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遠方の絵画

 心身ともに疲れ果てたからいつものビストロでおいしいパテをたべておいしいワインを飲んで静かに静かに時間を咀嚼しようと思っていたのに窓から覗いたビストロは貸し切り状態で大勢の男女がお酒を酌み交わしながら甲高い声や下卑た視線を振りまきカウンター席までも浸食し騒いでいた。貸し切り状態だった。
 注釈など入れる必要もないほど、彼らはまったく異常でなく、関係のない他者に対して非礼など働いておらず、わたしに被害者面する権利などなく、しかしわたしは無様に打ちひしがれて店を後にした。
 で、結局、自分でなにかを作ろうという気力はまったくと言っていいほどなかったので、そのビストロからほど近い、近場のおじさんたちが一杯ひっかけて帰るような居酒屋に入って、酒を飲んだ。わたしは大衆居酒屋にある味の濃い親父くさいつまみが好きなので、こういった店で出されるものはたいがい好きなのだけれど、ひとりでそういった店に入ると、店の親父にも店の常連の親父にも絡まれることが多いので、あまり行かない。非常に不愉快な気持ちになるのだ。でも今日はすごく疲れていたし、ビストロは入れなかったし、その居酒屋には客がひとりもいなかった。だからわたしは、そこに入って、酒を飲んだ。白子の天ぷらと、あじのなめろうと、にらもやし炒めと、焼き鳥を食べて、浦霞の冷やを一合、熱燗を三合飲んだ。店内に音楽はなく、テレビがひたすらに自分の言いたいことを垂れ流している。わたしはイヤホンで音楽を聞いているので、テレビの言いたいことがわからない。常連らしき親父がカウンターに座って店の親父と話し出す。わたしはイヤホンで音楽を聞いているので、常連の親父と店の親父の言いたいことがわからない。わたしはつまみを食い、酒を飲んで、腹を満たす。それなりに腹が膨れて、勘定をして、家に帰る。
 悪くないが、そう親しみたい店ではない。そういった店に行ったときの常と同じ感想をいだいて、家路を辿る。料理はまずくなかったし、酒は良心的な値段だったし、鬱陶しく話しかけてくることもなかった。だから、悪くはない。でも、馴れ親しむと、きっと鬱陶しくなる。粘着質な、人の情。
 そのにおい。

 誰かによく思われたい、という感情は、異常なものではないと思う。そのために嘘をつくことも、自己を偽ることも。でも、あの子がそれを吐くほど不愉快に思うわたしはなんなんだろう。
 あの子はわたしごときに好かれて、褒められて、それで満足なのだろうか。それを自分の糧にするのだろうか。あらゆることの免罪符にして、罵倒を乗り切るのだろうか。過去に受けたすべての非難に対する免罪符に、わたしをするのだろうか。ただ怠惰、面倒なだけ、関わりたくないだけ、それだけの理由であなたに優しいわたしを。
 暴力を受けて育った子どもは自分の恋人や子どもに暴力をふるうという構造を、彼女を見ていると思い出す。彼女は確かに虐げられたが、虐げる側に立った瞬間、彼女の傷はその意味を変質させた。それはもはや、彼女を守らない。痛みを感じさせることもない代わりに、決して彼女を守らない。

 きらいな部下がいる。わたしは職場のひとはだいたいぜんぶきらいなので、きらいな部下など腐るほどいて、特別「きらい」だなどと形容する必要など普通はないのだが、これはつまり、その中でも特別に、程度の意味。わたしは去年彼女の教育担当で、非常に面倒な思いをした。彼女はなにかにつけて、わたしはがんばっている、わたしは一生懸命やっている、これはわたしの努力の成果だ、ということを訴える。言葉だけでなく、表情で、身振りで、もはやその爪の先端数ミリで、それを訴えてくる。わたしを認めてください。わたしを認めてね。わたしを認めて。わたしを認めろ。わたしを特別扱いしてかわいがってわたしのすべてをおまえの責任にしろ。
 わたしは彼女を決定的に傷つける言葉を脳内でもてあそびながら、そうね、きみはがんばっているね、と言う。評価というものは自己ではなく他者が下すものだ、と思いながら、そうね、きみはがんばっているね、と言う。
 その言葉はきみの言葉に対する同調であり、真摯でも誠実でもないという態度の証左であり、だからその言葉は、評価ではない。
 きみは気がつかない。
 永遠に気がつかない。
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Plastic Tree「インク」


インク(完全生産限定盤)インク(完全生産限定盤)
(2012/12/12)
Plastic Tree

商品詳細を見る


Plastic Treeの最新アルバム、「インク」を買いました。
名盤だよ。
最高傑作だ。
Plastic Treeを好きなひとはもちろん、むかし好きだったひともにきいてほしいし、一回きいてみて嫌いだったひとにもきいてほしいし、興味がないひとにも、知らないひとにも、あらゆるひとに、きいてほしい。

わたしはPlastic Treeというバンドをもう長いこと好きでいるけれど、オリジナルアルバムで「このアルバムはすごい、特別に好き」って思うアルバムは、cell.が最後で、それ以降のアルバムは、好きな曲はたくさんあるけれど、アルバムとして好きとは言えなかった。ウツセミはアルバムとして好きと言える一歩手前くらい、それに近い感触まで近づいた、のだけれどでもやっぱり、dummy box~GEKKO OVERHEADの流れがあんまり好きじゃないから、特別とは言い切れない。一曲一曲は好きなんだけどね。だからアルバムの発売って最近はあんまり楽しみにしていなかったし、発売日なんて覚えていなくてタワレコ行ったら売ってたから買ったとか、熱意に欠ける有様だった。HPも雑誌も、わたしはあんまりチェックをしないので、発売に気がつかないことも多いのだ。Plastic TreeはFCがろくでもないので、去年ついに更新をせずに脱会して、お知らせメールも届かなくなったし。そんな調子でここ最近は、Plastic Treeというバンドは好きだし、ライブには行くけれど、最新音源に対する熱意って、そんなになかった。
でも、インクは楽しみだった。
HPも雑誌もチェックして、予約して、発売日に買った。
どうしてかな、と考えると、理由はいくつか見つかった。
まず、インクに収録されるシングルがすべて好きだったこと。シロクロニクル以降は、あんまり好きじゃないシングルが一曲は入っていた。それだけでちょっと期待値は下がっていたのだろう。でも今回は、すべて好きだった。そして、シングルのカップリングで数曲収録されていた1stアルバムhide and seekの再録も非常によかったのだけれど、インクは生産限定版にそのhide and seekすべてを再録したアルバムが特典としてつく。これも楽しみだった理由のひとつ。それから、発表されたアートワークがものすごくよかった。アートワークも、シロクロニクル以降は好きじゃないというか、センス悪いな、ダサいな、とずっと思っていたのだけれど、今回はとてもかっこいい。好き。あと、発表された収録曲のタイトルがよかった。これはトロイメライの収録曲を見たときの感じと似ていて、タイトルを見ただけで「あったぶんわたしこの曲好き」という天啓というか、閃きというか、妙な確信があった。それに、アルバム発売に先行して発表された「ピアノブラック」がとてもよかった。あとは単純に、ここ最近、ライブがすごくよかったんだよね。バンドとしての状態が、いまのPlastic Treeは、ものすごくいい。
そういった複数の理由から、わたしはインクをとても楽しみにしていた。そして実際に聞いてみて、それは裏切られなかった。
Plastic Treeの現在を、過去を内包する現在を、象徴する素晴らしいアルバムだと思う。
感想を書きます。

1.ロールシャッハ(左)
いちばん最後に収録されている「ロールシャッハ(右)」と対になる曲。
ギターと歌だけの短い曲。
最初は有村の声だけ。彼の声はとても独特で、浮遊感のあるふしぎな歌い方をするのだけれど、そのままふわっといなくなってくれなくって、なんだか「ざらざら」する。浮ついているのに、なんかひっかかる。苦手なひとも多いと思うのだけれど、この声にはまると抜け出せない。そんな彼の声がとてもよく味わえる曲。

2.インク
表題曲。アルバムタイトルを決めてから作ったみたい。
もう、ザ・Plastic Treeと言っていいサウンドと歌詞。どんなバンド?と訊かれたら、これを聞かせればいいじゃん、という、名刺代わりになるような曲。でも、「これまでの集大成」とか「昔ながらのプラの音」っていう意味じゃない。確かにもうずっと連綿と続いているプラの中核になる音で構成されているのだけれど、でも、同時に、すごく新しい。さっき書いたとおり、「過去を内包する現在の音」がする。
骨太で安定したベース、幾重にも重ねられたギター、聞いたことのない声。ミドルテンポの美しい轟音。それから。
新しさは、ギターのアレンジと、ドラムにあると思うのね。一回目のAメロで鳴ってるアルペジオギター、以前ならこういうアプローチはしなかったんじゃないかなあと思う。もっと歪んだ、あるいは低い音をつけたんじゃないかなと思う。ここで鳴っているギターはとてもクリーンな高音で、それがすごくいいんだ。それから、ドラム。イントロやサビでシンコペーションの跳ねるようなリズムでスネアを叩いているのだけれど、それがかっこいいの。ミドルテンポの曲って眠くなりがち、退屈になりがちだけれど、このリズムがそんな雰囲気を作らせない。それに、すごく曖昧な言い方になってしまうのだけれど、歌によりそった叩き方をするんだよね、ケンケン。
それから歌詞。Plastic Treeというバンドは、ずっと喪失を歌ってきた。人間の内側にある悪意を、他者へむけることができなくて、俯いたまま自分のつま先を刺し続けるみたいな、悲しいことがあっても、それと闘うとか解決するとか、そういった積極的な行動なんてできなくて、ただぼんやりと眺めてるみたいな、そんな唄ばかりを歌ってきた。インクの歌詞は、そのひとつの完成形と言えるんじゃないかな。有村と長谷川の共作なのだけれど、ものすごく「らしい」歌詞。これから先もPlastic Treeは曲を書き続けるだろうし、詞を作り続けるだろうし、喪失を歌い続けるのだろうけれど、これはそのひとつの終着点なんだと思う。

3.くちづけ
シングル。メジャーデビュー十五周年シングルの二作目。
曲の質感はインクと似ている。インクを聞いた温度から、そのままするりと入れる。
ふわふわした有村の声と落下する滴のように響くピアノのせいで緩やかな曲って気がしてくるんだけど、わりとタイトなリズムの曲だ。ドラムもベースもギターもずっと刻んでる。そしてその淡々と刻まれる音がサビで一気に拡がって、歌詞の通り「花開く」ような音になる。
個人的には、Bメロのギターがかっこよくて好きです。

4.ピアノブラック
アルバム発売に先行して発表された曲。PVもあるよ。
ナカヤマの曲なんだけど、編成が変。ケンケンがドラムで有村が歌なのはそのままなんだけど、リーダーはベースじゃなくてギター弾いてて、ナカヤマはシンセ弾いてる。ベースはシンセでとってる。
で、編成が変だし、これまでのプラになかった音なのだけれど、完全にPlastic Treeの音楽なんだな!入りをパッと聞くとナカヤマのユニットのdate youみたいな音に聞こえるんだけど、ドラムとギターが鳴り出して有村が歌いだしたらもうプラ以外のなにものでもなくなった。すごいなあ。
歌はふわふわの極地みたい、なに言っているのかぜんぜんわからないのだけれど、それが呪文っぽくていい。歌詞カード見ると、歌詞いいんだけどね。なんとなく、森博嗣の女王の百年密室を思い出しました。
「君の目みたいな夜」って、好きだな。

5.あバンギャルど
これもナカヤマ曲。
あのおじさん、最近ライブでバンギャルバンギャル言って喜んでいるのだけれど、ついに曲にまでしたかと笑ってしまった。(タイトルは有村さんがつけたみたいですね。)
ナカヤマの曲って、どれも負の感情の発露がどうしてもあって、それは茫漠とした悲しみだとか、あるいは有村があんまり書かない怒りだとか、そういうものを感じてしんどいのだけれど、これはないね。ナカヤマがどんなこと考えてこれ書いたのかはわからないけれど、わたしは、もうただ、これをプラでやったら楽しそう!という気持ちだけで作ったんじゃねえかなあと思う。
ギターソロとか、もう笑っちゃったもの。好き放題に弾きすぎ!歌詞は血みどろですが、聞いていて楽しいです。
ナカヤマの詞には、ぎょっとするような、まるでわからない角度から、死角から突き刺されたみたいな、鋭くて印象的なフレーズがたまにあるのだけれど、(「本日は晴天なり」の「孤独と言うか?そういう君の不条理と何が違うんだ?」とか)今回それはなかった。でも、この曲の最後の方の「喘ぐ血も蓮と化した。あの日から蓮と化した。」の部分はメロと相まって、すごく響きがいいと思う。全体的にはダサいんだけど、この詞。
いわゆるビジュアル系、みたいな曲。父は「ザ・フーみたいだなあ」と言っていた。うーん、そうかなあ?

6.ライフ・イズ・ビューティフル
このアルバムで一番重い曲かもしれないな、と思う。
上手に感想を書けない。
これは昔の有村さんだったら絶対に書けなかった詞だと思う。さらりと書かれてさらりと歌われる言葉が痛い。痛いのだけれど、痛いと歌う自分を肯定している歌だと思った。

「点滅 明滅 寂滅 消滅 光に気づいた皆様に
 あらゆる仮面を用意しておかなきゃ 陳腐な怪人百面相だ
 泣いてる顔はどうだったろう? 笑ってる顔はどうだったろう?
 ねえ?」


海月的にはこんなこと歌われたらさみしいんだよ。でも、確かにわたしたちは、苦しんでいる彼をただ眺めているんだ。その乖離と、でもその乖離の間に存在する音楽と、そこから派生する愛情が、奇妙で、かなしい。
サウンド的には、新しいことをいくつかしている。フォーク的なアプローチから入ってサビで爆発する。ラップっぽいところもある。有村作曲のがなる系の曲の系譜だと思うのだけれど、歌い方がライブに近いので、サビが生々しい。
Bメロのベースがかっこいいよ。

「僕は君が好きなふりをして 君が好きなものを好きとして
 だからまた誰かしらにそんな感情が芽生えるなら 全部そうする」


7.君はカナリヤ
初期プラに近いサウンド。個人的には「ベランダ」とかと近い印象を受けるんだけど。なんでかなあ。ミドルテンポのクリーンな印象の曲。よく聞くと変なギターこっそり鳴ってるけど。
「ライフ・イズ・ビューティフル」でめためたに打ちのめされた後なので、すごくほっとする。
歌詞がケンケンなんだけど、なんというか、ぜんぜん引っかかるところがないというか、素麺みたいな歌詞だと思う。わたしは好きじゃないなあ。
アルバムの流れには絶対に必要な曲なんだけど、単品としてはそんなに好きじゃないな。
「ブルーバック」大好きなので、ケンケンには作詞よりも作曲でがんばってほしいと思う今日この頃です。
追記:ライブで聴いたらけっこう馴染んできました。メルヘンっぽい詩も曲にはまってた。

8.静脈
シングル。メジャーデビュー十五周年シングルの一作目。
聞いていて気持ちのいいギターロックです。
シングルは音録り直したりしないでそのまま入っていると思っていたから、ギターソロに度肝を抜かれた。湧き上がる水、みたいな音。シングルのソロよりもわたしはこっちの方が好きです。かっこいい!

9.てふてふ
ショックス(だったかな?)のインタビューでインタビュアーが「これはクレジットを見なくても長谷川さんだってわかりましたよ!」って言っていたけれど、確かにそうだ。どこからどう聞いても長谷川曲です。
低空飛行、という言葉がぴったりはまるようなサウンド。有村の声は加工されて音の一部のよう、ベースとドラムに溶け込んで沈み込む絵画のよう、そしてその少しだけ上を蝶のゆらりと飛ぶ軌跡のよう、高音をたゆたうギターが静かに鳴っている。暗い色調で描かれた油絵みたいな曲だ。
イントロのドラムがかっこいい。あと、終わり方がすごくきれい。
詞もリーダーで、これがすごくいいの。

「黒い種を蒔く どんな花が咲く 知らないふりして嘘をつく僕の声
 どうか蝕んで 心を奪って いつか覚めるまで透明な根を張って」


追記:これまでの長谷川曲だったら、「白い足跡」と近い印象を受けます、なんとなく。

10.シオン
シングル。メジャーデビュー十五周年シングルの三作目。
「アローンアゲイン、ワンダフルワールド」の系譜だと、個人的には思っている。
メロディラインがきれいで、アレンジもクリアで、聞きやすい曲。
この系統の曲って、好きだけどそんなに引っかからないな、と思うことが多かったのだけれど、シオンはすごくいい。
有村さんにとって、ひとつの区切りになる曲だったんじゃないかな、と勝手な想像をしている。これも昔の彼には絶対に書けなかった詞で、「ただただ君が好き」なんて歌うことは、これまでなら考えられなかったと思う。
ライフ・イズ・ビューティフルと対になる曲に聞こえる。

11.96小節、長き不在。/ 218小節、かくも長き不在。
インスト曲。
96小節は限定版、218小節は通常版に入っています。218小節がどうしても聞きたかったので、通常版も買いました。
アルバム「インク」は歌詞カードも非常に凝っていて、見ていて楽しいのだけれど、96、218、共にデザインが秀逸。
twitterでフォローしている人が「ヴォーカルのいるバンドがインスト曲をやる意味に気がついた」と言っていて、その言葉を見てわたしも自分なりに気がついたことがあって、ふしぎな感じがした。かなしいことのような、そうじゃないような。「バンドの強さ」とか、そういうことを考えた。有村さんの病気のことも。うまく言葉にできない。
Plastic Treeというバンドはこれまでもいくつかインストの曲を作っていて、それはまだササブチが在籍していたころの「回想、声はなく」から始まるのだけれど、順を追って聞いていくとどんどん成熟してゆくのがよくわかっておもしろい。「回想、声はなく」は展開が目まぐるしくて、ひたすらに重なっていく轟音が楽しいのだけれど、生き急いでいるような音で、きりきり限界の速度で回転する歯車が壊れる寸前というか、そういう音だから聞いていて少しきつい。一方、ドラムがケンケンに変わってから作られた「―――暗転。」は、一曲をじっくり聞かせるアレンジになっている。この曲はライブでも演奏されていて、最初の頃は危なっかしくて聞いていられないことも多かったのだけれど、回数を重ねるにつれてどんどん進化していって、今はもうライブでやってくれると飛び上がって喜んじゃうくらい。そうやって一曲をじっくりと育ててきた上での、新しい曲。
ミドルテンポの淡々とした曲で、派手な盛り上がりはない。でも、わたしはこれまでのインスト曲の中でいちばん好きだ。
96はさらりと聞け過ぎてしまうので、218の方が好きです。

12.ロールシャッハ(右)
ロールシャッハ(左)と対になる曲。
柔らかいギターにのせて、
「ひとつ ふたつ
 鏡のうえにヒビが入り割れて崩れた」
と有村が歌う後ろで、カチリ、カチリとヒビの入る音が聞こえる。
シングル「シオン」のPVで、有村と有村が向き合っているシーンがあるのだけれど、それを彷彿とさせる歌詞。目の前に立つ自分。もうひとりの自分。背を向けて行ってしまう。
それでも彼は、「まだまだ文字を書く」のだろうな。そしてわたしたちは、貪欲にそれを貪るんだ。

「「あいたい」だとか「あえない」だとか「ひつよう」だとか「いらない」だとか
 全部 消えてしまったのにな おなじような唄」

透ける

 壊れたパソコンを修理に持って行こうと思っていたのだけれど、あんまりに寒いので部屋から出られなかった。仕事を終えて、パソコンを取りにいったん帰宅して、通勤のための服はあんまり好きではないのでゴブラン織りのショートパンツに履き替えてストッキングだけでは寒いので足の裏専用のほっかいろを貼って通勤では使えない少し派手なマフラーを巻いてパソコンを鞄に詰め込んで、もう外へ出ればだいじょうぶだよ、その扉を開いて鍵をかけてバスに乗ってしまえばだいじょうぶだよ、というところまで準備を済ませたのだけれど結局、出かけなかった。外はあんまりに寒いので。
 玉ねぎとキャベツとトマトとほうれん草とベーコンのスープをたべて、豚肉のリエットをグリッシーニでこそぎながらたべて、ホットワインを飲んで、ウイスキーを飲んでいる。土曜日に交換してもらったエアコンが、あたしの後ろでしゅおおおと鳴いているよ。真っ白い無個性なエアコン、下側では礼儀正しい長方形の舌が規則正しく上下運動を繰り返す、吐き出される呼気があたしの部屋に充満する。エアコンが吐き出すのは二酸化炭素じゃないから、あたしは窒息しなくて済むんだよ。エアコンがにんげんじゃなくって、よかったなあ!部屋があったまるの、遅い気がするから、窓に貼るやつ買おうかな。ぺたぺた。エアコンを交換してもらうために片付けた部屋はとてもきれいで、床に物がないっていうのは、すごく健全な状態なんだな。お掃除ロボのマミさんもすぐに使えるし、これを維持しなくちゃだめだね。生活に真摯でありたいよ。

見に行ったライブとダンスのメモ

20121115thu 鹿鳴館伝説part2@TOKYO DOME CITY HALL
lynch.とPlastic Treeを観にいったのだけれど、仕事が終わってから行ったら一発目のlynch.に間に合わなくてすごく落ち込んだ。友だちと一緒に走って滑り込んだら葉月の最後のシャウトがちょっぴり聞こえた。せつない。
Creature Creatureでササブチが叩いているって知らなかったから、気がついたときはびっくりして一分くらいまじまじと見つめたまま静止してしまった。相変わらず独特の叩き方をするよ。あんなドラマー、わたし他に知らない。スクエアなリズム。切りつけるみたいに硬く痛い鋭い音。酒とはやっぱり叩き方が違って、よりタイトな叩き方をしていたように思います。
Plastic Treeはいつもどおりだったなあと思う。ついったで褒めているひとがたくさんいたので、もしかしたらよかったのかな、とも思うのだけれど、わたしの主観では、いつもどおりだったな。いつもよりちょっと悪いくらいだったかもしれない。セトリもふつうだった。好きな曲たくさんやったんだけどね。好きなぶん、あら捜しをしてしまうのかな。

20121123fri 勅使川原三郎「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」@東京芸術劇場プレイハウス
宮沢賢治にインスピレーションを受けた作品だというので、気になって見に行った。「ああ確かに賢治だなあ」と思える部分もあったのだけれど、わたしには難解すぎたので、半分くらい眠っていた。わたしはもっとわかりやすくて、ばかばかしいものが好きだな。東京芸術劇場はとってもきれいだし、お客さんも上品なひとたちが多かったので、緊張したよ。
見終わったあと、Kさんと一緒に「酒の一滴は血の一滴涙は心の汗」でお魚をたべて、終電を逃して、Kさんちに泊めてもらった。

20121124sat 後藤まりこ「299792458」@恵比寿リキッドルーム
ミドリが解散したリキッドという箱で後藤まりこがワンマンライブをやるということ。「どんぞこや」と言っていちど死んでしまった後藤まりこが「終わったとこから始めよう」と呟いて死体のままゆらりと立ち頭から血を流しながらセーラー服で踊っていなくなってしまった場所。死と希望が残された場所。そこで後藤まりこが「音楽」をやるということ。
ミドリは、後藤まりこという女の子がゆっくりと即死してゆく過程を記録したビデオ・フィルム。後藤まりこのソロは、音楽。どちらもあたしは好きだな。ん、ちがう、どちらも、という言い方はちょっと変だな、ミドリという時間を経た後藤まりこがやっている後藤まりこという音楽が、あたしは好きなんだな。単品の、その瞬間の「後藤まりこ」として差し出されても、あたしは好きだよ。あの音楽、あたし好きだ。でも、ミドリで死んでいった彼女を見ていたから、余計にその思いが強くなるんじゃないかな。でも音楽としての後藤まりこを聴くとき、その感情は夾雑物かもしれない。
持ち曲が単純に少ないので、この日のライブは一時間ちょっとで終わってしまった。OAもあったから全体尺はもっと長かったんだけど、OAはつまんなかったよ。最初、股間にサンプラーを入れて歌うおじさんがやって、けっこう面白かったのだけれど、似たようなことばかりをするので途中で飽きてしまった。そのあと、アートの木下さんがDJをやったのだけれど、単調なのでこれもすぐに飽きた。曲が少ないのはみんな知っているだろうし、一時間で終わっても変じゃないから、OAなくてもよかったんじゃないかな。ちょっと邪魔だったよ。木下が弾き語りとかやったら、みんなそれなりに盛り上がったろうに。
後藤まりこのソロは、わたし非常に好きで、これからもたくさん見たいなあと思っているのだけれど、どこが好きって、バンドが好きなんだな。バックバンドでも、サポートメンバーでもなくて、バンド。後藤まりこバンド。みんな後藤まりこのメロディやリズムを愛していて最大限まで自由に歌わせようとしていて、しかし同時に隙あらば自分の音を鳴らしまくってやろうという遊びも山ほど詰め込まれていて、聴いていて楽しいのね。しっちゃかめっちゃか、でもすっごいポップ。
最後のHARDCORE LIFEはしあわせそうに音を歌う彼女があんまりにも透明だったから、あたしはちょっと泣けちゃって笑ったよ。
「毎日、ちょっぴり、ハードコアです。だとしたら、ハートは枯れていくの?そしたら、あたしの頭めがけ、あなたの鉄槌を撃ち落としてね。」!

20121207fri lynch.「THE FATAL EXPERIENCE #2 -SEIZE THE MOMENT -」@恵比寿リキッドルーム
仕事をしてから行ったので、またしても遅刻。四十分遅れてリキッドに着く。lynch.のライブは基本的に一時間~一時間半と尺が短いので、四十分の遅刻はつまりライブが半分もしくは半分以上終わっているという意味になっちゃう。電車の中でテンションすっごい下がって、今日はもういいや見られればいいや後ろでのんびり見よう久しぶりだし、なんて思っていたのだけれど、入ったときやっていたEXPERIENCEきいたらなんかすぐにハイになっちゃって、入り口ちかく、上手の後ろの方で、勝手に暴れていた。後ろのほうでも暴れているひとは結構いて、相変わらずリンチのライブはリンチのライブだなあ、メジャーに行ってもひよってないなあ、むしろカッコよくなったなあ、と嬉しくなった。以前に日記で褒めたとおり、わたしは最新アルバムが非常に好きなので、それに入っている曲たちが聞けてよかった。それに、i'm sick b'cuz luv u、ALL THIS I'LL GIVE YOU、unknown lost a beauty、_pulse、discord number、って大好きな曲がたくさん聞けたのも楽しかった要因のひとつだなあ。
わたしはlynch.のリキッドルームライブは全部行っていて、過去二回もすごく楽しかったのだけれど、今回のライブはそれを塗り替えたと思う。開演四十分後に入ったのに。葉月が言っていたように、当たり前にリキッドできるようになったんだな、と実感して、ぞくぞくした。最初の頃の、箱に負けないようにあがいている姿、必死の姿、リベンジしてやるって勝手に宣言しちゃった若さ、達成して感極まっている声、そういったものたちも決して忘れたくない大切な思い出だけれど、そんな感傷を後ろにぶちやりながら駆け抜けていく音、いまの音、進行形の音つまりライブ、今回のライブ、はほんとうにいまこの瞬間のlynch.っていうバンドがカッコイイなあって心から思わせてくれて、よかった。むかしはlynch.の音ってけっこう散漫だったんだけど、わたしがライブに行けなかったこの一年の間に、すごくまとまっていてびっくりした。アルバムを聞いたときも思ったんだけど、あれはやっぱり、ミックスの問題じゃなくって、バンドの状態がそのまま出ていたんだな。
彼らは三月に、ZEPPでライブをやるらしい。出張が入っていなかったら、絶対に行こう。わたしはZEPPというライブハウスは好きじゃない、というか、はっきりと言えば嫌いなのだけれど、いまのlynch.ならすっごく楽しいライブをしてくれるんじゃないかなと思っている。箱に飲まれないでやれる気がする。なんだかlynch.はね、バンドが大きくなっていっても、ぜんぜん不安がない。むしろもっと大きくなってほしい。たくさんのひとに見てほしいし、大きなライブハウスで、ホールで、ライブを見たい。大きなホールの、後ろの席で、ぜんぜんステージが見えなくても、絶対に楽しい、そう思えるから。

灰色のミスト

 こっくりとしたクリーム色のまるっこいボタンを人差し指で押すと、りんごんりんごーんと気の抜けたおもちゃっぽい鐘の音がなる。ボタンは中央が緩やかにくぼんでいてあたしの人差し指がちょうどぴったりと納まるのであたしはこのボタンに指を置いていることが好きだ。だから家主がすぐに出てきてくれなくても全然苦じゃないしあたしはいつまでだってにこにこしながら待っていられる。死んじゃうまではね。イマジナリーフレンドのイマジナリールームを訪問する。出てきてよ。会いたいよ。大切に思うものを大切にしていたいよ。誰かを傷つけたい気持ちと、誰かに優しくしたい気持ちが、おんなしものだったら、それは希望になるかな。絶望になるかな。それとも当然過ぎて、なんにもならないのかな。

 壊れていたエアコンを、土曜日に取り替えてもらいます。
 寒くて手がかじかんでなにも出来なかった部屋、やっと快適な巣になる。
 丸まって眠りたいよ。

熱病から目を逸らし、靴をただじっと眺め

 横浜駅の近辺にはろくな飲食店がない、ということは横浜に住んでいて食べること飲むことが好きな人間ならばたいていは知っていることで、チェーン店ばかりの悪趣味で薄汚い街にはいつも辟易してしまう。ここはいいなあと思える店が非常に稀なので、行く店はだいたいいつも同じところになる。わたしはあまり、裏横には行かないので、使用するのは西口の店ばかりだ。裏横は気の利いた店が多いらしいのだけれど、東口にあるから、買い物帰りに寄るには少し不便だ。
 わたしがいつも利用するのは、西口からわりと近いところにある和食屋か海鮮居酒屋、もしくは地鶏屋のいずれかなのだけれど、それらはすべて女ひとりでずいずい入っていっても変な顔をされないので、重宝している。仕事で地方に出張するたびに思うのだけれど、田舎はほんとうに、女がひとりで生きていくには面倒くさいところだ。ひとりで酒を飲みに行くとたいてい変な顔をされるし、下手をすれば断られる。少し前に行った地方のバーは、それなりに洒落た外観や内装をしているのに、接客は場末のスナックより悪く、わたしが本を読んでいるにも関わらず延々と話しかけてくるし、最終的には「女の人がひとりで飲みに来るなんて変わってますね!」なんて邪気なく言ってきた。面倒くさいことこの上ない。
 今日ぼんやりと酒を飲んでいるのは上記の三軒のうちの一軒で、海鮮の店なのだけれど、そんなに高くないし、日本酒はそれなりにあるし、つかず離れずの接客で気に入っている。刺身がおいしいのは当然として、女ひとりで行くと明らかに軽んじられることってよくあるのだけれど、それもないし。
 飲みながらぼうと考えるのは、一昨日のことです。
 一昨日は、Oncenth Trioのライブを観に行こうと思って、池袋に行ったのでした。わたしは出不精だから、ひとつの用事があると(それは大抵、ライブであったり、展示であったりする)それに興味を持ってくれそうな友人に声をかけて、友人に会うというわたしの生存において必要不可欠な行為を同時に消化しようとする。岩見さんのベースを思い出しながら、わたしがわたしの脳内データベースに検索をかけたところ、二、三人の人物が引っかかりました。わたしが最終的にメールを送ったのは、その中でも、もう二、三年くらい連絡を取っていなかった高校時代の友人のTでした。彼女からは、一週間ちょっと前、Kさんと遊んでいるときに電話がかかってきて、いま友だちと遊んでいるからまた明日連絡するね、と言って電話を切った。そしてわたしの友人をしていてくれているという謎の忍耐強い集団(この場合の友人の定義はわたしの認識に起因します)に所属している方は「ああ……」と思うだろう通りにわたしは次の日に連絡などせず、一週間以上たった日にメールを送ったのでした。ほんとうに無精すぎる、これは改善しようと、心の底から思っている、二〇一三年の目標はこれです。他者の好意に甘え、あるいは依存して、でも君ならわかってくれるでしょう、なんて無責任な自己の押しつけに甘んじないで自分の感じている親愛や友情や愛情を社会的な枠組みに乗せて伝えようとする努力をしよう、しなければならない、そうでなければわたしの言う愛や友情などただの独善に過ぎない、それはつまり結局自己愛に過ぎない、そう思う。
 そんなことはわたし個人の問題なのでどうでもいいのだけれど、それで一昨日は彼女と、池袋のビストロで会った。その待ち合わせの時点でわたしは遅刻していてほんとうにどうしようもないくず丸だしなのだけれど、そのまま連れだって、駅から少し歩いた場所にあるビストロに行った。そしていくつかの雑談をして、話が盛り上がって、結局、oncenth Trioのライブには行かなかった。行きたかったのだけれど、でも、彼女との会話より勝る吸引力ではなかったから、その場に止まって、彼女と話続けた。もちろんOncenth Trioは大好きで、岩見さんのベースはほんとうに好きで、聞きたかったのだけれど、物事には「いずれまた似ている状態を体験できるもの」と「そのときにしか存在しないもの」の二種類が存在する。一昨日のOncenth Trioの演奏は聴いていないので、もしかしたら宇宙的な、どこまでもすばらしい完璧な一瞬しか存在しない奇跡的な場が形成されたのかもしれない、しかしそれはOncenth Trioという存在が継続している限りまたいつか同じ強度の演奏は、まったく同じものは決して観られないけれどもしかし同じ強度の演奏はいつか、聞けるのかもしれない、から、これから先の人生でこの演奏には決して出会えないけれども、それは確かにわたしの人生にとって、一瞬に存在して一瞬に即死する音楽、そのときに生まれる音楽、ライブというもの、に依存しているわたしの人生において圧倒的な損失であるのだけれどもしかし、そのとき彼女との対話はそのライブに勝った。勝ったの。だからわたしは彼女との対話を続けて、彼女の話を聞いて、同じくらいわたしも喋った。
 Tはわたしの高校生活においてかなり特殊な存在で、今でもその特殊さは継続されている。わたしはそれまで自分と同じくらい他者に対する執着(興味や関心ではない)の欠如した人間に会ったことがなかったので、Tとの出会いは衝撃的だった。そして他者への執着の希薄さによってわたしはTに対して興味を抱き、そして関係性の継続に執着した。なかなか面白い、矛盾した構造だよね。Tとは一年生のとき同じクラスだったのだけれど、Tは理系でわたしは文系であったため、二年にあがるときには必ずクラスの離れることがわかっていた。そしてクラスが離れれば彼女とはあっさりと疎遠になってしまうだろうな、それはいやだな、と考えたので、二年の始め、わたしはTの所属する部活に入った。つまりそれくらい必死に、関係性の維持を欲したということ。これはちょっと珍しいことだよ。
 彼女といていちばん楽だったのは、彼氏がどうだとか恋愛がどうだとか合コンがどうだとか、そういった話がいっさい話題に上らなかったことです。わたしは女子高に通っていたので、おそらく共学よりはその手の話題は少なかっただろうけれど、それでも耳にちらほら入ってくるそういった話題は鬱陶しかった。
 だからそういったことを語らない彼女との会話は楽しかった。関係性の維持のため、積極的な行動に出るほどに。でも、そこでそれ以上のことを考えることはなかった。どうしてわたしが彼女といると楽なのか、その在りように好感を抱くのか、ということは、考えたことがなかった。だから一昨日、彼女の口から、Aセクシャルという単語が出たときにはとても吃驚した。「きみはわたしがこういう人間だって知っていたから親しくしていたの?」と尋ねられたけれど、答えはノーだ。無意識的にはそうであったかもしれない。でも、わたしはそれを意識したことはなかった。そもそもわたしがその単語に出会ったのは、高校を卒業した後のことだったから。

 わたしの「性」に対する立ち位置は非常に曖昧で、恋愛が世界のすべてでありそれに立脚する世界がすべてと同値であると考える社会に馴染めず、苦労した。高校に入学する頃には既に、わたしは男性に対する嫌悪を、あるいは女性性に対する嫌悪を確立させており、おそらく一般的に見れば意味の分からない、異常な存在だった。当時のわたしは女性にも男性にも興味がなく、今でもそうなのだけれどしかし、それを表層に出すことにいっさい躊躇いを持たなかったという意味で確実に、いまより若かった。幼かった。それは美徳であり、同時に未熟を晒すことだった。いいとも悪いとも言えない。ただ、当時のわたしは、そうであった。ただそうであった。
 自分がAセクシャルでないかと考え出したのは就職してすぐのことで、その名称に出会うまでわたしは、非常に混乱していたし、「なににも帰属しない自分」についてひどく怯えていた。わたしはそれまでに、男性と女性、それぞれに好意を抱いたことがあったけれど、それは、その人にとって好感の持てる存在になりたいという以上の欲求は持てず、ゆえにつきあうという行為がよくわからなかった。行動を縛るという欲求がまるで持てないからだ。わたしは誰かを好きになることがあるし、その人に好かれたらうれしいけれど、そのひとから特別扱いを受けて他者より優先されたいとは思わない。
 わたしは、一般的に恋愛と定義される感情を保持できない人間だ。
 結局は、その結論に回帰する。

 他者に対して占有的な愛情を抱く、他者と性行為に及べる、この時点で、わたしはAセクシャルではない。わたしは自分の性質に名前をつけたくて、カテゴライズして欲しくて、ずっと自分の入れる箱を探していて、この箱を見つけたときは嬉しかったけれど、でもその箱に入っているひとたちの話を聞いているとやはり、わたしはここには入れない。しかしここに入れなければ、わたしの恋愛に対する嫌悪感は、わたし個人の持ち物として一生引きずりまわさなければならない。それはしんどいことだな、と思う。だからわたしは自分をAセクシャルだと思いたいけれど、考えれば考えるほどやっぱり違うから、結局堂々巡り。じゃあ異性愛者なのかな、同性愛者なのかな、両生愛者なのかな、無性愛者なのかな、と考えるけれど、どれも微妙に違って、「これだ!」とは思いがたい。わたしはもう、一年ほど前に、自分がどこに所属する人間なのか、自分の性とはなんなのか、という問題を、放棄した。誰かに説明しなくてはならないときは、もう面倒なので、男とも女とも寝たことあるからバイでいいよ、と思っている。恋愛に対する嫌悪感を引きずったまま。

 Tはお酒を飲まないので、わたしはひとりでワインを飲んでいた。ごはんをたべて、たくさん話した。池袋駅から少し歩いた場所にある小さなビストロは、居心地がよくて、おいしくて、邪魔にならない控えめな音量で流れている音楽も、好ましかった。店には十八時前には着いたのだけれど、わたしとTが店を出たのは、結局二十三時前のことだった。終電だから帰ろうか、と言って席を立った。Tは実際に自分が食事をした額より多くを出そうとしていたので、わたしはびっくりして、自分が飲んだお酒の値段を提示した。Tはその金額を見て、お酒ってこんなに高いんだねえ、と言っていた。損することもあるから飲まなくてもお酒の値段は知っていた方がいいよ!とわたしは言った。雨のぱつりぱつりと降る池袋の街を、さむいね、さむいね、と言い合いながら、歩いた。
 あらゆるセクシュアリティの中でもっとも親近感を覚えるのはAで、それでも自身をそうであると言い切ることはできなくて、わたしは未だに自分がなんなのかわからない。しかし近しい他者と会話をすることは、自己の内部にある問題を明確にしたり、情報を整理させたり、して、他者と同時に自己を発見する貴重な機会になる。ほんの少しだけ、自身の内部にある深い霧が薄れ、僅かに光を感じた。ほんとうに、楽しかったし、嬉しかった。すごく当たり前のことを言うけれど、友だちっていいものだよね。
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