FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ノーノーノー!

 後藤まりこの新しいアルバムをようやっと買ったよ!まだ途中までしか聞いてないけど、あたしすごく好き。ライブで聞いた曲がぜんぶ入っていて、嬉しいな。そしてまりこが音楽をやっていることが、音楽のCDを出していることが、なんだかすごくふしぎな感じだし、それに、嬉しい。
 前に仕事で長崎に行ったとき、長崎の気に入っているビストロで鳩をたべたのだけれど、そのときあたしポメラで日記を書いていて、その記事ではあたしにむしゃむしゃ貪られた鳩についても言及していて、そこからミドリの鳩という楽曲まで話は派生していて、でも、なにしろ酔っ払いながら書いていたせいで文章が支離滅裂で、いや、もちろん、あのね、あたしの文章はいつだって支離滅裂に決まっているのだけれど、それにしたってあまりにも悲惨なありさまだったからその日記はお蔵入りしちゃったのね。そんなどうでもいいことを思い出した。
 ミドリっていうバンドはバンドだったけれど、音楽をやっているバンドというよりはひとりの女の子が自殺する過程を取ったビデオ・フィルムの名称だったんじゃないかなと今でも思っていて、だからそうやって飛び降り自殺してしまった女の子がいまこうやって音楽のCDを出していることがすごくふしぎな感じ。奇跡的と言っていいと思う。でも、当たり前と言っちゃえる気分もあるし、なんなのかな。変なの。
 ミドリのラストライブのDVDを見ていると、心臓がざわざわして意味がわからないのだけれどすごく悲しくなって、怒りたいような笑い出したいような、奇妙な心持ちになって、すごく好きなんだけど、見るのはいつだってちょっとこわい。「スピードビート」以降は早送りとか巻き戻しとかそういった操作の一切ができないような、そんなこわさがあって、やっぱりなんだか、ざわざわする。始めようか・始めようか・終わりを始めようか・とまりこが言って始まる「どんぞこ」で本編は終わって、そしてアンコールでは昔と同じセーラー服を着たまりこが頭から血を流しながら、終わったとこから始めよう・と言う。自殺する女の子のビデオ・フィルム。ミドリの音楽は基本的にリズムだけで構成されていて、メロディはなかった。まりこはボーカルだったけれど歌ってはいなくて、だいたいは叫んだり、がなったり、呟いたり、喋ったりしていた。いちばん最後のアルバムで、初めてまりこが歌って、ミドリにメロディが発生した。そのあとすぐにミドリは解散した。
 まりこの新しいアルバムは、ポップで、キッチュで、かっこいい。あたしは「うーちゃん」と「ゆうびんやさん」がだいすき。音楽だなあ、って思う。そう思えるものがこの世に存在していることが、すごいなあ、って思う。
スポンサーサイト

ヨットは止まっているのか?

 しまった、やっちまったな、というのが現在の心境で、そう、あたしには慎重さが足りなかった、一気にハイになるのは危ないって何回言ったらわかるんだよレディ、でも足りなかった慎重さを過去に遡って手にすることはできないし、だから、またずぶりと沈みそうな片足については冷静になれ冷静になれと命じながら正しい位置を今から、たった今から慎重に探すしかないのさ。
 愛情は無罪、愛情は無罪、愛情は無罪、愛情は無罪か?
 あたしは夢を見る。孔雀のような心持ちで。求愛をしているのだ。ずっとだ。もうずっと。あたしは孔雀のような心持ちで、きらびやかな羽を広げ、こっちを見て、こっちを見て、ふしぎな足取りで奇妙なダンスを踊る。それでも未だにきみはそっぽを向いてコーラをぶくぶくしているのさ。ため息をついて、釈然としないな、と呟く。あたしはできる限り愚鈍だと思われていたい、そう意識しているけれど、あたしの本心は愚鈍だと思われたくなくて、そのせめぎあい、惨めなことだ!馬鹿だと思われることは構わないのだ。自分に笑うことを課したときから、そのようにカスタマイズを続けてきて、まだ完成していないことが口惜しい、ちゃんとしなくっちゃ。くじら12号を口ずさむ。あたしはあたしが信じるに足るとしたもの、あたしの信じているもの、それらに対してもっと誠実にならなくちゃならない。それらに比べたら、あたしのちっぽけなプライドなど、ないに等しいのよ、そうでしょ?あたしは彼女のやり方を醜いと思う、彼女のやり方を嫌悪する、彼女の在り方を決して踏襲したくないと願う、であるのならばあたしは常に笑っているべきだし本人を目前にした場合以外の批判は慎むべきで、それはまだ犯していない、それを続けなくてはならない。ばかばかしいとしているものの側へ堕するべきではない。足を滑らせれば真っ逆さま、あたしが信じるに足るとしたもの、あたしの信じているもの、それらの正当性のいっさいは失われる、その兎は白いのか?あたしはケダモノだが、社会において役割を果たすあたしはケダモノであってはならない。彼女をケダモノだとして憎むのであれば、あたしは決して彼女のことを感情的に批判するべきではない。落ち着け。熱くなるな。クールになれ。宅急便になれ。クロネコになれ。クロネコと言えばあたしのベッドの脇に置いてあるラックには本を読んだりするためのライトが設置されていてそのライトにはクロネコのマグネットが張り付けてある。だからなんだというわけでもないが、そういうことについて考えろ。脳みそのうちの三〇パーセントは、常に関係ないことについて考えていろ。笑え。落ち着け。フラットでいろ。苦しくなったら、クロネコのことなどを考えて、いつだって、常に、余裕を失うことだけはあってはならない。
 ヨットは止まっているのか?
 ボーヴァワールの「人間について」なんかをぱらぱらめくって読み返しながら、もう半分の自分に助けを求める。こうやって日記を書いたりして。もう半分の自分が慰めてくれるから、わかった、きみがそう言うなら、あたしはまだやろう、そう思う。いまは彼女の矛盾や硬質化した思考と呼ぶに値しない思考に唾を吐くべきときではない。あたしの生の在りようや存在の醜さについて心を巡らせるべきときではない。もっと具体的な事象についてのみ心を砕き、即物的で正しい歩き方を続けるべきだ。もう半分の自分がそう言う。泣き喚くのも、怒り狂うのも、あたしが全部やるから、きみはそれらのいっさいを忘れろ。きみはきみを役割を果たせ。簡単だ、笑えばいいんだ。だいじょうぶ、できるさ。
 そうかな。
 そうだよ。
 じゃあだいじょうぶかな。あと少しだ。なんとかして保たせないと。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。