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瞼の裏

途中まで書いていた記事が気に入らなくてぜんぶ消した。ねむたい、視界がたまにふわっとする、こわいな。今日は本屋さんで雑誌を買って帰ってポストに入っていた不在連絡票に記載されている電話番号に電話してアマゾンからの荷物の再配達を依頼して受け取ってにんにくをオリーブオイルで炒めて長ネギとアボカドを炒めてネギがくったりとしたら賽の目切りにしたトマトを入れて白ワインとバルサミコ酢を入れて水分を飛ばしたらほうれん草を入れて最後に絶妙に茹で上げたフェデリーニを投入してよく混ぜて食べて買ってきた雑誌を読んでお風呂に入って音楽を聴きながらパソコンを立ち上げてなにをする気にもならずぼんやりとして詩をちょっとだけ書いてそしていま日記を書いてる。
唇が乾いている。
ねむたい、視界がたまにふわっとする、こわいな。いやなことは連続するけれど、それってつまり、いやなことがあると思考がネガティブになっていやなことが普段より目に付くようになるってことだと思う。だからといって積極的に努力してポジティブになろうとは思わない。あたしは基本的に楽観的な人間なのでこんな考え方になることは珍しく、だから、もう少しこのままでもいい。でもこういった考え方は、やっぱり楽観的なのかな。視界がふわっとする。こわい。
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毒にも薬にも鳴らない

 十日、桜井さんと高円寺円盤で「ひなげし」という映画の上映会+出演者と監督によるミニライブを見たのだけれどなにがなんだかよくわからなかったの。ジョニー大蔵大臣が主演なんですって見たい、と思って、桜井さんを誘って、見に行ったのだけれど、なにがなんだかよくわからなかった。あまりにもわたしの守備範囲から解離し過ぎていたので好き嫌いを含めあまり感想がないのだけれど、ひとつ思ったのは、いわゆる前衛と呼ばれる世界にテクニックは存在してはいけないのかな、ということです。映画もそうなんだけど、それよりも出演者さんたちのミニライブ。それを見て強く思ったの。特にピアノは、なんだかなあ、ってずっともやもやしながら聞いていた。すばらしい音楽に技術は必ずしも必要でない、ということは常々思っていて、しかしあの日の彼らからは「必ずしも必要ではない」ではなくむしろ「あることは罪悪である」くらいの積極的な否定が打ち出されているように感じられて、ふしぎだった。わたしの知っている「技術も理論もそのいっさいがどうでもよくとにかく素晴らしい音楽」というものは、情熱、衝動、あるいはその人が保有しかつ近くにいる人を手あたり次第に引きずりこんでゆく強大な吸引力を持った世界、などが核となっているのだけれど、彼らからはそのいずれも感じられない。陶酔と嘲笑しか感じられなかった。
 ラブがないよね。と、個人的には思う。
 いちばん最後にジョニー大蔵大臣が歌った「芸人の墓」はすごくよかったです。
 んー、で、「芸人の墓」を聞いてから桜井さんと連れだって円盤を出て土地感のない高円寺駅周辺をさまよい最終的にお魚がメインと思われるお店に入って鍋をたべた。鯖のお刺身と炙りと漬けが乗っかってる三点盛りともつ鍋(〆の雑炊つき)をたべた。どれもおいしかったのだけれど、どれもくるのがすごく遅かったのよう、わたしは生まれ変わるくらいおなかがすいていたのでアア生まれ変わるほら今この瞬間ぼくは蛹をぴりぴりと破りながら柔らかく頼りない透明な羽を広げて羽化する虫のように生まれ変わると言ってみたけれどでもそれは生まれ変わりではなく変態であるよそしてわたしの前世は紙テープ来世は鋏か青い鉱石と決まっているのでついにあたし無機物に生まれ変わるッアアッ生まれ変わるッと切羽詰まりながら唇をぱくぱく開閉し続けなければならなくてそれはちょっと軽い拷問だったよね。でもぱくぱくと開閉し続ける唇はたべものを放り込まれない限りはどうでもいいことを喋り続けるので相変わらず日本酒を体内に取り込まなければわたしの十分の一も喋らない桜井さんと相対している言葉病に悩むわたしにはそれはある種の救いでもあったのかもしれない。なんて書いているけれど実は無言でもあんまり気にならないし、要するにいったいぜんたいなんなんだろうね?問いを発することに価値がある、という意見はもっともだと思うけれどそれは問いがきちんと明確であり問題というものを可視化できている場合のみに適用される意見であってだからこの場合の僕の発言はただ無為、無為なのであるよ!
 というような、伝えることを前提としていない言葉、「整ったうつくしい言葉も愛しているがそうでない言葉、悪文こそをむしろ愛す」と言いながらも結局は自己陶酔のみが目的であるという姿勢、の類似が音楽的に発露された状態、があの日わたしが目撃した音楽(仮定)だったのかなと思うとすこし落ち込む。「わかってくれる人だけわかってくれればいい」という姿勢がわたしは好きではない。だってそれは本来コミュニケーションに払われるべき代償の一切を拒絶している、それなのに益は要求している、非常に怠惰な状態であるもの。伝えることを目的としない言葉、音楽、行動、それらはいったいどこへ向かえばいいのだろう、最終的に自己へと帰結するのであればそれは独り言であり要するにオナニーに過ぎないのです。
 書きたいことが三つほどあるのだけれど酔っぱらっているのでまた今度にする。次に日記を書くときは、①作るという行為と承認欲求②自己を認める他者のみを欲するという自己完結③平易な言葉あるいは音の難解さ、それから山崎ナオコーラの「長い終わりが始まる」の感想について書きたいなあと思うんだけど次まで覚えてるかどうかわかんない。

目に見えるものを探す

10月24日(水)
 仕事で断続的に眠ったり起きたりを繰り返しているのだけれど、なんだか悪夢ばかりを見るので、すこし辟易しています。夢の中、急で長い螺旋階段をぐるぐる降りて居心地の悪い狭いベッドで眠っていると、唐突に前頭葉がぶるぶるするほどやかましいベルの音で起こされてああこれは電話だわと気がついて眠い頭をシェイクシェイクしながらなんとか電話に出てそしたらそれはすぐに切れて困っていると上司がベッドの横までずいずいやってきてわたしの目の前にコードの切れた三つの受話器を突き出し爆笑する。というような、微妙に後味の悪い、意味の説明しがたい、目が覚めたあとに「なんだかなあ」と思っちゃうような夢ばかりみるのよね。別に動悸が激しくなったり泣いちゃったりするほど悪い夢というわけではないのだけれど、なんかちょっとやだ。
 江國香織の「ホテル・カクタス」が読みたいなあと思うのだけれど、持ってきていないので、読めません。だから代わりにというわけではないけれど、川端康成の「片腕」を読んでいます。うん、ぜんぜん、代わりにはならないよね。文体も内容も雰囲気もなにもかもが違うね。でもおもしろいです。わたし、川端康成の小説でいちばん好きなのはこれです。彼の女体表現はねっとりしていて妄想気味、精神的な童貞のようで憧憬の押しつけが鬱陶しく、読むたびにこのひと変態だなあって思うし、たびたび辟易するけれど、やはりなんだかんだで美しく、酩酊するような心持ちになります。
 仕事中に煙草を吸うことは滅多にないのだけれど、今日はなんとなく気が向いたのでぼんやりと一本吸っていたら、喫煙所で会った同僚(わたしが飲むときは吸うことを知っている)にびっくりされたよ。普段と違うことをしていると驚かれるのだ・わたしがわたしに課している規範(というほどでもないけれど)が外からも観測できるものである場合そこから逸れると驚かれるのだ・つまりこの人はわたしの「通常」と「異常」をそれが例え表面的な一点だとしても知っているのだ・とごく当たり前のことに気がついて、わたしもびっくりしたよ。それはつまり彼の内部にミニチュアなわたしの存在があって、それは確かにわたしの日頃の所作の積み重ねが形成した影であり、わたし自身であるとは言えないまでも決してわたしと無縁ではないのだ。こわいなあ。文章なんか残さなくても、ひとは日々拡散を続けていて、ある日唐突にさあ終わろうと思ってももはや手遅れで終われなくなっているのだな。うー、こわいなあ。
 仕事の時間になったので仕事に行きます。

10月25日(木)
 一息ついたので、皆で顔を見合わせて、よかったね、と胸をなで下ろして、じゃあ飲みますかということでちょっぴり飲みました。職場のひとと飲むの好きじゃないんだけど(仕事の話ばっかりになるし利害関係がある他者しかいないので関係性の維持に努力しなければならないからです)たまにはね。めいめい好きなことを話していて、わたしは特に話すこともないので「はい」「うん」「へえ」「そうなんだ」「すごいですねえ」等、様々な相槌を駆使して全力で潤滑油したよ。で、そうやって潤滑油しているわたしの隣で、ちょっと気分のよくなった同僚がにこにこしながら仕事の話をしていて、その際に両手を駆使して感情などを表現するのだけれど、わたしの肩とか首のあたりに肘がひゅんひゅん飛んでくるのだよね。狭いわけじゃなかったから、ぶつかる!という恐怖や不快感は特になくて、じゃあなんでわざわざこんな話をするかと言うとわたしがそれを見ながら「あー肘噛みたいなー」と思ったからです。わたしには昔から噛み癖があって、人の指やら服やらをよく噛むのだけれど、特にそそるのは肘などの関節部、そのまっすぐに伸ばされるとたゆむ部分の皮膚です。引っ張ると伸びるところね。わたしは他者のああいう部分が無防備に晒されていると、どうしても触りたくなって、もっと正直に言えば噛みたくなって、うううううという気持ちになります。あとは後ろから見た耳もそうなんだよねえ(後ろから見た場合に限る)。で、これ、この欲求、対象は別に固定されていなくて、誰でもよいのです。特定の個人のものでなくてもいいからとにかく指とか肘とか耳とか噛みたい。あがががが。ちなみにわたしも大人になって、誰彼かまわず噛みついてはいけないということを学習したので、恋人関係にない他者にいきなり噛みついたりはしません。だから我慢するよ。でもやっぱり、指とか肘とか耳とかは好きなので、噛みつきはしないまでも、親しい友人相手だと、その部位を引っ張ったり掴んだりしてよく嫌がられています。ごめんね。ここ数年は恋人もいないので噛みつき欲が満たされておらずフラストレーションが溜まっているのさ。そして今日もわたしはひとり寂しく爪を噛むのです。がじがじ。

10月25日(金)
 存在が曖昧になるくらい、眠いよ……。世界には朝早く起きて出勤前の時間に勉強をしたり絵や文を書いたりするひとがいるらしいのだけれど、そういうひとたちは一体全体どういう肉体の作りをしているのかしらん。わたしはいつだって眠くて眠くて仕方がなくて、十時間連続で眠った次の日もお昼にはばっちり眠たくなるよ。ごろごろ。昨日はもちろん十時間連続で眠れたりはしていないので、余計に余計に眠いです。誰かわたしに睡眠をプレゼントしてくれればいいのに。アマゾンで売ってないかなー。
 百円均一のお店でよっちゃんいかの大きなやつを買ったのだけれど、これがずいぶんと手に負えない駄目な子で、ほんとうに困る。どう困るのかというと、よっちゃんいかはとてもおいしくて、わたしは大好きなのだけれど、大きなよっちゃんいかを一気に食べきれるほど愛せてはいなかったみたい。で、大きなよっちゃんいかをちょっと食べて残りはあとで食べようと思って輪ゴムでぎゅんぎゅん締めて置いておいたのだけれど、用事を終えて再びよっちゃんいかの元に戻ってきたらその一帯はすっかり酢くさくなっていたということだよ。よっちゃんいかは普通のよっちゃんいかこそが適正なサイズであって、大きくあっては、いけないのだな。大きくあるためには、ジッパーとかついていてくれなくちゃ。うう、酢くさい。
 長野まゆみの「レモンタルト」を読んで、「なんて潔くBL……!」と打ち震えたよ。長野まゆみは中学生の頃に「新世界」を読んできゃーってなった記憶があるんだけど、あれ、改めて読み返すとすごいよね。中学生が読んじゃだめだよね。
 夜に流れ星をみました。「大した努力もなくあっさり一億円手に入りますように!」ってお願いする暇もなく流れ去りました。三回唱えるとか絶対にむりだと思うの。あの言い伝えは「夢は自分で叶えましょう」下手すると「夢は叶いません」とかの意味合いを持っているんじゃないかと疑いたくなるわ。かなしくなるね。あと、久しぶりにすばるを見たけれど、あれ、肉眼で見ると、ただのもやっとしたなにかだよね。

10月26日(土)
 最近にきびがよくできるようになったんだけど、どうしてだろう?元々あまりできないタイプだったのだけれど、ここ一年くらいでぽちぽちできるようになってきました。いやだなあ。薬を塗るのですが、あんまり効いている気がしないので、わたくしはご立腹なことであるよ。ぷんぷん。あごとか首とかに、できる。触ると痛いしよくないって言うから触らないようにしたいのだけれどあれだね、にきびもかさぶた的な誘惑をわたしにしてくるものだからついうっかり触ってしまうよね。かさぶたほど激しい誘惑はしてこないので潰したり引っかいたりはしないのだけれどどうも撫でてしまう。というわけでここ最近のわたしはきれいに整えた髭を「んん」と言いながら上品に撫でる考えごとをしている中年紳士のようであるよ。んん。

10月27日(日)
 ROCK AND READ40号に掲載されているインタビューで有村さんが過去の自分を評する際に使った「情念だけの生き物」という表現について考えています。とここまで書いてそれ以降3,000文字くらい書いたのだけれど結局まとまらなかったから消しました。むつかしいなあ。どうしてこんなことを考えているのかというと、11月の三連休で職場の比較的なかよくしている面々で慰安旅行などしようという話になって、わたしは当然行きたくないのだけれど、なんだか勝手に行くみたいな流れになっていて、断るのにもそれなりの労力がいるし、どうしようか、面倒くさいなあ、と思っていたところ、そういえば24日には後藤まりこのライブがあるからそのチケットを見せて行けないと言えばいいのかな、わたしのライブきちがいについては皆先刻承知なのだし、と思いついて、そこから、そういえば有村さんの言った「情念だけの生き物」という言葉はまりこにも当てはまるんじゃないかなあ、なんてふと閃いたからです。どうしてそう考えたのか、とかそういうことを書こうとしていたんだよ、その失われた3,000字で僕は、でも散漫とよくわからなくなったから、またいつか、書けるようになったら、書くよ……。
 有村さんのことだけ書いとくね。
 有村さんが「情念だけの生き物」という言葉を使ったとき、わたしは脳天を貫かれたようにはっとして、すごく寂しくなって、でもとても愛しくなったのです。その言葉を発することができるようになった、という点において彼はもはや「情念だけの生き物」ではない、あるいはもうそれを飼い慣らせていて、それはつまり現在の彼はわたしが心から愛し死ぬまで心臓に置いておくだろう「puppet show」の彼からもはや遠く離れたということを意味していて、まだその世界から抜け出せていないわたしにはそれがひどく寂しく、しかしそれでも彼が歌い続けていること、変化しながらも歌い続けていること、つまり生き続けていること、に対して、果てしない目眩と狂おしさを覚えるのです。
 で、関係ないけど、FLOPPYのGREEN WORLDを今さら聞いているよ。タイトルがいいよね。GREEN WORLD。こんなタイトルなのにエコっぽくないとこが好き。
 で、もっと関係ないけど、部下がめがねを探しています。めがねめがね。めがねがないと世界のすべてが曖昧なのですって。かわいそうです。どこかで見つけたら教えてね。

10月29日(月)
 悪夢を見る。わたしたちは逃亡している。長い天空楼閣を逃げる。遙か下方に見る階段で人が死んでいくのが見える。障害物のない白い廊下がどこまでも続く。身を隠せる場所がない。ずいぶんと走り続けてやっと左手に見つけた扉を開いて身を滑り込ませる。息を殺す。皆で顔を見合わせていると、いつの間にかひとり、いなくなっている。振り返ると、白い人にひとり、捕まっている。すう、と腹を裂かれる。わたしたちは再び逃げ始める。白い廊下がどこまでも続く。
 目が覚める。
 悪夢を見る。箱の中にいる。わたしはヘッドセットを被って別の箱と通信している。天井に空いた穴から星が見える。女の子は右の奥の方で控えている。電話が鳴ると、女の子が電話を取る。女の子は受話器を持ったまま箱の端へ行こうとするのでコードがギチギチと伸びる。わたしは女の子を叱る。不機嫌そうな顔をした女の子はより遠くへ行く。コードがギチギチと伸びる。わたしは女の子を口汚く罵る。天井に空いた穴から戦闘機が落下してくる。電話は潰れて、コードは切れる。箱は分断されて、女の子とわたしは隔絶される。わたしは安心する。穴が戦闘機で塞がれて、星が見えない。通信は途絶えている。
 目が覚める。
 あと、関係ないけど、部下がめがね見つけたって。よかったね。めがねめがね。

10月30日(火)
 わたしはお化けが苦手で、こわい話などされると逃亡してしまうのだけれど、さいきん職場でそのことがばれて、いろんな人がわたしにこわい話を披露してくるので、こわい。
 ということになっているのだけれど、それはきちんと説明することが面倒だから「お化けこわい」の一言で終わらせているだけであって(それも嘘じゃないし)しかしその内実は実際、おそろしいのは、お化けというよりも自分の認識できないところで自分に対してなんらかの注意を向けている他者が存在すること、それが自分に干渉しようとしてくること、動機や倫理が理解できないのでその先の行動も読めないこと、であり、だからお化けと都市伝説はわたしには同種のこわさであり、ストーカーや変質者も同様なのです。振り返るとすぐ後ろに誰かがいて自分を注視している、なんてすごくこわいし、ふと気がつくと小さな隙間から眼球が一対こちらを注視している、なんてすごくこわいし、いやだ。「見る」ということはひとつの干渉なんだよ。観察者の存在に気がついた時点で、被観察者は観察者によって行動を支配されるのです。
 わたしがおそろしく感じるのは、常に他者であり、他者が他者であるがゆえにその内実が理解できないこと、そのことに限定されており、その恐怖を自分に感じることはないんだよ。(わたしはわたしがわたしをじっと見つめていることに気がついてぞっとしたことなんて、一度も、ないもの。)わたしがいくら自己の他者性について考えて、それが実在することを自己の内部や他者の内部に見る自己から知っていても、「結局・自分は自分でしかないのです」。こわいね。

10月31日(水)
 明治ブルガリア森永♪(なかなかしっくりはまるね!)
 10月が終わるので去り逝く10月の弔いをします。
 うーッ、とむりゃーッ!(弔い)

11月1日(木)
 今日は朝の4時くらいまで仕事をしていて、ひと段落ついたから、あたし寝ますう始業には起こして欲しいですうと言い残して眠りについたのだけれどまだぜんぜん始業じゃない6時に叩き起こされた挙げ句馬車馬のように働かされたんですが、どういうことなの……。
 わたしはおやつとしておしゃぶり昆布(おいしい)とキシリトールガム(目が覚める)を常備しているのだけれど、今日は常に朦朧としていたから目を覚ますためにガムを噛むということすら思い浮かばなくてだめだめだったよ。ひたすらにおしゃぶり昆布を噛んでた。おいしかった。特に目は覚めなかったです。そんな風に意識のあいまいもこもこっとした一日だったのに仕事はいちおう進んでいるのだからすごいね。そして「あいまいもこ」って言葉はなんだかとっても可愛いよね。あいまいもこ。あいまいみーもこ。もこもこ。てゆうかもこってなに?

11月4日(日)
 冷蔵庫の中が空なので夕食をとるために外出する。jane marpleの本柄スカートに昨日買ったカーディガンを羽織り、もうずいぶんと長いつきあいになるショートコートを着込んで、以前プレゼントで貰ったvivieenneのマフラーを巻く。去年買った、深緑色の手袋を探したけれど、どうしても片方見あたらないので、そのまま出かける。
 昨日は二枚カーディガンを買った。一枚は紺色の縁取りのされた真っ赤なカーディガンで、一対のバンビの向かい合う刺繍が施されている。もう一枚は、今日着ている方で、黒いショート丈のカーディガンでバレリーナの刺繍が施されている。可愛い。
 新しい服を着ているので気分がいい。
 来ているのは近所のビストロで、引っ越してからもう何度も利用している。お店のひとには、たまにひとりで来る女、と認識されているのだろうな。近所に友人は住んでいないし、同期と飲むときは職場の近くを使うので、自宅の近くで飲むときは、基本的にいつもひとりだ。
 このビストロのいいところは、いちばんはもちろん、料理のおいしいところ。それから、グラスワインが常時三種類あるところだったのだけれど、一月ぶりに来てみたら、一種類になっていた。少し悲しい。でも、やっぱり料理がとてもおいしいので、これで来なくなるということは、絶対にないなあ。一種類になったハウスワインの白、を頼んだらまるで水のようなワインが出てきて、こういう余韻の少ないワインは多分、安いワインと言うのだろうけれど、わたしはこういった、口に含んだ瞬間甘みも辛みもほとんど感じずただ葡萄それだけの香りが漂い、飲み干せばすぐになにもかもが消え去り後にはなにも残らない、というワインがとても好きなので、嬉しい。少しだけ、青リンゴの香りがするかな。それくらい。こういったワインはそれだけでも飲めるし、どんな料理にも合う(というか、邪魔をしない)ので、気軽に飲めて、好き。
 今日のおすすめだったムール貝のワイン蒸しを頼んで食べているのだけれど、これがとてもおいしい。岩手産のムール貝は、それ自体が肉厚でぷるぷるしているし、火を通しすぎていないので身が柔らかく弾力もあって、味もくどくないのにしっかりとついている。セミドライのプチトマトとケッパーが入っていて、酸味が効いているのも、すごくいい。一緒に刻まれたパセリが口に入ると、噛んだ瞬間、ぶわりと青い香りが漂って、はっとさせられるのも、すごく、いい。いまは、そうやってムール貝を楽しみながら、ソフトシェルクラブのフリットを待っているところ。そう、ここが好きな理由のひとつに、ソフトシェルクラブを常時扱っている、という点がある。うちは田舎で、そういった店はほぼ皆無に等しいので、重宝する。わたしは好きな小説でソフトシェルクラブの話を読んで以来、ずっと食べてみたかったのだけれど、この店で初めて食べることができて、ひどく感動したのだった。ほんとうに殻ごと食べられて、甘い。できあがるのが、待ち遠しい。
 おいしい料理をたべて、おいしいお酒を飲んで、好き勝手な文章を書きながら、思い出すのは貰った言葉のことだ。
 先日、久しぶりに、ぜんぜん知らないひとから小説を褒めて貰った。非常に単純な一言だけだったのだけれど、ものすごく嬉しく、がんばろう、と思ったのだった。わたしはわたしが感想などを人に伝えることがすごく苦手で、なにか作品を好きだと思っても、それを作った人とコンタクトを取ることが非常に不得手だから、だからその葛藤やらなんやらを乗り越えて送られてきた言葉たちを本当に、嬉しく思うし、申し訳なく思うし、有り難く思うし、愛しいと思う。もちろん、人に言葉を渡すことのボーダーは人によって違うのだろうし、気軽に言葉を渡せる人もたくさんいるのだろうし、でも、すごく短くてシンプルなその文面の中から、わたしはわたしのように特定の誰かに対して言葉を送ることの苦手な、あるいは長く細かく表現することが苦手な、雰囲気を感じて、一人で勝手に感動したのだった。もちろん、それはわたし個人が勝手に受け取った印象で、本当は礼儀としてただ言っただけかもしれないし、(そういう文化はあるし、わたしもそういったことをしたことがある、結局お互いにいやな目を見ることになるから反省してそういったことはもうやめたのだけれど、でもわたしのようないやな人間ではなくきちんと他者を尊べるひとの中にはそういったことを呼吸のようにスムースに誰にも不快な思いをさせずすることができるひとがいる。サービスの達人だ。そういったひとたちは、いやな思いをしても自分の内部で処理して、決して他者(少なくとも利害関係のある他者・もしくは関係性の希薄な他者)には見せずにスマートに振る舞って見せる。そういったひとたちのことを、わたしは本当に尊敬している。こういうことを書くと嫌みに聞こえるらしいのだけれど、本当に本当にそうなのだ。)特に深い意味なんてないのかもしれない。でも、それでも、わたしはその言葉がひどく嬉しく、わたしの小説を読んでそのうえ私の小説を好きだと言ってくれる人がいること、そのことがどうしようもなく嬉しく、たぶん大袈裟だと言うひともいるのだろうけれどもでも、生きていてよかったなあと思うのです。過去に書いた小説はすべて読み返せば粗が目に付き、書き直したいと思うことも多々あり、実際に気に食わない箇所をこっそりと訂正していたりもするのだけれどしかし、それでも書き続けていてよかったと、言葉をまき散らして這うみっともない歩き方だけれどもしかし生を続けていてよかったと、本当にそう思うのです。
 なんてことを書いたら絶対に引かれるから関係ないところで発散した。感想もらったのは超スロウペースで活動している二次サイトでのことなんだけどね。返信で「生きていてよかった(真顔)」なんて言われたら超引くでしょ。だからこっちで発散しておくんだよ!返信はふつうにしよう!
 あとソフトシェルクラブのフリット超おいしかったしわたしの記憶にある形と違ってサラダ仕立てとなっていたのだけれどそれも非常においしく、ときめき、そしてもうラストオーダーの時間になるし、そうこのお店のよくないところは営業時間が短いところなのだけれどもしかしとにかくもうこれで打ち止めにしようと思ってパテ・ド・カンパーニュとグラスの赤を頼んだら「パテはいつもあるけど今日しかないメニューで自家製ハムがあるよー」と言われて思わずそっちにしてみたらそれがもうめっちゃおいしいんだけどどうしたらいいの!肉柔らかい、塩気強くてワインが進む進む、別皿で出された黒胡椒とマスタードが無限の可能性を生み出すよ!付け合わせのじゃがいもとキャベツとラディッシュもうちゃくちゃうめええええ!!!うううおいしいよう、酒飲み飯食いに生まれてよかったなあ!おかげさまで生まれてこの方ただの一度も痩せていた経験がないけれどおいしいからそれでいいんだよ。むしゃむしゃ。
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