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遅い朝とはどこまでが許されるのか、そして非人類

 金曜日に夜通し働いて、土曜日の朝にいったん帰宅してうだうだしてお昼にふたたび出勤して、という変な働き方をしたのでだいたい四十時間くらい起きてたんだけど、たとえば遊びのためにそれくらい起きていることは年に数回あってわたしはそれでも次の日お仕事がんばれるしこんなのぜんぜん大丈夫だよって思っていたら大丈夫じゃなかったみたいで土曜日の夜は二十二時前に眠りについた。そして日曜日の六時にぱっちりと目が覚めて「あっ二十二時前に眠って朝の六時にぱっちり目が覚めるなんて健康的!文化的!なんて人類!」と思ってうふふとうっとりしながら毛布に頬ずりしていたらいつのまにかふたたび眠りについていてだから日曜日ほんとうに目を覚ましてわたしがベッドから這い出てきたのは十三時のことでした。つまりわたしはほとんど十五時間ぶっ通しで眠っていた。健康的じゃないし、文化的じゃないし、人類じゃない。かなしい、わたし、真人間になれたと思ったのになれなかった、むなしい、だからお酒をのもう、と思ってお昼からお酒を飲んだ。お酒をがぶがぶのんだら眠たくなったので、日曜日も日付のかわらないうちに眠った。そして今日は朝の九時くらいに起きた。この時間はまだセーフかな、人類のうちにいれることができるかな、わたし人類かな、人類かも。と思ったので今日はまだお酒のんでないよ〜。ぶいぶい〜。
 きのうはもちろん、眠たかったから眠ったっていうのもあるんだけど、でもきのう早くに眠りについたいちばんの理由は腰が痛かったから。椅子に座っているとびっくりするくらい腰がいたくてどうしようわたし椅子に座ってられない、とベッドにうつ伏せにダイブして、明かりが眩しかったから明かりを消して、机の上でぴかぴか光っているあいまっくちゃんの輝きをぼんやりと眺めていたのだけれど、あいまっくちゃんはわたしが長いこと放置したせいで自ら眠りについてそしてあいまっくちゃんが眠ってしまったのならばこの部屋で起きているものはわたしただひとりそんなのさみしいねって言って眠った。眠りながら「この腰の痛みは覚えがあるぞ」ってもにょもにょ呟いた。そしてけさ起きたら案の定パンツが真っ赤になっていて、もちろんわたしはそれを予期して真っ赤を吸着してくれる紙を挟んで眠っていたわけだけれど、そこから漏れてパンツの一部が真っ赤になっていたから朝からうんざりしながら洗濯機をまわすよ。洗濯機をまわしている間にお風呂にも入って、すっきりして、洗濯物を干して、ブログを書く。今日はこれから出かけます。貴重な平日のお休みだから。今日は森美術館に行って、それから、寫眞館ゼラチンさんの個展の緋いゼラチンを見に行きます。
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スヌーピーとスリーピーはちがうよ

 朝っぱらから「目がうつろ」「死にそう」「病気の犬」などとひどい言われようのわたくしですが、みなさまはご機嫌いかがですか。わたしは目の下のベアーが絶好調です。目の下のベルトコンベアであればいろんな老廃物をどんどん外へトロントトロント運び去ってくだすってなんだかとってもお肌によさそう、不要なものは次から次へと排出されてそれはあらゆる要素を監視制御された完璧な世界デストピアそして鉄壁の皮膚。鉄、鉄、鉄分ミネラルビタミンいろんな栄養素をバランスよく摂取して健康な毎日を送りたいわたしは野菜中心の食生活を心がけたいけれど最近は外食ばっかりでだいたい肉をたべているし昨日も焼き鳥をたべたし砂肝とハツをもりもりたべて最後には薄く透明な脂の浮遊する金色のテールスープをごくごく飲んだりしてこれはコラーゲンこれはコラーゲンと言い聞かせても要するにそれは油でお肌の調子はもりもり悪いしつまりけっきょくは目の下にくまがあるだけでこんなくだらないことを考えているのは詰まるところねむたいからです。
 さいきんすっかり世の中はさむくなって、外出するときにはカーディガンや裏地のあるジャケットにコートを着ていたりするのですが、あのね、わたしすごく気に入っている、ジェーンマープルのゴブラン織りのロングコート持ってるのだけれど、大好きなのにびっくりするくらい似合わなくて世界を破滅に追い込みたいくらいの八つ当たりビッグハリケーンです。あのね~身長と気品と知性が足りないんだよ……。お洋服に支配されるだけならばともかくお洋服の美しさをわたしという存在が汚していますよパターンに陥るので、なんだかもうこのコートいやだ、いやだよ!かわいくて大っ好き!ふえーん!(増えない、の意)

知らない花の名前を

 桜井さんが文藝賞をもらうところを見物しに行ってきました。
 開始の十分前くらいにホテルについたんですけど、なんか賢そうなひとばっかりいるし、誰も知らないし、みんなスーツだし、どうしようこんなところにひとりぽっちでいたらわたし死ぬかもしれない、と思って藤野さんにメールしたら出会えたのでよかった。藤野さんとぺちゃくちゃ喋っていたらえらいひとたちが壇上ではなしたりするやつが始まって、桜井さんは花をもらったり喋ったりしていた。選考委員の方たちが、基本的にはよい評価をされていて、うわあい、と思った。藤野さんは、桜井さんが喋るとき、「こんなにひといっぱいいたら舌噛んで死んじゃうかもしれない」と心配をしていたけれど、桜井さんは受賞の言葉を喋っている最中に舌を噛んで死ぬようなパンクな振る舞いはしなかった。パンクじゃない男だ。ちなみにパンクである必要はとくにありません。
 藤野さんと一緒にお寿司をたべたり肉をたべたりしていたら、藤野さんが誘拐されていなくなってしまった。困ったな、と思ってひとりでぼえっとしていたら、イマムラさんに会えた。よかった。イマムラさんは相変わらずべつに変な髪型はしていなくて、お子さんの話を振ると猛烈にでれっとしていた。そして花嫁の父のように何度も感極まっていた。おもしろい。イマムラさんとイマムラさんの元同僚の方とお話をしていたら、誘拐されたはずの藤野さんも帰ってきた。誰かが身代金を払ったのかもしれない。
 好きな作家がたくさんいてあわあわしていたのだけれど、「好きです!サインください!」と言える根性とか行動力とかコミュニケーション能力とかそういうものがいろいろなくて、あとペンもなくて、なにもできずにすごすご帰ってきました。うわあ。でも、生きて動いているところを見られただけでも「ヒャー」という感じなのでがんばって生きていこうと思います。あ、でも、綿矢りさはいなかったよ。桜井さん、「動く綿矢りさが見られますよ」って言ってたのに。うそつき。ばーか。

 桜井さんは受賞の言葉で「あやはなにもわかっていないしなにも知らない。あやは世界に対して致命的なことをなにも言えない。問題は、あやが語れなかったことで、語られなかったことに対してどう思えるか、ということが小説における課題」とかそういうことを言っていた。うん、と思った。わたしは世界泥棒を読み終わったとき「あやちゃんはなんでもない子なんだな」と思って、なんでもなさを体現するもの、として存在したんだな、と思った。あやちゃんは徹底的になんでもなくて、だから最後、世界が盗まれてしまっても、あやちゃんだけはどこでもないところで存在し続けている(それを存在と定義するのであれば)。わたしはそういうものに対して、なにを思って、なにを語ることができるんだろう。

あしたのるつぼ

 雨が降っていないのに雨が降っているような気持ちで、そんなの変だ。
 帰ってきたので、Amazonに頼んで近くのコンビニに届けてもらったCDを受け取って、それからお風呂に入ったり洗濯をしたりしようと思ったのだけれどなにもしていない。ほんとうはちょっとだけ眠って十四時になる前にごはんをたべに行こうと思っていたのにそれもできていない。雨が降っていないのに雨が降っているような気持ちでいる。あんまり外に出たくない。でも今日は宴会だから、夜になったらぜったいに出るよ。その前に買い物に行きたいから、どうしよう、なんとかして雲をどかして、太陽のひかりを呼び込まないといけない。でもわたし、太陽って、わりかしきらいだな。
 どんどんすり減っていって、新しくなくなってしまって、くりかえされるようになって、あたしは反復の力を信じているけれど、たぶんそれだけじゃだめなんじゃないかな。だってくりかえしてゆくたびに、なにかが削ぎ落とされて、たとえばそうやって鋭くなってゆく美しいものもきっと世界のどこかには在りようとして存在していてでも、あたしはそれじゃないから。あたしはどんどん新しいものを冠ったり履いたりしてゆかないとどうにも立ち行かなくて、だって削ぎ落とされてしまったら、エンプティ、からっぽのなんにもないが見えてしまうだけだよ。あたしはあたしの形を知っているから、あたしの形によってあたしがあたしの好きな人に軽蔑されたりすることが、とてもこわいしいやだ、でも、仕様がないよねとしか思えない。もちろんあたしはあたしの形、誰かを不快にさせたり、許せない気持ちを抱かせたり、殺してやりたいというほどの憎しみを抱かせたりする形をなんとかしてまともにしたい、まともにしたいと強く欲求しているけれど、だからってそれがどうにかなるものではない。あるものの形は変えられるけれど、ないものの形は変えられないね。

ぐるぐるめぐる

 すっげえしょうがのにおいする。誰かがぜったいにしょうが湯飲んでる。そうでなければこんなにしょうがのにおいのするわけがない。でもわたしはフロアを歩き回ってさりげなく皆のマグを覗き込み半透明の白とも黄色とも言えないふしぎな色合いの液体を飲んでいるひとがいないか調査することなんてしないし、実際そんなことはどうでもよろしい。いま問題にしなければならないのは煙草もガムも切れてしまったというやるせない現実だけで、つまりわたしの未来は暗い。暗黒魔宮である。このコーヒーと同じくらい黒い。つまり、わたしの未来はコーヒーである。コーヒー的な未来は飲み干すと目の覚める思い、舌に走る苦味が心地よく、ふわりと残る酸味と芳ばしい香りが爽やかな気持ちをもたらしてくれる。ということはわたしの未来はそう捨てたものじゃないじゃ~ん。やった~。
 ところでガムがなくなってしまったのはわたしがガムをひたすらに噛んだからなのだけれど、そうやってわたしに噛まれ続け消滅する未来を憎んだのか、すっかりなくなってしまう前にガムはわたしに生命をとした罠を仕掛けていった。その罠にまんまとはまってしまったわたしの話をしよう。おなかが緩くなってしまったというのに懲りもせずにガムを延々と噛んでいたら、顎が筋肉痛になった。初めての経験だ。こわい。上の奥歯の、さらにその奥側、歯茎が上と下にわかれるあたり、その周囲にある筋肉、それが痛いです。あくびをしたり、なにか固いものを噛んだりすると、あじりあじりと痛む。こんな攻撃をくわえられるなんて、予想だにしていなかった、死角からの不意打ちの急襲、そんなのあんまりだ。リカルデント、信じていたのに。

 *

 桜井晴也「世界泥棒」を読み終えた。
 妹が排出されて窓から投げ出されてしまうことがかなしかった。感想はこの一文に尽きる。ねっとりと湿って内臓のようにかなしいこの小説の世界にあって、途中まで、妹は唯一のユーモアであり、キャラクターだった。お姉ちゃん、将来、充電器の守り神になりなよ、と言ったり、きゅうりで自宅の庭の中空から宇宙人を釣ろうとしたり、しゅうう、とうなってたまねぎを思い切り投げつけてきたりする妹は、決闘や、殺人事件や、幽霊などといっさい無関係で、ただ語り手の妹であるというだけの存在であり続けた。わたしはそれが気に入っていたし、だから、妹が出てくるシーンになると、詰めていた息を吐くことができたり、こめかみをゆるめたりすることができた。でも途中から、それはできなくなった。それは、妹が、ロケット弾に祈る少女の話をした、その瞬間からだった。
 わたしは最初、この小説を、「わたし」のなかに潜って読んでいた。わたしはたいてい、一人称で書かれている小説を読むときは、その一人称の主体に潜って読むのだけれど、この小説は途中から、それができなくなった。それは、柊くんの口から、真山くんがわたし=あやちゃんに膝枕をしている光景を見て意味ちゃんが微笑んだ、という場面が語られてからだ。それまでこの世界は徹頭徹尾「わたし」の視点で描写されて、ときおり妹が「お姉ちゃんは美しいんだよ」と言うだけで、「わたし」がいったいなんなのかということは語られない。それが初めて語られるのがこのシーンで、意味ちゃんの視線をとおして語られる真山くんとあやちゃんの美しさは、ひとつの他者のあり方、尊さとして発見され、そこでわたしは、あやちゃんと乖離する。十六日の日記でわたしは「意味ちゃんがあやちゃんの前で泣くところまで読んだ」と書いたのだけれど、これは最初、「意味ちゃんがわたしの前で泣くところまで読んだ」という文章だった。でもどうしても違和感が抜けなくて、その部分は投稿前に書き換えられた。もうあやちゃんはわたしではなくなっていた。柊くんあるいは意味ちゃんが語るあやちゃんの姿は、この小説の中で初めて、他者性を帯びた存在として描かれた。意味ちゃんの語るあやちゃんの姿はとても美しくて、それは単に「美しい」とか「眩しいくらいのもの」という表現だけではよくわからないその光景の絶対さ、聖域のような尊さ、を伝える。そしてそれはおそらく、ほんとうは意味ちゃんの視点ではなく、妹の視点なのだった。
 あやちゃんがわたしから乖離して、わたし=読み手がすっかりこの小説の外側になってしまったとき、もうひとつの変化が起こる。それは、同じように小説の外側にいたはずの妹の、小説に対する参画だった。さっき書いたように、これまで、妹はずっと、基本的には、ただ語り手の妹であるというだけの存在に過ぎなかった。ときおりおもしろいことを言ったりやったりして、読者をくすりと笑わせる、唯一のユーモアだった。でも、意味ちゃんと一緒にあやちゃんが隣の国から帰ってきたあと、その無関係性は書き換えられる。妹はあやちゃんに、ロケット弾に祈る少女の話をする。それはとても象徴的な話で、たとえば作中で何度も繰り返される、「美しさ」についての、とても重要な話だった。わたしはなんで妹がこの話をするのかよくわからなくて、だってこれまでの文脈からいけば、こういった話はたぶん真山くんがすることがふさわしいと思うのに、どうして妹がこんな話をするのだろうと思った。その疑問を持ったまま、小説を読み進めていけば、その回答はあっさりと与えられた。つまり、真山くんも意味ちゃんも柊くんも、結局は妹だった。あやちゃんただひとりのために、世界はもうほとんどすべて、妹だった。それはとても暴力的な愛情で、そんなのほとんど気が狂っていた。そう、だから、妹はほとんど気が狂っていた。最初からそう思って読み返すと、妹の、おもしろい言葉や行動は、一気にかなしくなってしまった。そしてすべての他者を喪失することでこの小説は終わる。小説の中には、誰もいなくなる。
 わたしにとってこの話は「ブギーポップ」であり「まどかマギカ」であるのだけれど、これをきちんと書くと面倒なのでその印象があったよということだけ書いとく。わたしはふたつとも大好き。

 *

「誰だって人生にひとつだけなら傑作小説を書くことができる」という言葉があるけれど、わたしはそれを信用しない。その言葉には、どんな人間でも、人生のすべてを賭ければ傑作の小説を書くことができるほどに人生とは有意義なものである、とかそういう意味が含まれていると思う、でもわたしはそう思わない。世界中の誰もが、傑作の小説を書けるくらいに、ゆたかな人生を送っているなんて、わたしは思わない。すべての人生に、尊ぶに値するゆたかさがあるなんて、わたしは信じない。なにも考えずに、ただだくだくと、時間や尿や脳みそを垂れ流して、なんの価値もない虫として生きている人間がたくさんいることを、わたしは知っている。そういう人間たちは、小説など書かないし、書けないし、そもそも小説を必要とすらしていない。わたしはそういった人間たちを心の底から憎むし、軽蔑している。
 だから自分のことも嫌いだ。

選ばれない未来のための

 わたしたちの目の前には無数の可能性が広がっている、と言うとき、それは同時に、ひとつの可能性を選ぶことによってわたしたちは他の無数の可能性を殺している、と言うこともできる。選ばれない未来のためのやさしいパヴァーヌが演奏されたとしても、死んだ未来には、音楽にあわせて踊る子どもはいないし、わたしたちが選ばなかったあらゆるものたちは、すべて均一に、のっぺりとして、どこまでもどこまでも広がってゆくばかりで、見通すことはできない。

 *

行ったライブの感想の続き。

■20130813 宇宙戦隊NOIZ「KING of ONEMAN ☆ SHOW 集 SHOW Vol.8」@新横浜NEW SIDE BEACH!!
今日は知らないライブハウスだな~と思いながら友だちに着いていったら、旧シンフォだった。ここよく名前かわるよね。なんでだろう。
NOIZはとても久しぶりで、この日は変身がなかったし、いきなりふりのある曲ばかりをやったので、「えっNOIZってこんなんだったっけ……?」と戸惑ったのだけれど、バトルカプセルあたりから「ああ、そうそう、こんな感じ」となって、楽しめた。でも曲数がすくなかったので、物足りなかった。ライブ後に縁日があって、メンバーと話せたり、私物をもらえたりしたのだけれど、わたしはそういうのは別にいいので、もっと曲をやってほしかった。でも友だちが楽しそうだったから、いいかな。わたしは金魚すくいをやって、呼太郎くんのポラをもらいました。友だちがほしいと言うので、あげた。そのあとは横浜まで行ってお酒を飲んで、解散。横浜のライブはゆっくりできるからいいなあ。みんなもっと横浜でライブをやろう。

■20130822 people in the box「空から降ってくるvol.5」@メルパルクホール
twitterでフォローしているひとたちからおすすめしてもらった「Ghost Apple」と「Family Record」を聴いてから行きました。とても楽しかった。ここ最近「不発……」と思うライブをよく引いていたので、この日、はじめて見るバンドを、こころから楽しめたことが嬉しかったし、しあわせだと思った。前半はチェリストの徳澤青弦さんを加えてのアコースティック、後半はバンド演奏、という形式で、前半と後半のあいだにはすごくくだらなくておもしろい映像が挟まっていた。前半はいろいろな試みがおもしろく、後半はぐるぐる上昇していくような、意識をかきまわすような音が気持ちよかった。個人的には後半の方が好み。前半はもっと洗練させることができると思う。
あと、このバンド、ドラムがドストライクで好みです。

■20130823 lynch.@渋谷AX
「あがったの?」と訊かれるくらい最近行けていなかったのですが、あがってないよ!好きだよリンチ!ということで久しぶりに行ってきました。ずーっと頭振ってた。楽しくて記憶がない。アイムシック始まりというだけでテンションあがりきってしまって、もうなにも覚えていない。全力で暴れて燃え尽きました。た、たのしい……。

■20130920 Plastic Tree「瞳孔乱反射」@横浜BLITZ
初日的ライブだろうからまったりしよう、と思っていたら、とても楽しかったライブ。まず、セットリストがいいし、今回主軸となっているシングル「瞳孔」に収録されている三曲が、ライブの音としてとてもきれいに消化されていた。プラツリはたいてい、新曲お披露目は「うんうんこれからの進化がたのしみだな~」といった感じになるのだけれど、瞳孔の三曲は、もちろんこれからの進化は楽しみなのだけれど、それは現状物足りないからという意味ではまったくなくて、とても純粋でフラットな期待で、だからすごく嬉しかった。
個人的に今回セットリストに入るんじゃないかな~と思っていた斜陽がきけて満足。今回のセトリはほんとうに好き。暗転始まりってすっごくいいし、1999は演奏時に流される映像がとても好きで(わたしはプライブで使用される映像の八割くらいはダッサいなと思っているのでこれはめずらしいこと)、そしてその映像を初めて見たのは2010年の横浜ブリッツ(このライブハウスはもうすぐなくなります)だったなあと思うと感慨深い。讃美歌もきけて嬉しかった。
あと、中山さんの「おまえらの大好きな俺でいてやるよ」発言で死んだ。ぼ、ぼくらのイデアなかやまあきら……。

■20130922 tobaccojuice@新代田LIVE HOUSE FEVER
桜井さんと藤野さんと一緒に行った。下北沢か新代田で待ち合わせましょう、と桜井さんは言っていて、新代田は行ったことないからぜんぜんわかんないな、下北沢がいいな、と思っていたら、「新代田には道しかないので下北沢で待ち合わせをしましょう」というメールがきた。電柱くらいあるんじゃないのと思った。思ったのでそう返信した。
藤野さんに会うのはいつぞやの難聴のパールの日以来で、わーどうしよう、どうしようわーとなった。藤野さんは美少女なので、美少女に会うからには多少まともなかっこうをしないとなあ、と困っていたのだけれど、どうしよう、どうしようと悩んだすえ、けっきょく無難になった。ひさしぶりに会った藤野さんは、しかし、美少女から美女に変貌を遂げていて、どうしようかと思った。どうしよう。あんまりにもどうしようとなっていたせいで、桜井さんにも藤野さんにも沖縄のおみやげを買ってきていたのに、持っていくのを忘れた。
お茶をして、というかお酒を飲んで、焼き鳥をたべて、ライブハウスに行った。tobaccojuiceは好きなブロガーさんが好きだと書いていたので興味を持ったバンドで、何曲かyoutubeで聴いたかぎりでは好きそうだなと思っていたのだけれど、ライブをみていたら「うん好みとちがう」となったので、わたしは途中で抜け出して、下北沢のグランバザールを物色したりしていた。父さん母さんありがとう、とか歌ってしまうバンドをみると、わたしはそわそわしたり、全身がかゆくなったりしてしまうのだ。グランバザールでジェーンマープルの服を眺めていたら、全身のかゆみはおさまった。グランバザール、わたしが行く三十分前には由里葉さんがいたらしく、ニアミスだった。
そのあと桜井さんと藤野さんとふたたび合流して、ごはんをたべて、解散した。彼らは「からいものがたべたい」と言っていたのに、ちっともからくないものをたべていて、意味がわからなかった。あのふたりは意味がわかりません。

■20130923 ニッポン彷徨の夏@Jicco
大森靖子を船の上で見られるよ、というので、友だちを誘って、一緒に観に行った。Jiccoは近未来的な形をした船で、松本零士がデザインしたらしく、とてもかっこうよかった。ふだんはヒミコという定期便で、週末の夜だけ東京湾に浮かぶバーとして運営されているらしい。想像していたよりもずっと雰囲気がよくて、びっくりした。
船は浜松町とお台場をひたすらに往復していた。一往復目はなんのライブもなくて、ただ夜景をふんわり眺めたり、お酒を飲んだり、友だちと一緒に写真を撮ったりした(風景の)。レインボーブリッジや、フジテレビが見えた。二往復目と、三往復目で、大森さんが歌った。「きらいきらいきらきら」「もう好きじゃなくなったのかな」という歌がすごくかなしくて、好きだと思った。そして大森さんが歌っているとき、わたしはひたすらに大森さんを見ていて、夜景をちっとも見ないので、これは船で見る意味あんまりないな……と思った。
大森さんのあとに京都からきたバンドが演奏することになっていて、わたしはそちらも見たかったのだけれど、Jiccoは食事のメニューがまったくなくて、あまりにもおなかがすいたので、大森さんが終わってからそのまま食事に行った。さんまのお刺身がたべられるお店を選んで行ったはずなのに、さんまのお刺身はもう終わっていて、かなしかった。さんまのお刺身のかわりに、お好み焼きをたべた。おいしかった。

■20130930 my bloody valentine -World Premium Live- with 相対性理論@東京国際フォーラム
初めてのマイブラにして初めての外タレでした。あと、メンバーの入れ替えがあってから初めて見る相対性理論でした。
理論は以前よりもライブはよくなっていて、でも、ドラムがふたりいる意味がさっぱり理解できない音作りで、片方はシンセに集中すればいいのに、と思ったり、CDを聴いたときも思ったのだけれど、やくしまるえつこはとても人間的な歌いかたをするようになってきていて、それはべつによいのだけれど、これまでの無機的なスタイルと現在のスタイルをふらふらといったりきたりするので、どうにも印象が中途半端。一曲目のイントロと、ラスト二曲はいいなあと思ったのだけれど、ほかはいまひとつパッとしなかった。やっぱり理論に国フォは大きすぎるよ。どうして今回、理論が前座になったんだろう。ふさわしいバンド、ほかにももっといるよね、と思ってしまった。
マイブラはめちゃくちゃよかった。初めてで感動して印象盛りすぎているのかもしれないけれど、でも、すごくすごくよかった。圧倒的な轟音、音の洪水、それはその空間に存在するすべてを飲み込むように暴力的な質量でわたしたちを包み込んで、それなのに、けっしてやかましくはないのだった。あんなばかみたいにでかい音の塊を、きれいに聴かせていた。あんな広いホールで、あんなでかい、歪みきった音を鳴らしているのに、音の粒がきちんと判別できるんだよ。すごかった。あまりにもすごいと思ったので、見終わったあと、由比良さんに「すごかった」というメールを送った。「来てたの知らなかった」という返信が来たので、また来たら誘おうと思った。

■20131004 Plastic Tree「瞳孔乱反射」@ZEPP TOKYO
すっきりしないファイナルでした。上手の前方にいて途中で抜けることがむずかしかったから最後までいたけれど、二階席とか、フロア後方とかにいたら、たぶん途中で帰っていたと思う。個人的には、ウツセミファイナルぶりに、アキラのギターにものすごいもやもや感を覚えたライブでした。ギターいいな、と思ったの、アンドロくらいだと思う。暴れ曲がつづくあたり、わたしぜんぜん楽しくなくて、盛り上がっているひとたちにもみくちゃにされながら、みんなほんとうに楽しいの?ほんとうにこの音で楽しいの?って呆然としていた。
この日は正くんが抜群にかっこうよかったので、わたしはベースばかり聴いていた。いつもより重心が低くて、ごりごりしていて、太くてリズミカルな音だった。ケンケンの演奏はいつもより荒くて、ミスが目立つところもあって、でもこれまでよりもずっと近くで聴こえる、前に出てくる音になっていて、嬉しかった。

均一なひらぺったさ

 視界にはいるだけで吐き気をもよおすほど嫌いな人なんて作るべきではなくて、だってそれは完全なイコールで生きづらさにつながるのだから、吐き気をもよおすほど嫌いになる前に、自分の感情をセーブしたり、よいところ探しをしたり、物理的に接触をさけたり、そういうことをしなくちゃならない。でもわたしはそれを怠って、いまはもう、視界にはいるだけで吐き気をもよおすほどに、彼女のことが嫌いになって、だから面倒だなあ、生きることは面倒だよ。あなたのここが嫌い、ここが嫌い、とわたしはパワーポイントでスライドをつくってみんなの前で発表できる。それくらい子どもじみた絶対さで、わたしはあなたのことが嫌い。
 ドビュッシーを延々ときいている。アラベスク第一番とか、夢とか、沈める寺とか。ドビュッシーの曲を延々ときいていると、自分がどんどん曖昧になって、波打って拡散して、消滅するように世界と同化して、それでも意識はどこかに残っているような、そういった、よくわからない不安にも似た安心に満たされて、どうしたらいいかわからなくなる。
「世界泥棒」は、隣の国で、百瀬くんと柊くんが先に帰って、意味ちゃんがあやちゃんの前で泣くところまで読んだ。真山くんとあやちゃんが汽車に乗って遠い国へ行くシーンが、とてもきれいで、とてもつらい。

 *

行ったライブの感想。たくさんあるので途中まで。

■20130202 Plastic tree「インク」@松下IMPホール
■20130203 Plastic tree「インク」@松下IMPホール
去年出たアルバム「インク」が好きで好きでテンションがあがりきってしまったため、インクツアーは行ける日程ぜんぶ行くぞーと、三カ所遠征しました。アルバムツアーって基本的にあんまり好きじゃないので、これは青天の霹靂と言っていいくらいのできごと。
今回のツアーはすべて2days、そして連休最終日のライブは開演が16:00と遠征にやさしい日程だったので、週末のライブを回ることにしました。
大阪はまさかの自由席への戸惑いと、音響がいまひとつだったなーという印象が残ってる。演奏的にはまだ硬かったです。いかにもツアーの始めの方って感じだった。各曲が丁寧に演奏されていた。
嬉しかったことは、インク曲以外に、crackpotと星座づくりが演奏されたこと。特にcrackpotは、個人的にとても特別な曲だから。
鬼に豆を投げられる、という謎の節分を経験したことも、よい思い出です。

■20130210 Plastic tree「インク」@福岡DRUM LOGS
正くんがアンプ蹴った!えーんえーんこわいよう……。
いつもふんわりほよよ~としている正くんが、度重なるアンプトラブルでてふてふ終了後にアンプを蹴っとばして(ほんとうに蹴ったのか蹴るまねをしただけなのかはよくわかんない。上手の民なので)去っていってしまってかなしくなりました。すぐ帰ってきたけど。
後日、これは下手の住人はさぞや苦しかったろうと感想を探したら、「正くんは怒っていてもおかわいらしい」という非常に前向きな感想に行き当たり、正海月すげえ……と震撼いたしました。
演奏は全体的にぐだぐだ。うーん、といった感じ。
あと、博多さいこう。博多の夜さいこう。ちょう楽しい。

■20130211 Plastic tree「インク」@福岡DRUM LOGS
この日はよい演奏が聴けてよかったです。なかちゃんが「普通のライブできてよかった」などと言っていた。正くんが「昨日は久しぶりにきれちゃったよ~」とほよほよしていらしたので、おお、通常営業ほよ様……!と拝んでおきました。

■20130217 Plastic tree「インク」@仙台Junk Box
わたしが行った中では、いちばんよいライブでした。すばらしかった。アンコールでスライドやったよ。この日は大正谷さんが来てたみたい。

■20130307 Plastic tree「インク」@横須賀芸術劇場
最前で見られるという幸運があったのですが、メンバー近すぎて音に集中できなかった……。わたしは最前向きでないということがわかりました。でも普段は見られないいろいろがよく見えて、とても貴重な体験でした。ありがとうございました。
横須賀芸術劇場はプラの持っている雰囲気ととても相性がよいので、ぜひまたやってほしいです。年度末じゃない休日にやろう。絶対に埋まるから。

■20130310 「TOKYO EARTHDOM 1」@新大久保EARTH DOM
桜井さんと新大久保で待ち合わせた。電車に乗っているとき、桜井さんから「十分くらい遅刻します」というメールがきて、わたしは五分程度の遅刻だったので、十分の遅刻なんてとんでもないな、人を待たせるなんて許されないことだ、ケツバットだ!といきりたって改札を出たらもうすでに桜井さんは「ぼくはあらゆるすべての事象が顕現する前からここに立っていました」という顔でそこに立っていた。ひとを油断させるためにうそをついて巧妙な罠をしかけるなんて狡猾。えーん。遅刻してごめんなさい。サイゼリヤでごはんをたべて、かわいいねこのコースターをもらったので、かわいいねこのコースターだよ、と思った。それからアースダムを探して、アースダムに入って、アースダムで初めてのピンクトカレフを聴いた。かっこよかった。最初は後ろでゆっくり聴いていようと思ったのに、サウンドチェックの音を聴いていたら、うずうずして前に行っちゃった。この日聴いた最終公演が忘れられない。「愚かな過去もステージの上、誰かが笑ってくれるのさ」。
あと、初うみのて。気持ち悪くてかっこよかった。彼らはまた見に行きたい。

■20130311 Plastic tree「裏インク」@東京キネマ倶楽部
一週間公演、わーい。土日は取れなかったので、平日だけ行きました。
インクツアー終了からさほど時間も経っていなかったので、「オゥ……初日……」というライブではなかろうと予想していたのですが、ものの見事に裏切ってくれて、たいへん初日らしい初日でした。インクツアーの緊張感どこいった。

■20130312 Plastic tree「裏インク」@東京キネマ倶楽部
この日もゆるかった。
この「キネマ倶楽部一週間公演裏インク」は日替わりで毎日違う色をテーマにしていて、初日は赤、二日目はオレンジでした。オレンジの日であるこの日は、斜陽が聴けたっていうのが嬉しかったことかなあ。あとはゆるゆる。

■20130313 Plastic tree「裏インク」@東京キネマ倶楽部
この日は黄色の日。唯一ひとり参戦ではなく友だちを連れていった日だったのに、遅刻してテンションだだ下がり。しかもその友だちのチケットもわたしが持ってたんだよ……。プライブ初めての友だちだったのに……。
裏インクを彼女の初めてのライブに選んだことを、後悔したライブでした。こういうゆるさもプラの持ち味のひとつではあるのだけれど、わたしが好きなのは、張りつめて緊張感に満ちた、知らないどこかへと投げ出されるような、冷たくて奇妙な彼らの世界なので。
裏インク、ゆるいよ!

■20130314 Plastic tree「裏インク」@東京キネマ倶楽部
緑の日。
この日はものすごくよかった。演奏が素晴らしかった。わたしが行った中では、間違いなくベストアクトでした。

■20130315 Plastic tree「裏インク」@東京キネマ倶楽部
青の日。
青はPlastic Treeを表す色と言っていいくらい象徴的な色なのでけっこう期待していたのですが、演奏的なクオリティは前日の方が上でした。ブルーバック聴けて嬉しかったな。

■20130427 ARABAKI 2013
初めてのフェスだったよ。友だちが行くって言うので、じゃあわたしも行くって着いていって、一日目だけ参加しました。
忘れらんねえよとZAZEN BOYSとTHE NOVEMBERSとEGO-WRAPPIN'とセッション(ヤマジが出てた)を観ました。すっげー楽しかった。めちゃめちゃ楽しかった。特にエゴは大好きなのにこれまで一回も観たことがないバンドだったから、とても感動した。冷たく澄んだ空気の中で聴く、水中の光の、あの気持ちよさ!
でも疲れました。
フェスっていう空間が好きじゃなかったら、わざわざ行くもんじゃないなあ、というのが感想。わたしはインドアな人間なので、すごく楽しかったけれどそれと同じくらい消耗したので、もう行かなくてもいいなあ。チケット高いし、移動に時間かかるし。それぞれのワンマンやイベントを普通に観に行った方がいいや。

■20130610 凡庸な逆回転其の四十四@渋谷O-EAST
ものすごく久しぶりに行った凡庸。とても楽しかった。有村さん、ネジでレギュラーになっている曲は声域が合う、というか、声域が合う曲を選んでいるのだろうけれど、とてもいいんだよなあ。彼は女性の昭和歌謡を歌わせると一品ですよ、本当に。

■20130613 白石才三Duo Tour@横浜grassroots
岩見さんを観に行った日ですね。この日は観たいライブが他に二本あって、当日まで悩んでいたのですが、結局近場を取りました。すごく楽しくて、終始きゃっきゃしていた印象。開演前にgrassrootsに入って、酒を飲み煙草を吸い待っていたら、向かいのボックス席に岩見さんがいて、ぼんやりとそれを眺めていました。
スタンダードもオリジナルもやって、とても楽しい時間でした。ピンプの元晴さんいてびっくりした。二十四時頃に振る舞われた、アスパラのおいしさたるや。わたし、けっこう仕事で地方に行きますし、食い意地が張っているのでいろいろ食べているつもりではあるのですが、あんなに甘くておいしいアスパラは食べたことない。ちょっとした感動でした。ジャズライブに行ってたべるアスパラのおいしさ……。
終バスの時間が迫ってきたので、ラストワンセッションありそうなところで帰ったのですが、あれは最後までいたかった。
ただ、こういう小さなライブの、とてもクローズドな空気は、わたしやっぱり、苦手だ。

■20130629 THE NOVEMBERS@恵比寿The Garden Hall
ノーベンバーズのワンマンを初めて観た日でした。
彼らのライブをワンマンで観るのは、この日が初めて。気持ちのいいライブではあったのですが、「うん?その程度?」と思える演奏がちらほら。もうちょっとポテンシャルあるでしょう、という気持ちに。これまでイベントで観たノーベンバーズには、聴衆を自分たちの領域まで無理矢理にでも引きずり込む吸引力が感じられたのに、このライブではそれが感じられませんでした。MCを聴いていると、このライブハウスに対する思い入れや、ワンマンライブに対する熱量が感じられたのですが、音ではそれがわからなかった。単純に技術力不足なのかな、と思える部分も多々。にわかファンであるわたしにとっては、物足りない部分の多いライブでした。でも、ずっと彼らを好きでいた人にとっては、とても素晴らしいライブだったのではないのかな、とも思います。わたしは彼らのパーソナリティを知らないし、これからも知るつもりがないのだけれど、彼らが自分たちの過去、あるいは愛してきたもの、それらに対して非常に誠実であることはとてもよく伝わりました。

■20130729 「凡庸な逆回転番外編~アコースティック三~」@下北沢GARDEN
people in the boxの波多野さんを初めて見た日。ここでの弾き語りに惹かれて、八月二十二日の「空から降ってくる」に行くことを決めました。ほんとうにすばらしかった。
ほかはどうしようもなかったので割愛。

■20130808 「the LIQUEDROOM 9th ANNIVERSARY presents "UNDER THE INFLUENCE」@恵比寿LIQUEDROOOM
まりこ観に行ったんですが、物足りないライブでした。

■20130811 Plastic Tree「タイトルはいずれ考える」@新宿LOFT
FC限定で各メンバープロデュースのライブをやるよ、という話をきいて、更新せずに抜けたFCに再び加入したのが六月。正くんプロデュースは外れたのですが(だってチェルホだよ!プラでチェルホって……。でも雰囲気はすごく合うと思う)アキラプロデュースは当たったよ!本命当たってほんとうに嬉しかった神さま仏さま中さまありがとう……。「明ならロフト選ぶでしょ~」と予想していたら会場はやっぱりロフトで、好きなライブハウスで好きなバンドを見られることはとてもしあわせなことだなあ。
至れり尽くせりおもてなし要素満載のライブで、あのときあの場所にいられてほんとうによかったと思いました。

サイレンのない

 後輩がいつもお茶を入れているのは外国のミネラルウォーターの濃い青色の瓶で、その中を満たすルイボスティーは濃い青に塗り潰されて妙に毒々しい群青、そしてその毒々しい群青に浮かぶティーパックは濃い青のフィルタのせいで外側から見れば正体不明の物体、不審な影、なんだかイモリやヘビやカエルが浮かんでいるのではないでしょうかと思わせる色合いであんまりにもあやしい、ルックス的には完全に魔女の劇薬です。きみよ、どうしてタンブラーを使わないのですか。

 *

 データのよくわからん部分の確認を取るため資料作成者のもとへ足を運んだら、簡単な二、三の事柄の回答を求めただけなのでものの五分もあれば事足りるはずが、お茶を出され、ハッピーターンを出され、チョコレートを出され、栃木のるるぶまで出され、やいのやいのと那須高原やアルパカについて談義することになり、三十分はそこでだらだらし、最終的にはおみやげとしてかぼすをいただいて帰ることと相成りまして、はたしてわたしはいったいなにをしに行ったのだったかしらん、と小首を傾げること数度、そういえばデータの確認をしに行ったのだったわいちばん最初にそれをしたのだったわでもその後のお茶やハッピーターンやチョコレートや栃木のるるぶや那須高原やアルパカそしてかぼすの印象で本来の目的を果たしたという達成感はすっかりと塗り潰され、わたしはもうすっかりとかぼすであり、仕事とはいったいなんであったかしら、労働とはいったいなんであったのかしらん、とやはり小首を傾げるばかりです。いや忙しければ先方になにを出されてもわたしはさくさく用件を済ませ労働へと復帰するのだけれどこんなことをしているのは要するに今現在わたしはとても暇なのであって、そりゃ日記も書きますわ、といった具合。わたしのいるセクションが忙しくなるのはもうすこしあとで、たぶんあと数時間後なのだけれど、ややもすれば早まるやも知れず、もしかしたら遅まるやも知れず、だから休もうにも休めず、ただかぼすを握りしめるばかりなのね。てゆうかなんでかぼすなんだろう。わたしはこのかぼすをどうすればよいのだろう。かぼすを檸檬に見立てて梶井基次郎ごっこでもしようかな、でもあの話は檸檬だから成立するのであって、かぼすではあんまりにも間抜けで、しゅるしゅるしちゃうよ。

 *

 ファンデーションがきれかかっていることに今朝唐突に気がついて、毎朝必ず使用するものなのに、だから日々緩やかにそれが減っていくさまをわたしは眺めていたはずなのに、今朝、唐突、天啓のように、「あっもしかしてファンデーションきれかかってる?」という言葉が脳裏を突き抜けて、いったいぜんたいどうしてわたしは昨日あるいは一昨日あるいはもっと前にその事実に気がつかなかったのか、昨日あるいは一昨日あるいはもっと前にもファンデーションはやはりきれかかっていたはずで、このなだらかな喪失においてなにが決定打として今日のわたしにそれを思わせたのか、ようわからんねと思いながらも、問題はそんなことではなくファンデーションがきれかかっているという凄惨な現実であって、やだなあ、それはとても生活、と思うのです。

リカルデント・パニック

おなかが痛いような気がするのだけれどさほど痛くもないような気もするし、つまりこれは違和感、まだ痛みと名乗るには時期尚早、なのだけれど先々を見越した行動をとりなさいとむかしえらいひとも言いましたし、だからわたしはいずれ訪れるであろう未来をきらきら予測しながら言い放つの、おなか痛いです。ねむたいのでガムをずっと噛みながら仕事をしているのだけれど、思うにおなかの違和感の原因はこいつで、リカルデントは特定保健用食品ですからずっとずっとずっと噛んでいてもよいのです接種過多になったとしても特保だからだいじょうぶ、とっても健康、と言いながら一時間に二粒を間断なくくりかえしくりかえし延々と噛み続けそれはチェーンスモークならぬチェーンリカルデント、顎が疲れても頬の内側の肉を噛んでもコーヒーが変な味になっても噛んで吐いて捨てて噛んで吐いて捨てて噛んで吐いて捨ててそれは永久機関、とやっていたらすっかりおなか緩くなっちゃって、わかってる、わかってるよ、一日接種目安量は八粒、二粒を同時に一日四回、であること、そして一度に多量に食べると体質によりお腹がゆるくなる事がありますってご丁寧に注釈をつけてあるそのやさしさまさにすくすく健康、でもだってあたしはおなか緩くなっちゃう体質じゃないかもしれないじゃない!そうでしょリカルデントライムミントちゃん。きみを信じてわたしは噛み噛み噛み噛み噛み続けたのですがこうしておなかに違和感をおぼえるに至ってようやく、きみが敵であったことに気がつくのだ。許すまじリカルデント、おいしいです、大好きよ。そして「一度に多量に食べると体質によりお腹がゆるくなる事があります」という文章はとても忠実に原文のまま書き写したのだけれど、わたしがひらがなで書くものは漢字で、わたしが漢字で書くものはひらがなで、書かれているその事実にやはりわたしはリカルデントとはわかりあえないのかな、とさみしい気持ちになったりもするのです。

てゆうかねむい。

ハイファイ・ファンタジー

 もうずっと、わたしがわたしであることを忘れてしまうくらいずっと、遠いところで星は、瞬間の瞬きであるわたしたちにとっては、まったく絶対的な指針としてぽっかり浮かんでいて、わたしはそれを数えて、測って、計算して、数式や行列、たとえばその美しさにうっとりとするような、柔らかな陶酔、そこからはやはり、ずいぶんと遠くて、そんなんではもう光の洪水の中であったって、かなしくなってしまうね。観測できない遥か巨大な時間の流れにあって、わたしたちは死体を眺め、その美しさを讚美し、ときどきは、手の届かないこと、あるいははかなさ、そういったものを嘆いたりもする。花火は何度でも散って、それが喜びでなくても、だからほら、彼らから見れば、わたしたちは星のように、孤立し停止した、揺るがないもの。なにかを指針としなければ動けない、自分の位置も把握できない、とても曖昧な世界にあって、だからこうやってぼんやりと星を眺めて、とてもかなしいと呟いて、愛でも哀でもかまわないのだけれど、いつまでも言葉を弄して、ひとりあそびを繰り返すばかりでは、とうてい望んだ未来になんて行けないよ。

 仕事の合間に、桜井晴也「世界泥棒」を読んでいます。まだ真山くんが殺されてわたしと意味ちゃんが電話をして妹が部屋で宇宙人をつるところまでしか読んでいないのだけれど、これまでの彼の小説より、はるかに読みやすくてびっくりした。あと、とてもかなしい。わたしはとても好き。
 彼の文体には、その言葉のひとつひとつに署名が見えるような、明確な世界があって、それはとてもとうといことだと思う。びっちりと紙の上に這いつくばる言葉の群れは、ひとつひとつが丁寧に虫ピンで刺された標本のようで、だからつまり、死体のようで、どうにも動けない。いいとかわるいとかではなく。
 あ、受賞の言葉は「すかしてんじゃねーよ」と思いました。
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