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鶴である必要性てなんだろう

職場に大学生男子が一人やってきて、試合の必勝祈願で千羽鶴を折っているのだが協力してくれないだろうか、ということを言ってきました。私はある特定の時期以外は大概暇をしているので構わないのだけれど、他の人はそうでもない。けれどもこういうことは、案外みんな協力してくれるものなのです。さっき同僚上司と一緒に鶴を一人三羽折りました。いいおっさんがちまちま折鶴を折っている光景はなかなかに面白い。

別に彼らの必勝なんて私は全く興味がないのだけれど、なんとなくとても丁寧に折りたくなってとても丁寧に折りました。結果、白い部分がまったく見えない赤とオレンジと群青の折鶴が出来上がりました。くちばしもしゅっとしていて非常に気持ちがいい。いい鶴です。自分で言うけれど。
ただ、これらの鶴は千羽鶴のうちの三羽なのですから、当然千羽の中に埋もれることになります。どれだけ丁寧に折ったところで、もしくはどれだけ乱雑に折ったところで、なんにもならないのです。千の中に埋もれてしまえば、もうなんにもならないのです。その上私が丁寧に折ったのは心を込めたからではなく、単純に自分が綺麗な折鶴の方が好きだからです。別に気持ちなんて一欠けらも全然篭もっていない。篭もっているとすれば、鶴かあ久しぶりに折るなあ、苦手だったんだよな折るの面倒くさいなあでも時間かければ丁寧に折れるんじゃない、意外に出来るかもしれないやってみよういざ勝負鶴、どうせ暇だし、なんて気持ちでしょう。

私とは逆に真剣に願いを込めた人もいるだろうし、しかしその人の鶴も結局は千分の一です。なにを考えてなにを思って折っているのか、そんなのそれこそ折った人の分だけ答えがある筈で、それでもその有象無象が集まったときに千羽鶴というひとつの物体になることはなにやらすごいことだなあと思うのです。有象無象を寄せ集めた千羽鶴は、有象無象にも関わらずひとつの千羽鶴という単体へと変化して、なおかつそこに必勝祈願という概念を帯びるのです。だからなんだということはないけれど。

それにしても、千羽鶴ってなんで鶴なのですか。亀でもいいじゃない。

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うちの職場はいつもテレビがついている。誰も見ていないのに。なんでついているんだろう。どうせ見るのは天気予報とニュースだけなんだから、天気予報とニュースのときだけつければいいのだと思う。うるさいし鬱陶しい。テレビなあ、毛嫌いすることに意味なんて無いのにでも嫌いなの。あー、大嫌い。テレビ。

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