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委譲

 わたしの意見なんてわたしの意見に過ぎないのだから、それゆえにわたしはわたしの意見をいつ翻してもいいし頑に変えなくてもいい。賛同しないことは否定の強要ではないし、あなたを恣意的に変革させるものではない。否定的なことを言うときに誰かの同意を求めるなんて卑しいことはしたくない。そんなに不安になることはない、そんなに怯えなくてもいい。誰に否定されても、誰に肯定されても、どれだけの数の人たちが否定したり肯定したりしても、わたしたちはどうせ一人にしかなれないし、それゆえに、一人でいることを赦されている。

 右の太ももの裏にちいさなころ岩場で転んだときにできた傷が残っていて、たまにそれを眺める。ずいぶんと薄くなってきたな、とすこしさみしく思ったりもする。わたしは当時の記憶がなくて、その怪我をしたときのわたしの様は、親に尋ねて語られた言葉から作られた想像でしかないのだけれど、それゆえにあまりに遠い自分ではない誰かの物語として受け止めてしまう。
 あまりに遠い自分ではない誰かの物語の痕跡が自分の肉体に残っていること。
 わたしはこの体を共有しているのだ、と思う。複数の精神があって、この肉体は乗り回されている。かつてあったものは去ってしまってもう触れることはできない。かつてそこにあったはずの、すでにとおいなにか。肉体だって周期的に入れ替わってしまって決して同一ではない。複数の精神と、複数の肉体。乗り換えられてゆくなにか。更新されてゆくなにか。それらを便宜的にわたしと呼んでいるだけであって、わたしはわたしではないし、わたしはわたしにすぎない。このからだをドライブする。操縦権を譲渡したりする。ユーハブコントロール、イエス・アイハブコントロール。わたしを乗り換える。わたしに乗り換える。
 恋愛がわからないから、こういった感覚が恋愛に近いのだろうか、と想像したりもする。操縦権の譲渡。遠い知らないものがいまのわたしに所属するものに痕跡を残すこと。違う、と言われるかな、とも思う。お湯を湧かして、友人からもらったお茶を淹れる。京都のかぶせ茶。あまくておいしい。
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