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おなかのなかみ・臓腑の色

あたしが女で技術者だから気にしすぎなのかもしんないけどでもなんらかの技術でごはんをたべている人に対してその技術の不足や失敗を技術以外の要素、たとえば性格とか容姿とか、を褒めることによってフォローする、みたいな態度がほんとにほんとにほんとにキライ。たとえばあたしがなにか仕事で失敗をしたとして、そのときに「でも女の人いるだけで場が明るくなって和んだし」とか「かわいいから許す!」とか言われたら心底屈辱だと思う。だからそういうこと他の人にしたくないって思うしそういう態度の人みると引いちゃう。でもあたしもたまにしてるな〜日和ってんな〜とか思って鬱々としたり。
去年のぷらつりの年末公演初日以降あたしずーっとそんなことばっかり考えててたいへん気分が悪くてこんなに尾を引きまくる気分の悪さちゃんをふっかけて来やがったぷらちゃんに対して激おこなのである。でもあたしが怒るからだからそれがなんなのか、ファンがひとりぷんすか憤慨したってそんなのどーでもいい話なのであって、こんなライブやめろやバカヤロウって言う権利はお金払ってチケット買ってる客だからあるとは思うけどでもそれに対してバンド側がなんらかの対応する必要なんてないしたぶん大多数のファンは「かわいかったから許す!」って言ってアレを受け入れているのだから弾かれるべきはむしろあたしの方なのだ。ぷらつりの年末公演は以前からたびたび言われているとおり忘年会的な側面がつよくってつまりファンもバンドも「一年おつかれさま!」ってわきあいあいと楽めるあたたかなホームグラウンドなのでその楽しみ方が気に入らないんですけど〜みたいなお客は文句を言うよりは行かなければよいのだ。なんというかあの場所はたぶんバンドにとってとてもたいせつな場所で、だからそこに文句を言う、泥を塗る、ような行為はきっと望ましくない。
わたしはホームだろうがなんだろうがバンドのライブで一番大切なものは演奏だと思うし演奏がよければなにしたって楽しいけど演奏がクソならそのライブはすべてクソ、どれだけ客を楽しませようと努力してくれていたってそんなもんはクソ、演奏が一番っていうその最低ラインは絶対に絶対に守ってほしいと思っている。あのライブはそこが崩されていたので本当に気に入らなかったのだけれど、でもなんというか音楽とか演奏とかそういうところじゃなくてお互い笑って許しあえるような関係性、それが年末公演という場所でもっとも大切にされているものなのだとしたら、わたしの苛立ちはひどい見当違いの悪質ないちゃもんもいいとこなの。バンドもファンもあれでいいなら、単にわたしがそこにいちゃいけない観客だというだけ。彼らの大切な大切なホーム。わたしはあのライブを見て「いい演奏だった!」って言っている人には「耳腐ってんの?」と思うし「演奏ひどかったけど可愛かったし面白かった!」って言っている人には「メンバー馬鹿にしてんの?」と思う。でも客観的に見てメンバー馬鹿にして見えるのはわたしの方だと思う。わたしはあの人たちをアーティストとしてプレイヤーとして技術者として好きだし尊敬してる、だから演奏はクソだったけど可愛いから別にいいよねなんて絶対に言いたくない。でもそんなのわたしの個人的なこだわり、規範、であってそれを他者に拡大して適用することはできないし実際文句を言っているのはわたしの方だよ。あったかくてやわらかなものに泥塗ったくって喚いてる。ぷらつりに限った話ではないだろうけれど、長いファンの人たちってたいていお母さんみたいだ。そんな風に大切にする、愛する、ことしか許されないならわたしにはそんなのとうていムリ。だったらもう近寄らないでいる方がいい。
Plastic Treeというバンドの嫌いなところはいくつかあって、それは以前から変わらないのだけれど、たとえば2daysの公演は両日来て当たり前だと思っているところとか。ツアーで複数箇所行くことが当たり前だと思っているところとか。とにかくライブ一本一本のクオリティの差が大きすぎるところが以前から嫌いだった。ツアー、ファイナルはたいていいいライブをしてくれるけれど、前半はたいていボロボロだし。前半のその一日、一本しか行けない、という人の存在をわかっているのかなと思う。2daysもそうだ。たいてい初日はぐちゃぐちゃだ。あからさまに手を抜くときだってある。でもまあそういうところも、単なる画一的な商品としてライブを売っているわけではないという点で、気に入らないけど彼らはそういうスタンスなんだよなって受け入れてた。素晴らしいものを聴かせてくれるときは、本当に素晴らしいし。あの演奏をするためには、あそこまで遠くに飛ぶには、それなりの波が必要だということもわかるし。でも今回のは無理だ。演奏のクオリティ云々っていう話じゃなかった。構成自体がもうダメだった。あんな構成でいい演奏できるわけないし、事実できてなかった。あの人たちはライブが始まってからギアがかかるまで時間のかかる人たちで、しかもだらだら喋るたびにそのギアがいったんリセットされる。MC入れないあるいは少ないライブの方がクオリティの高い演奏をしてくれる確率が上がるし、そんなの自分たちだってわかってるんじゃないのと思うのに、あんなぶつ切りの構成で。誰も止めなかったのかなあ。まずいんじゃないのって思わなかったのかなあ。わたしずっと、ライブ一本一本のクオリティの差が大きいのは、演奏に対して真摯だから、その瞬間にしか存在しない音と真剣に向き合っているから、だと思ってたのに、もしかしてそうじゃなかったのかなあ。
不信感と疎外感がある。
好きなのに、好きだから、しんどい。しばらくは遠征しないし2daysは2日目だけでいいしインタビューもイベントも配信もいらない、音楽だけでいい。音楽しかいらない。




まりこに関する続報がぜんぜん出ないので、ライブのときは事務所と話ついてなかったんだろうなーと思う。これからどうなるんだろう。ブログを読むかぎりでは、たぶん彼女まじで抑鬱状態だと思うので、ゆっくり療養してほしい。ちゃんとずっと待ってるから、ぐっすり眠って、おいしいもの食べて、ぐっすり眠ったりおいしいもの食べたりするのが幸せで楽しいな、幸せで楽しいから歌いたいな、と思ったら帰ってきてほしい。



リー・ミンウェイとその関係展の話をしようと思ったんだけどさして話すこともないのだった。だってあれ面白くなかったんだもん。去年の十二月上旬に行ったんだけど、こうね、展示してあるものに対して観客がなんらかの行動を起こすことによってアートとして完成する!みたいなやつだったんだけどそういうのって結局アーティスト側の恣意的な目線を感じてしまってとってもとっても気持ちが悪いのだ。「こういう風に振る舞うだろう」「こういう風に振る舞うのが望ましいだろう」という空気の読み合い、しか僕には感じ取れない。他者の参画によってこの作品は完成する!とか言いつつも結局他者の他者性、というものを否定することによってそれらは成立する。だって「こうしてください」「こうしてください」ってたくさん書いてあるんだよ。それはアーティスト側のルールだ。そこに僕らは立ち入っていってアーティストの支配下において観測される。そして恣意的に動かされる。
砂で描かれたゲルニカがあって、それはその上を人が歩くことによって完成するらしいんだけど、「何日の何時に歩けます」って規定があってそのときにしかそこを歩くことはできない。そして僕が行ったときにはもうその歩けるタイムは終了していてそのときの様子がパネルで飾られていたのだけれど、「人々は緊張感を持って一歩ずつ歩いていった」とか書かれていてそんなのちゃんちゃらおかしい。静まりかえった美術館で大勢の人に見つめられて、という状況だったらそりゃみんな緊張感を持って一歩ずつ歩くに決まってるし、そんなのは自由意志とは呼べないし、だったらわざわざ他者をそこに持ってくる必要性だってない。たぶんそのシーンは緊張感を持って一歩ずつ歩くことが望まれていて、だからそこではしゃいで踊ったり追いかけっこしたり砂をざらざらと片側に寄せまくってただの山にしてしまってはいけない。なんというかそういう、コミュニケーションという体をとった強制、の視線を至るところに感じてしまって、もうほんとうに気持ちが悪かったのだ。あとひとつクソつまんなかったのが手紙が飾ってあるところ。「ここで手紙を書いてそれを置いていって下さい。宛先は誰でも構いません。宛先がなくても構いません」みたいなやつなんだけど案の定「天国に行ったあなたへ」「死んだおばあちゃんへ」「死んでしまった僕の犬へ」「いまここに来ているあなたへ」みたいな想定の範囲内のオンパレード、くっそつまんねーもんばっかりずらっと並んでいてもうほんと目眩がするようだった。あのさーそんなのさーブログかツイッターかフェイスブックにでも書いとけばァ?インターネットのない時代だったらその試みはおもしろかったかもしれないけれど現代においてそういう場を設けて「アート!」って叫ぶことの意味は僕にはちょっとよくわかんねえな。腹が立ったのでおいしくてかんたんなオニオンスープの作り方を書いて置いていってやろうと思ったんだけど、手紙を熱心にせっせと書いている人たちがたくさんいて書く場所はぜんぶ埋まっていて待つのもばかばかしかったので結局は書かなかった。おばあちゃんありがとう、いまでもだいすきだよ、みたいな手紙よりずっとずっと役に立つしポップでキュートだと思うんだけどな、おいしくてかんたんなオニオンスープの作り方。



行ったライブなどの感想。


20150106 Imagination Nights@西川口Hearts
大中。こういうこと言うとあきらファンの間ではぶられそうだよなーと思ってたけど去年のぷらつり年末公演で「あーもうそういうのムリ」ってなったからもういいわ、思ったら言うわ、あのねー歌ねーいらないね。だって下手じゃんか!インストの方がかっこいいので全部インストでいい。可愛いよ、そりゃもう可愛いよ、歌ってるときの可愛さといったら震えがくるレベルでたいへんよ、でももう一回見たからいいです。大中にそんなね、演奏ノクオリティガーとかプロノアーティストトシテーとか言うつもりないよ、でも歌うとギターミスるじゃん。まあそれぞれの個人活動は本人が楽しけりゃいいかなと思ってるのでよはんさんが楽しけりゃそれでいいし楽しそうなよはんさん眺められればしあわせですって気持ちで観てるからべつにいいっちゃいいんだけど、大中の曲とても好きなのでできるだけよい状態のものを聴きたいというのも正直な気持ちです。flee theとか歌わなくてよくない?
でもねーチェルホと比べたらりぼーんかなりうまくなっていたのも事実で、うーん……回数を重ねたら歌もよくなってゆくのだろうか……だったら歌ってほしい気持ちもある……うーん。

20150111 TWIN TAIL@渋谷WWW
いや気持ちよかったです。ぐるぐる渦をまくような音たち。今年はスガさん何回か観たいなあ。中村さんのドラムは初めて生でみたんだけどすごかった。スガさんメインで観よ〜ヤマジもちょっと観よ〜とか思ってたんだけど終わってみると終始ドラムに釘付けじゃった。
あとこのライブで思ったのがやっぱり視覚や言葉は強烈に音楽を定義づけてしまうなあ、ということ。このライブはステージのスクリーンに映し出される映像とずっとリンクしていて、面白かったんだけど、なくてもいいなあと思った。途中でスクリーンに竹内浩三の「日本が見えない」が映し出されていたのだけれど、わたしはああいうの、つまり社会的な主張を音楽なり舞台なりと関連づけることは苦手なので、そのときだけ見ないふりした。しかしああいう雰囲気にさいきんよく出会う気がする、わたしは苦手だから避けているのに、にも関わらず、よく出会う、「もはや戦前である」というあの、空気。

20150116 悠希 vs LIPHLICH@高田馬場AREA
リフリッチよかった。おもしろかった。あと何回か覗きに行って、いつもおもしろいなあって思ったらたぶん通います。

20150117 鳥公園「空白の色は何色か?」@STスポット
気持ち悪くてサイコーでした。話の内容は至極どうでもいいのだけれど、表現の手法がほんと面白くて。あれは演劇にしかできないアプローチだよね、ぞくぞくした。ぐるぐる回ってゆっくりと下っていって、底にはきっと白いプールがあって、誰かがスケボーの練習をしているのだ。あらゆるものの埋められた空のプールの底。暗転して暗闇の中で歌うように叫ぶように掻き毟るように暗誦された伊藤比呂美「意味の虐待」は本当に鳥肌が立った。わたしは寡聞にしてこの詩を知らなかったのだけれど、ここで知って帰って調べて読んでもう一度ぞっとして、それから大切に仕舞い込んだ。もうこれはわたしの一部だ。

20150123 後藤まりこ「私のRe:booooot ワンマンツアー」@赤坂BLITZ
こないだ書いたとおりなのである。活休もそれを発表する手法も悲しかったんだけど、でもとにかく今はいったんゆっくり休んでほしい。めっちゃ心配だ。ちなみによいライブでした。

20150124 Electric Killer Show !!@CHELSEA HOTEL
佐藤さんがバンドをやると言うので観に行きました。2番手の麻針と3番手のTHE VALVESがよかった!佐藤さんの泡ってバンドは好みじゃなかったのでもう行かないと思うし、おなかすいてたからMC終了後帰っちゃった。2番手と3番手が、特に3番手のドラムがめっちゃうまかったので、どーしても比較してしまってダメでした。わたしは佐藤さんのタムの使い方とbpm遅めの曲の色の付け方がとっても好きなので、そういうの楽しめたらよかったんだけど、わりとストレートな歌謡ロックだったのでそういった楽しみ方はあんましできなかった。あとぷらつりの佐藤さん曲の複雑なリズム、あれも大好きなんだけど、ああいう楽しみ方もできなかったな。でも彼が本来どういった音楽をやってきた人なのか、どういった音楽が好きなのか、というバックボーンを垣間見ることができたのは嬉しかったです。

今月いちばんの「行けなくて悔しかったで賞」は1/22新宿LOFTのザゼン×ナカコーでした。もうね、会社の宴会を規制しよう。宴会文化やめよう。
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名前のない苦しみで、お前を追いつめてやる

新年が明けたことなんてクソどうでもいいことで書類なり予算なりの問題はじっさいあたしにも降りかかってくるわけだけれどもしかしそんなことは瑣末、お金を稼ぐ社会的なわたしにとっては大事なことだけれどお金を稼がない個人的なあたしにとってはそんなことは瑣末、だからべつに新年一発目の記事とかぜんぜん気にしていなくって去年の12月に見たリー・ミンウェイとその関係展の感想でもまとめとこかなとか時差もいいとこな旬をとうに通り過ぎた日記を書こうと思っていたのだけれどもでも結果的にそれではなくなりましてとてもタイムリーなものになったんだよねそうだからこの記事はつまり、後藤まりこの二回目の投身自殺について。

ゼロ年代の邦楽シーンを語る上でぜったいに外すことのできないミドリというバンドはギターボーカルの後藤まりこの投身自殺で完結しました。投身自殺というのはもちろん比喩だけれど完全に比喩であるとも言い切れない、わかんないひとはDVD「さよなら、後藤さん。」をぜったいに見るべきで、アンコール、頭から血を流しながらセーラー服で叫んでいたあのひとをあの情景を「いやでもこれは死じゃないよね」と言えちゃう人とはお金を稼がない個人的なあたしはどうしたってお友だちにはなれない。あれは純然たる死でありあのライブは死を得るための投身自殺であり更に言えばミドリというバンド自体が自殺する女の子のドキュメントです。このことについては過去に何回も言及してるからもういいんだけどしかしね、あたしその情景をまた目にすることになるなんて思ってなかったよ。なんで好きな人が死ぬとこ何回も見なくちゃならないの。飛び降りて死んでゆくその過程を何度も。何度も。焼き付けるように。

あたしは後藤まりこのファンなのできょうの赤坂ブリッツでのワンマンライブに行ったのだけれど、そこで披露されたのは二度目の投身自殺だった。あのねこの記事ケータイで書いてるからとてもめんどいのでいろいろ省くんだけど、でもとにかく、きょうのライブは二度目の投身自殺だったんた。そのことに動揺してよくわからんことになってる。動揺してる。とても動揺してる。帰りの乗り換え二回しくじるくらいには動揺してる。おうち帰ったらちゃんとまとめたいな、わかりやすく伝わりやすい言葉で言うと、後藤まりこは活動休止だそうです。正確に言うと、現在決まっているライブのうち飛ばせないライブはやるし、後藤まりこ活動休止というか「バンド形式での」活動の休止、ぽいんだけど。

「ミドリのときも言ったけど、これは僕の投身自殺です。巻き込んでごめん。今までありがとう」からのスナメリ。
呆然としてどうしていいのかわからなかった。
素晴らしい演奏だった。
たすけて僕を死なせて。

スナメリ 愛をみつけて お願い
救いのない苦しみで お前を追い詰めてやる
まぼろし つまりは 消えてなくなれ
矛盾 吐息 伴えば たすけて 僕を死なせて

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