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おなかのなかみ・臓腑の内訳

 言葉は音楽を決定づけてしまう、ことについて、先日WWWでツインテールを観てからずっと考えている。言葉は音楽を決定づけてしまう。
音楽は音楽であるだけでそれ自体は意味を持たない。意味は制作者あるいは聴衆が音楽を媒介に自己の内部から抽出あるいは想起されたものを付加・負託しているだけのものであって、音楽自体が意味を持っているわけではない。しかし言葉が添えられると音楽はその性質を決定づけられてしまう。それは音楽に付加された個々人の内部が可視化されるということ。
 個々人の内訳が制作者であった場合、そのとき言葉は制作者の発信したいメッセージを正確に伝達する、という役割を言葉は果たす。しかし同時に、聴き手が音楽に付加できる意味が制限されるということにもなる。
 わたしは自由度の高いものがすきだから、制作者のどんな切実なメッセージが込められていようとも、好き勝手に音楽を聴いて好き勝手に食い散らかしたい。どんな言葉も受け取らないで、なかったことにして打ち捨てて、これはある種のレイプかもしれない、意味に対するレイプ、でも意味なんて実際その程度のもんだ。

 こないだ転勤したのでわりとバタバタ身辺が忙しないのですが、相変わらず音楽を聴いたり本を読んだりしながら生きています。きょうはお買いものをした。セールだったからね。通勤用の服を新調するのが目的だったのだけれど、相変わらず通勤では着られないような服も増やしてしまいました。まあそんなもんだな。増やしたぶん捨てなくっちゃ。いらないものはガンガンぶち捨てていかなくっちゃ。限られた空間に限られたものを仕舞う。限られた輪郭に限られたものを仕舞う。中身を増やしたら捨てる。中身を増やしたら捨てる。わたしの臓腑は常に同一ではない。わたしはわたしという主体を信用しない。わたしは存在しない。
 増やしたら捨てる。増やしたら捨てる。

 ここ最近楽しかったことは、こないだの建国記念日に代々木公園で観たクラムボンのフリーライブ。ちょう気持ちよかった!これについては月末にまたいろいろまとめて書きます。週末にはインディゴクアトロも控えてるし、生きるのが楽しいな。その瞬間だけ楽しいな。瞬間の楽しさのためだけに生きてるな。その一点を通過するためだけに静かに引き延ばされた長い長いからっぽの沈黙。なんのために生きるの?と問われたときわたしはその解答を持っているのに回答することができない。意味は瞬間にしか存在しないけれど瞬間は意味にはなれない。
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