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質量

気分の上下はある。億劫だがそれはある。ある前提で管理規則を組む。下降したときに使用するパッチを事前に組み立てておく。あなたはこういうときに気分が落ち込みます。その落ち込み方をタイプAとします。その場合は対応するこのパッチA'をあてれば社会生活を営める程度に気分を整えることができます。用法用量を守ってご使用ください。
記憶には質量がある。現実に存在する特定の物質に記憶が被さって固定されることがある。たとえば黄色で塗られた各駅停車の総武線の車両に。たとえば直線になりきれない角度で歪んで正面に続かない環状七号線のゆるいカーブに。たとえば都立大学駅からめぐろパーシモンホールへ向かう途中にある目黒通りを渡るところどころ白の剥げた横断歩道に。記憶はたびたび音楽の形をとり、そしてそれは質量を伴う。耳元で記憶の音楽が再生されるたびに視界が狭まる粘土の高いドロリとした色が混ざりすぎて混迷したはっきりとしない黒に塗られて。ぼとぼと落下してくる涙型のペイントがディスプレイに張り付いてその部分を塗り潰す。ある程度の透明度はあって景色が真っ黒になることはない。ただ汚い。汚染されている。そして質量がある。べとりと張り付いた記憶が音が視覚が意識が、質量がある、重たくて視線は下を向く。地を舐める。地を舐める。地を舐める。地を舐める。
泥の味がする。道路にキスする。犬の糞が落ちている。重力に引きずられた頭を誰かの軽快なステップが足蹴にしていく。めり込んだ頭をめり込ませたまま移動する。道路に醜いレールが生まれる。奴隷のように畜生のように四つ足で進んで地を舐めている。記憶には質量がある。
知らない場所へ行きたい、記憶のない場所へ行きたい、耳元で音楽が鳴らない場所へ行きたい。記憶を捨てたい。過去の蓄積を捨てたい。なかったことになりたい。なかったことにしてください。生きていてよかったと思える瞬間を探して亡者のようにさまよっている。ときどき出会えるそれに縋って浅ましく呼吸している。それでも根本的な解決にはつながらない。あなたを正しくしてあげることはできない。生きていてよかったと思えても、生まれてきてよかったと思えたことはただの一度もない。

という気分には、パッチA'をあてる。
社会生活を営める程度に気分を整えることができます。
用法用量を守ってご使用ください。
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やさしい生活

欲望を撫でて育てている。この子は可愛い可愛いわたしのペットだ。ずっと一緒にいる。子どものころから。変わらずにずっと。ずっと一緒にいる。撫でて育てている。
苦しんで死にたくないだけの消極的選択によって実現している生は快楽へ快楽へ流れる。わたしはそれを肯定する。易き方へ流れる、それをとどまらせない。怠惰に落ちる、それを否定しない。子どものようなわがままと自己弁護を未だに繰り返して、苦しまないわたしが貪る快楽を保障してあげる。二年前のわたしが志したのは自宅に帰れる生活・賃貸を借りている意味がある生活・法によって定められている休日を適切に受け取ることのできる生活で、それを手に入れたわたしはもっと快適な状況を求めている。欲望を撫でて育てている。それを肯定する。
要はお金がほしい。前職はそこそこ給料がよくて貯金も同年代平均よりはあるよねという感じだったんだけど、今はかつかつだしじわじわ貯金が減っていってつらい。わたしは結婚なんか絶対にしないし子どもなんかほしくない、生を積極的に肯定できない人間が子どもを生産する理由がない、ので、法的に連帯する縁者というものをこの先獲得する可能性が著しく低い。自分が生きて死ぬ費用は自分で賄わなければならず、だから貯金を食いつぶすのは望ましくない。とりあえず会社で手当支給が確約されている資格をぽつぽつと取っており、この先も取り続けるし、それでもたいして給与額が上がるわけでもないから近いうちにもう一度転職するのも悪くないと思っている。お金は大切。
わりと一般的なヘイトの対象となりうる属性や思考の型を持っているので、インターネット上に転がっている言葉の上を歩き回るとたくさんの死ね死ね死ねという矢印をサクサク刺されている感覚に陥る。とくに感慨はなく、他者に自己がどう思われているかに興味はない。だから社会はこういった方面で排除の力を働かせる場合があるよな、程度の認識で、同時に、死ねというなら死んでも構わないのだができれば痛くないように消えさせてくれないかなあと願う。今のところその望みが叶うことはなさそうなので、せめて治らない病気になったらスイスに行きたいと願っている。これは前向きな思考だ。

最近考えているのは音楽のこと、メロディとリズムと展開がなければならない特定の音楽のことで、あまり言語化を試みなかった部分に触れてみたいという欲求がある。欲求は相変わらずあり、それを肯定しながら呼吸している。情熱が緩やかに死んでいく過程はいきものの一生と似ていて、意識的にひとつの情熱を殺したことは自己の一部を殺したことと等しいのだと思う。それでもまだ残っている有機的な部分を撫でて育てている。可愛い可愛いわたしのペットだ。いつか石のように冷たく硬く動かなくなってしまったら、ずっと憧れていた場所に連れていってあげたい。でも情熱と呼びうるあらゆる有機的でどろりとした塊がすべて冷え切って固まってしまったら、希死念慮すら消えてなくなってしまうのかもしれないな。それは社会への適合と呼べるのかもしれない。いつかわたしも健全に正常になれるのかもしれない。頭の片隅で、そんなことを考えている。生活は楽しい。生活は優しい。
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