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